56話 マリーはローズを想う(前編)
道の真ん中で蹲っていたローズは、私の呼びかけに顔を上げて振り返った。
その瞬間、彼女が浮かべていたのは、どこかほっとしたような表情。
けれど互いの距離が近づくにつれ、叱られる前の子供のようにばつの悪そうな顔で俯いてしまう。
けど、そんなの私はお構いなしだった。
やっと見つけた。
やっと会えた。
こみ上げる嬉しさで、舌が痺れて呂律はうまく回らない。
どんどん溢れてくる涙のせいで視界のローズの姿がぐにゃぐにゃに歪んでいく。
「お姉ちゃん……おねえぢゃーん!」
私は震える声で何度も何度もその名を呼んだ。
「うわぁーん、あほー、おねーぢゃんのあほぉー!!」
もう限界だ。私はローズの胸へ飛び込むと、思いっきり抱きしめた。
私の行動に、ロースは一瞬ビクリと身を強張らせていたけれど、すぐにその体から力が抜けていく。おずおずと私の背中に腕を回すと、同じように抱き返してくれた。
「マリー……マリィー……」
「会いだがった……会いだがったよぉぉぉー」
そしてローズも一緒にポロポロと涙を流し始める。
互いに泣きじゃくりながら、私はローズから全てを聞き出した。
途中で何度もつっかえたり、言いにくそうにしていたけれど、ゆっくりと時間をかけてローズは悩んでいたことや考えていたことを教えてくれたんだ。
私に嫌われたくないからつまみ食いをやめたこと。
私に格好良い姿を見せたいからご飯を食べなかったこと。
両親のことを忘れるのがとても怖かったこと。
それを私に知られたくないから無理をしていたこと。
そして――
私がいなくなるのが怖かったこと。
ローズの想いを知って、私には言いたいことがたくさんあった。
なんで真っ先に思いつくのがつまみ食いの我慢や食事制限なの?
毎度のことながらどうして全ての思考が食に通じるのさ。ぶれなさ過ぎだよ!
両親の思い出のことだって相談してくれればいいのに。
私がそんなことでローズを嫌いになるはずないじゃないか。
困っているローズを捨てて、私がいなくなるなんて絶対にありえないよ。
そして次の瞬間、私はローズが犯していた間違いを発見する。
涙で頬を濡らしながら、彼女はこう言ったんだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……あたしはマリーと『コーカン』したのに」
その瞬間、私の全ての思考が吹っ飛ぶ。
それはいくらお姉ちゃんでも絶対に許せないことだったから――
カチンときた私はその場で大声を出して怒鳴ったのだ。
「私、知らない!」
「マ、マリー?」
「私に立派なお姉ちゃんがいたなんて知らないよ!」
目をぱちくりとさせているローズに、私は一気にまくし立てる。
「私が知っているローズは、何でも口に入れる食いしん坊で、お肉にホイホイ釣られるような女の子だよ。
おっぱい揉むとすぐに怒って、しっかりしているように見えて意外とボーっとしていて、周りにヨイショされたら簡単に調子にのって……食べたいものを見つけたら我がまま言い始めて融通が利かなくなる。
そんな欲望と涎まみれの変な女の子がローズじゃないか!」
「そ、それはちょっと悪く言い過ぎじゃない!?」
「言い過ぎじゃない。ローズなんてそんなもんさ。ちっとも立派なんかじゃないよ」
「ひどい! あたしだって……あたしだって今まで頑張ったのに!」
「そんな勝手なの知るもんか!」
私は抗議するローズをキッと睨みつけると、そのほっぺを強く引っ張った。
「ローズのアホー! アホー!!」
「痛い、痛いわ。な、なによ、マリーだって『コーカン』にすぐ釣られるし、裸で走りまわるし、いつもついうっかりで色々やらかす変な女の子じゃない!」
「アホのローズよりマシだよ」
「よくも言ったわね、お馬鹿さんのくせにぃー!」
そしてローズも私のほっぺを引っ張り返す。
こうして私達は初めて取っ組み合いの喧嘩をした。
互いにほっぺたをつねりあい、思いっきり耳を引っ張り合う。押し倒して代わる代わるにマウントを取り合い、私たちは地面を転がっていく。雪解け水でべちゃべちゃになっていた大地のせいで、あっという間に服は泥まみれになり、二人してみすぼらしい姿へと変わっていく。
ぽこすか、ゴロゴロ。
ぽこすか、ゴロゴロ。
いつかのシールとラシータのように、私達は幾度もみっともなく絡み合った。
「マリーと『コーカン』したからあたし頑張ったのに。立派なお姉ちゃんになって『コーカン』した約束を守ろうと思ったのに。なのにそんな言い方しなくてもいいじゃない!」
やがてローズは私をぽこぽこと叩きながら言葉を零した。
そして私に馬乗りになり、鼻をすすりながら力なく肩を震わせる。
「『コーカン』を成立させて、ずっと家族でいようと思ったのに!」
そんなローズに対して、私は悔しさで奥歯をグッと食いしばったんだ。
私はその言葉が心の底から許せないんだよ。
ローズは決定的に勘違いをしている。
だって、そもそも――
「私はローズと『コーカン』なんかしてないもん!」
はっきりと告げられたその言葉に、ローズの目が大きく見開かれた。
私は起き上がると、震える彼女の肩をがっしりと掴んで向かい合う。
「食いしん坊でも、かっこ悪くても、素敵じゃなくても、立派じゃなくてもいいんだよ。
私はそんなローズが大好きなんだ。だから家族になったんだ。だから妹になったんだ。
だから私はいつだってローズのことをお姉ちゃんって呼ぶんだ」
ローズの妹になったのは自分の意思だ。
守るという約束は交わしたけれど、それを対価に家族になったわけじゃない。
だから私はローズと『コーカン』なんてしていない。
「なのに勝手に私と『コーカン』した気にならないでよ!」
あたしがあなたを守ってあげる。
それはローズがくれた優しい言葉。
だけどそれが叶わないからといって、私はローズの妹をやめたりなんか絶対にしない。
そんなの無くてもローズと一緒にいたいんだ。
だから彼女は間違ってる。
私と『コーカン』したと勘違いしている。
そもそもローズが『コーカン』を出来るはずがないんだ。
「『コーカン』は一人じゃできないんだよ。二人一緒じゃなきゃ駄目なんだ。それをあの日、教えてくれたのはローズじゃないか」
最初に出会ったあの日。
二人で『コーカン』したあの日。
初めて見つけた畏怖以外の瞳を私は一生忘れない。
目の前で嬉しそうに笑うローズのキラキラとした姿を私は一生忘れない。
私が『コーカン』好きなのはあの日の光景があるからだ。
いつ誰と『コーカン』しても、必ず思い出すのは『コーカン』で生まれたローズの眩しい微笑みだ。
あの笑顔にまた会いたいから私はいつも『コーカン』に夢中なのだ。
だから『コーカン』は一人では決してできない。
ちゃんと相手と自分がいて初めて成立する行為であり、孤独だった頃の私には出来なかった最高の楽しみなのだ。
私の告白に、ローズは驚いた顔をして唇を震わせる。
「あたし『コーカン』していないのに……マリーのお姉ちゃんでいてもいいの?」
「当たり前だよ!」
そうしてローズの手を私の手のひらで包み込む。
泥まみれで汚れているけれど、伝わる温もりはあの時と同じだ。
これは『コーカン』なんかじゃない。
自分の意志でローズと一緒にいたいから。
だから私はこの言葉を返すんだ――
「これからも一緒にいよう。家族でいよう。ローズはこれからもずーっと私のお姉ちゃんで、私はずーっとローズの妹でいるんだ。妹っていうのはお姉ちゃんを守る人のことなんだよ」
あの日、大森林で彼女がしてくれたように、私は優しく微笑んだ。
頬を緩ませ、大切な言葉と一緒に暖かい眼差しをローズに送る。
すると彼女は――
「ひっく……いるぅ……」
両目の端から美しい涙の玉を零した。
さっきまでとは違う。その声には、怯えも、後悔も全く感じない。
掠れた声で、けれどはっきりとローズは答える。
「あ、あたし、これからも……マリーのお姉ちゃんでいる」
とうとう限界を迎え、ローズは「うわあぁぁーん」と膝を折って泣き崩れた。
今まで封じ込んでいた素直な子供の部分を曝け出し、歳相応に顔をくしゃくしゃに歪めながら、ローズは私をぎゅーっと抱きしめて最後に呟く。
「ありがとう。マリー……大好き。あなたのことが本当に大好きよ」
「私も大好きだよ、お姉ちゃん」
もう彼女の胸の中でどうしたらいいか分からないなんて言わないよ。
私も大切な気持ちを込めてぎゅーっと抱きしめ返すのだ。
もう二度と、この温もりを離したりするもんか。
私はお姉ちゃんを守る妹で、かけがえのない大切な家族なのだから。




