55話 ローズはマリーを想う(後編)
前回に引き続きローズ視点です
マリーの立派なお姉ちゃんになって、ずっと一緒にいるためにはどうすればいいか?
そう考えた時に、真っ先に思い浮かんだのはラシータだった。
でもそれは駄目な例としてよ?
だってラシータは昔から意地汚くて、よくシーちゃんと食べ物を取りあって喧嘩しているの。いつもニョーデル村へ行くごとにシーちゃんから不満を聞かされてきたわ。
だからあたしは自分を戒めた。
ラシータのように欲張って妹に嫌われたくないから。
お姉ちゃんはがっついちゃ駄目。
あたしはそう心に刻んだの!
その第一歩として、あたしは盗み食いを控えることにした。
本当は喉から手が出るほど食べたかったわ。
特にマリーが腰から提げているおやつ袋はいつも美味しいものが詰まっているんですもの。
なんで知っているのかって?
いつもバレないようにちょっとずつかじったり、こっそり別の物と入れ替えてチョロまかしていたからに決まっているじゃない。
ふふ、実はマリーったら私の横領に半分も気付けていないのよ。いっぱい偽装してきたものね。
やっぱりあともう一口だけ……って駄目よ!
あたしはもう足を洗ったの。
我慢するのはつらいけれど、妹の為ならなんだって耐えてみせるわ。
遊びにもいろいろと工夫を凝らしたわ。
マリーは手加減がちょっぴり苦手な子だから、思う存分に皆と遊べる方法をあたしが考えるのよ。
アイスシールドを使った雪合戦の時も、氷を上手く持てないマリーのために頑張って盾役をこなしたわ。やんちゃだからたまに危なっかしい時もあるけれど、そうやって村の子たちと楽しそうに遊んでいるマリーの姿を見ているとあたしの心もホカホカするの。
でもやっぱり一番マリーが喜ぶのは『コーカン』かしら。
村や森で遊んでいる時に『コーカン』できそうなものを見つけてマリーに教えてあげるの。するとマリーは尖がった耳をピコピコピコッとさせるのよ。
その姿があまりにも可愛すぎて、あたしは妹をぎゅーっと抱きしめるの。
こんな時は心の底からマリーのお姉ちゃんになれて良かったと思えるわ。
魔法の授業であたしが全属性だとわかった時は本当に嬉しかった。
だってそれは真なる王の物語に登場する聖女様と同じなんですもの。
王様がどんな傷を負っても、あっという間に治してくれる優しい女の子――
楽しい時は一緒に笑って、間違っている時は叱ってあげて、困っている時は颯爽と助けに現れる。物語で描かれている聖女様の姿は、私にとって理想のお姉ちゃん像だった。
だから真似をして回復魔法を覚えようと思ったの。
「それがあれば……きっと……」
あたしも聖女様のように立派なお姉ちゃんになれると思ったから。
つまみ食いを控えたり、魔法を覚えたり――
そうやっていろいろなことを頑張るのはもちろん簡単では無かったけれど、おかげでマリーに何度も最高のお姉ちゃんだって言ってもらえたのよ?
恥ずかしいから我慢していたけれど、本当は飛び上がるくらい嬉しかったわ。
あたしはマリーの立派なお姉ちゃんになれたんだ。
このままずっと二人で一緒にいられるんだ。
そう思うと、何もかもが上手くいっている気がしていたの。
あのお泊り会の時までは――
「ローズ、それ少し違う」
「え……?」
あたしがお母さんたちのことを忘れている?
シーちゃんに記憶違いを指摘された瞬間、あたしは頭をガツンと殴られたような気分になった。
そして大切なものを置き去りにしていたことを自覚して、途端に背筋が凍っていく。今まで積み上げてきた自信がガラガラと崩れ落ち、両親の記憶を薄れさせてしまったことに対しての激しい罪悪感があたしを襲ったの。
大人になるにつれ子供の頃の記憶が徐々に薄れていくことなんてよくあること。
それでも――あたしはまだお母さんとお父さんのことを忘れたくない。
せめて記憶の中でだけは両親とずっと一緒にいたい。
またお別れするなんて絶対に嫌なの!
マリーのお姉ちゃんでいること。
両親の記憶を覚えていること。
どちらも手放さないように、あたしは今まで以上に頑張らないと駄目だ。
それからのあたしは必死だった。
両親の記憶を忘れることに怯える格好悪いお姉ちゃん。
そんなことは絶対にマリーに知られるわけにいかない。
そう思ったあたしは、普段の食事量をがっつりと減らしたの。
皆に食いしん坊と呼ばれたあたしとさよならすることで、マリーには素敵なお姉ちゃんの姿を見てもらうんだ。
両親の記憶だって思い出せばいい。
ヒントは村のあちこちに残っているもの。
あたしは記憶の欠片を見かけるごとに、何度も頭の中に刻み込んだ。食事中でも遊び中でもお構いなしに。もう二度と忘れないよう、夢中になってそれを繰り返した。
大丈夫、今までだって上手くできたんだ。
だから私は大丈夫。大丈夫なのよ。
でも現実はそう上手くいかなかった。
思い出そうとすればするほど、記憶に穴があいていることに気付く。
曖昧になっている部分を呼び起こそうと考え込むと、どんどん頭の中がこんがらがっていく。
「これも……うん、覚えてる。
あれは……駄目、何で思い出せないの」
そうやって、もがけばもがくほど、焦れば焦るほど――
あたしは自分が立派なお姉ちゃんではないことに気付いてしまう。
自分がただ背伸びしているだけの情けない女の子だと気付いてしまう。
だから私は今日もマリーを抱きしめて眠るの。
「大丈夫。私は大丈夫」
そう呟くことしか出来ない自分がとても惨めに思えてきて――
あたしはいつの間にか両親との記憶だけでなく、マリーのお姉ちゃんとしての自信も徐々に失っていった。
そうやって無理をし続けたのがきっと不味かったのだと思う。
交換所でマジルさんからお母さんの帽子を貰った時のあたしは限界を迎えていた。
「そっか……また忘れていたのね。もっと頑張らなきゃ」
もっと食べるのを我慢しよう。
もっと思い出す努力をしよう。
あたしの頭の中にはもうそれしか思い浮かばなかったの。
そうしたらマリーにとうとう問い詰められてしまったわ。
「ねえ、お姉ちゃん一体どうしたの?」
「何でもないわ……大丈夫、あたしは大丈夫だから」
「お願いだから教えてよ。心配なんだ」
「何でもないの……だからマリーは気にしないで」
本当は全然大丈夫じゃない。
本当はきっとこのままじゃいけない。
でも頭の中はぐちゃぐちゃで、自分でも何が正しくて、何が間違っているのか全くわからなくなっていた。
それをマリーに知られるのが怖くて、ついつらく当たってしまったの。
「あたしは大丈夫だから!!」
次の瞬間、泣きそうになっている妹の顔を見て、あたしはとても後悔した。
あたしはマリーに笑っていて欲しいのに。
あたしはただマリーの立派なお姉ちゃんでいたいだけなのに。
本当にそれだけなのに……どうしてこんなにも上手くいかないの?
「ご、ごめんねマリー……ごめんね」
震える手でマリーを抱きしめながら、あたしは懸命に考えた。
このままのあたしでは駄目だ。
きっといつかマリーにも嫌われてしまう。
どうすればいい?
どうすればあたしはマリーの立派なお姉ちゃんに戻れるの?
そして考え続けて、あたしはベッドの中で思いついた。
そうだ。はぐれ集落に行こう。
あそこに戻れば、お父さんとお母さんの思い出もきっと戻ってくるに決まっている。
あたしの中にある怖い気持ちもそれで無くなるわ。
そうすればあたしは明日からマリーの立派なお姉ちゃんに戻れるの。
だから帰るんだ……。
両親との記憶が眠るあの家へ。
根拠なんてなかった。
ただ胸にぽっかりと空いた穴を埋めるものが欲しかった。
そうしてあたしはありもしない希望を勝手に掲げ、一人で家を飛び出してしまったのだ。
走って、走って、そして村を出て――
走って、走って、そして朝が来て――
走って、走って、そして力尽きて――
あたしはようやく自分が馬鹿なことに気付いたの。
ニョーデル村からはぐれ集落へは大人の足でも丸一日かかるのよ。
誰にも告げず、何も持たず、勢いだけで子供のあたしが飛び出すなんて非常識にも程がある。
「どうしよう……どうしよう……」
足を止めると後悔ばかりが溢れてくる。
あたしは勘違いしていた。
いつもマリーがいろんな所へ連れて行ってくれるから、簡単に遠いところへ行けると錯覚していた。
本当のあたしはマリーがいなければ満足に家へ帰ることもできないの。
マリーがいない。
それだけであんなに綺麗だったはぐれ集落への道が色褪せて写る。
二人で歩いていたときはあんなに軽かった足が、一人だと全然前に進まなくなる。
あたしは一人だとこんなにも無力なんだ。
『あたしがあなたを守ってあげる』
これはマリーが妹になってくれた時に交わした約束。
この約束と『コーカン』でマリーはあたしの家族になってくれたのに。
だからあたしは立派なお姉ちゃんでいようと思ったのに。
なのにあたしはあの子を守るどころか、きっと傷つけてしまった。
このままだとこの『コーカン』が成立しなくなる。
『コーカン』出来ないとマリーに嫌われたあたしは一人ぼっちになってしまう。
一度頭に浮かんでしまうと、そんな悪い考えがどんどん溢れてくるの。
もしもニョーデル村でマリーがあたしに失望していたら?
こんなに勝手なあたしのことをもう嫌いになっていたら?
いいえ、あたしに呆れてすでに大森林に帰ってしまったかもしれないわ。
いつの間にかあたしはその場に座り込んでいた。
ぐちゃぐちゃになった頭の中にあるのは、全部マリーのことばかり。
堰を切ってあふれ出した感情のせいで、あたしは大粒の涙が止まらなくなる。
「マリーに会いたい……
マリーに会いたいよぉ……」
みっともなく鼻水を垂らし、唇を震わせながら紡いだのはこの言葉。
自分が置いてきたくせに、とっても我がままな願い事。
そんな時、遠くから何かが聞こえたの。
ズシーン、ズシーン。
大地を揺らし、木々をなぎ倒し、何かが凄まじい勢いでやって来る。
ズシーン、ズシーン。
野獣? モンスター?
いいえ、違うわ。
あたしにはわかる。
だってこんなにも元気一杯で、こんなにも可愛らしい足音を出す女の子なんて世界で一人しかいないもの。
ズシーン、ズシーン。
あたしのことを迎えに来てくれたの?
嬉しい。
今すぐに会いたい。
そしてごめんなさいをして、いつものように抱きしめたい。
ズシーン、ズシーン。
でも駄目。絶対に怒ってるに決まってる。
会うのが怖い。
さようならをされるかもしれない。
もう二度と顔を見たくないと言われたらきっと耐えられない。
寂しがり屋のあたしと、怖がりなあたし。
そうやって二人のあたしが頭の中で騒ぎ始める。
会いたい。会いたくない。
会いたい。会いたくない。
会いたい。会いたくない。
でも本当は答えなんてわかりきっているじゃない――
「お姉ちゃん!」
振り返るとそこには、
この世界でもっとも大切で――
やっぱり会いたくてしょうがない存在がそこにいた。




