54話 ローズはマリーを想う(前編)
今回はローズ視点の物語になります。
あたしの名前はローズ。
もうすぐ十二歳になるヒト族の女の子です。
あたしのお父さんは元冒険者、お母さんは商家の出身で二人は駆け落ち夫婦なの。
元々、二人は王都で暮らしていたけれど、あたしが生まれる前に大森林の近くにあるはぐれ集落へ移り住んできたらしい。お母さんが変な人と結婚させられそうになったから一緒に逃げてきたとあたしは聞いています。
プロポーズの言葉は「君に一生美味しいお肉を捧げます」とのこと。
あたしもお腹一杯お肉を食べさせてくれる人と結婚したいなぁ。
はぐれ集落の暮らしはちょっとだけ不便だった。
ニョーデル村へ行けばシーちゃんという仲良しさんはいたけれど、お父さんやお母さんが忙しい時のあたしは一人のことが多い。他に子供もいないから普段は遊び相手がいなくてつまらないの。
だからあたしはある日、思いついたのだ。
「そうだ。美味しいものを探しに行こう」
なんとなく天気が良かった。
なんとなく体を動かしたい気分だった。
なんとなく美味しいものを見つけられそうな気がした。
そんな不思議な感覚に胸がトキめいたから――
本当は一人で行ってはいけない大森林へ、あたしは探検に乗り出した。
そしてあたしは出会ったの。
とっても素敵なエルフの女の子、マリーベルに。
この時にした『コーカン』をあたしはきっと一生忘れないと思う。
バケットサンドとリボン、そして名前を受け取り、「コーカン、コーカン!」と喜ぶマリーの満面の笑みはとっても愛くるしくて、正直ちょっぴりドキドキした。
おかげであたしはその日、興奮してなかなか寝付けなかったわ。
生まれて初めて見たエルフ族の女の子は、夜空の星が流れるように輝く金の髪と、森にある湖を写し取ったような深く蒼い瞳を持っていて、まるで物語に出てくるお姫様のようだった。
おまけに幼いから手もほっぺたもまだまだプニプニしていて、エルフ特有の尖った耳が感情に合わせてピコピコと動き回る姿は抱きしめたくなるぐらい可愛いの。
そして何より瞼を閉じると『コーカン』した時のマリーの嬉しそうな姿が浮かんでくる。
そのことを考えるだけで、あたしは何だか幸せな気持ちで胸がいっぱいになれたのよ。
それから数日後、あたしはもう一度だけ大森林に足を運んだ。
最初はもう二度と会えないと思っていたけれど――
念の為にあの場所へ行ったら、なんと驚いたことにマリーが駆け寄ってきたの。
「ローズ、コーカン! ローズ、コーカン!」
「も、もしかしてずっと待ってたの!?」
「……? コーカン!」
「ああ、やっぱりそうなのね」
言葉は通じなかったけれど、正解みたい。
その後も放っておくとずっと待っていそうだったから、あたしは頻繁にマリーの様子を見に行くようになった。
始めの頃、お母さんは大森林へ行くのを反対していたわ。
でもすぐに大丈夫になった。だってマリーはとっても強いのよ。大人でも敵わない魔物を簡単に倒してしまうから、むしろマリーと一緒なら安心して大森林で遊べるの。
マリーと『コーカン』した魔物を見るたびにお父さんが「ま、負けた……」と項垂れるのは少し可哀想だったけれど、お母さんは逆に大はしゃぎで、出てくる料理にはいつも涎が止まらなくなった。
あたしも遊び相手が出来てとっても楽しい日々を送れるようになったのよ。
それからあたし達二人は毎日のようにいっぱい遊んで、いっぱいお喋りをして、いっぱい冒険をしたの。
その間にもあたしはますますマリーが大好きになったわ。
ただ、たまにあたしの胸を揉んでくるのがちょっと心配かな。
一度、お母さんに相談したけれど「きっと母親が恋しくて仕方が無いのよ。だから少しぐらい許してあげなさい」と言われたわ。
でもマリーの親はユグドラシルっていう木のはずなんだけどなぁ……。
おまけに手つきも段々とえっちな感じになっていくのよ?
ほら、また今日も。
はんんっ……。
マリーは女の子……。
マリーは友達……。
変な気持ちになっちゃ駄目。
ちゃんと我慢しなきゃ。
お父さんとお母さんが亡くなった時、もしもマリーが側にいてくれなかったらあたしはきっとはぐれ集落から一歩も動けずに死んでいたと思う。
マリーが一緒だからあたしはあの場所から歩き出すことができた。
マリーのおかげであたしは諦めずに生きようと思えた。
貴女と出会えて、貴女が妹になってくれて、あたしは本当に感謝しているの。
きっとマリーは神様があたしに与えてくれたプレゼントなんだ。
なのに当の本人は次の日の朝には攻略本が神様からの贈り物だと浮かれているのよ?
もうっ、マリーはちっともわかってないわ。
そんなものより貴女の方が素敵な存在のに。
真っ白な攻略本を前にエルフ耳をへにょんとさせる妹の姿を見つめながら、あたしは密かに決意する。
「あたしだけでもしっかりしなきゃ」
世界で一番大事な女の子。
神様からの素敵な贈り物。
そんなマリーをお母さんたちの分まで絶対に大切にするの。
あたしの妹になってくれたことを絶対に後悔させないわ。
にぶちんのマリーの為にも、あたしは妹を守れる立派なお姉ちゃんになるんだ。
そうして始まったニョーデル村での姉妹二人の生活。
生きるために覚えないといけないことがたくさんあって、きっとあたし一人だったら簡単に挫折していたと思う。でもマリーの為だと思えば全く苦にならなかったわ。
ご飯もマリーがいろいろと獲ってきてくれるおかげでお腹一杯に美味しいものを食べることができた。
妹が美味しそうに食べてくれる顔を思い浮かべながら料理を作るのはとっても幸せで――
そして並んでご飯を食べるのはもっと幸せな気持ちになれる。
シーちゃんやサリーちゃん、そしてゴプララ。マリーと一緒に五人で遊ぶのも凄く楽しいわ。毎日が賑やかで、はぐれ集落で暇を持て余していた頃がまるで嘘のよう。
もうすぐニョーデル村から離れないといけないのは寂しいけれど……。
シーちゃんやサリーちゃんとはいつか王都で会うと約束しているの。
私もマリーと一緒に必ずニョーデル村へ戻ってくるつもりよ。
何度だって二人でこの村に遊びに来てみせるわ。
あたしがそんなふうに思えるようになったのもきっとマリーのおかげ。
マリーのおかげであたしは日々を前向きに生きていける。
マリーのおかげであたしは本当に毎日が楽しくて仕方が無い。
お母さんやお父さんがここにいないのは寂しいけれど――
あたしは大丈夫。
大丈夫なのよ?
……ごめんなさい。それは嘘。
本当は全然大丈夫じゃない時があるの。
時々、ふと気付くと両親のことで頭がいっぱいになる。
もしもあの日、はぐれ集落が無事だったら――
お父さんがいて、お母さんがいて……そしてマリーがいる。
そんな家族四人の生活がきっと待っていた。
大好きな妹と二人で日が暮れるまで遊び、その日の出来事をお母さんにお話するの。
きっとお母さんは「危ないことは駄目よ」とお小言を繰り返すけど、最後はお肉を前に微笑みながらあたし達の頭を優しく撫でてくれるのよ。
お父さんはマリーが獲ってくる獲物を見てきっと悔しがるわ。
でも「次こそは負けん」と立ち直って、あたし達の為にお肉を捌いてくれるの。
そして皆で一緒にご飯を食べる。
お母さんが美味しく料理するのをあたしとマリーも隣で手伝って、皆で仲良く机を囲むのよ。
お母さんは食事中にあれも食べたいこれも食べたいと我がままを言い始め、それを聞いたお父さんとマリーは明日はどっちが大物を狩ってこれるかで火花を散らす。
あたしはそれをクスクスと笑いながら眺めるの。
そして夜は家族で暖かい布団に並んで眠る。
ベットの中でお父さんとお母さんに挟まれながら、マリーと一緒に明日は何をして遊ぶか相談しているうちに眠りに落ちるの。
それはきっと、とてもとても素晴らしい日々で――
どんなに神様にお願いしても、もう決して手に入らないもの。
あたしの弱い心が創り出した悲しい妄想なのはわかっているのに――
そのことばかりを考えてしまう自分がいる。
一緒に遊んでいた村の子達が、親のいる家へと帰る夕暮れ時。
その幸せそうな後姿を見送りながら、あたしはいつも思ってしまう。
どうしてあたしの両親が死ななければいけなかったの?
そうして時々、泣きたくなる。
もっと一緒にいたかった。
ずっと一緒にいれると信じていた。
そうして時々、叫びたくなる。
お父さんやお母さんとお別れなんてしたくなかった。
もう一度だけでいいから二人に会いたい。
もう一度だけでいいから二人とお話がしたい。
もう一度だけでいいから抱きしめてほしい。
そうして時々、胸が苦しくなる。
でもこんなことマリーには言えないわ。
こんなに未練がましくて、格好悪いお姉ちゃんの姿を見せたくない。
だってマリーはとっても凄い子だから……私と違って一人でどこにだって行けるんだ。
だからもしもあたしが立派なお姉ちゃんでなければ、マリーはいなくなってしまうかもしれない。
あたしのことを嫌いになって、いつか大森林に戻ってしまうかもしれない。
そうなったら、あたしは一人ぼっちになってしまう。
だから大丈夫だと今日も自分に言い聞かせるの。
あたしはちゃんと立派なお姉ちゃんでいてみせるから……
お願いだからずっと一緒にいて、マリー。
こうして両親を失った悲しみは、いつの間にか、マリーを失うかもしれないという焦りに変わり。
あたしはそのことばかりを考えるようになっていった。