52話 マリーはローズを見失う
最近、ローズの様子が変だ。
私がそのことを確信するのに時間はたいして必要なかった。
表情はニコニコと明るく、私に対する態度も普段と一緒――
けれど、お泊り会の日からローズの行動には明確な変化があったんだ。
「ごちそうさま」
「……お姉ちゃん、本当にそれだけでいいの?」
今日も晩御飯を終えたローズのお皿を見て、私は盛大に首を捻る。
「もちろん、これで十分よ」
「でもいつもの半分も食べてないよ?」
今晩ローズの胃袋へ消えたのは、お皿一杯の普通盛りお肉炒めだ。
おかわり無しで増量も無し、おまけにデザートも無ければ、十八番の横領も無し……なのにローズは普通盛り一皿でごちそうさまをしちゃうんだよ?
常に神の舌をもって味を楽しみ、宇宙の如き胃袋をもって量を嗜む。そんなローズの食事量がお泊り会の夜以降、あからさまに減ったのだ。
正直、私は目の前の光景が信じられない。
だって彼女は命の危険すら顧みずにナナカラーバナルをぺロリといっちゃう女の子。肉を目当てに危険な魔物を相手にしても一歩も退かなかった食欲の持ち主だ。
そんな彼女の胃袋がこの程度で治まるわけないよ。
けど私がそう言うとローズは頬をプクーっと膨らませて抗議する。
「お姉ちゃんはあまりばくばく食べちゃ駄目なの」
なにそのルール……
ヒト族の決まりなのかな?
もちろん後でサリーちゃんに確認したけどヒト族にはそんなルールはないらしい。
それにローズは喉を盛大にゴクリと鳴らして、名残惜しそうに私のご飯を見つめているんだ。
未練タラタラなのに我慢しているのは誰から見ても明らかだった。
どう考えてもローズがおかしい。
それは段々と普段の生活にも現れるようになっていった。
それはいつものように村の中で一緒に遊んでいた時のこと。
何故かローズは急に立ち止まり、険しい顔をしてブツブツと呟き始めたんだ。
「あの時は確か……うん、大丈夫。覚えてる」
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「ううん、何でもないわ。行きましょう」
「……? ならいいけど」
けれどローズのこの行動は日に日に頻度が多くなっていった。
村の中でも森の中でも、突然辺りを見回すと思い詰めたように思考にふけるんだ。
そしてやがてそれに頭を抱えて悩む仕草が加わり始めた。
「これも……うん、覚えてる。あれは……駄目、何で思い出せないの」
そんな日のローズは必ず私とくっついて眠る。
けれど今までの優しい抱擁とは全く違う。普段より力が込められた彼女の腕は固く強張り、まるで私を逃がさないように押し付けられた胸はいつも小刻みに震えていた。
それに触れ合う肌から伝わる体温は、お泊り会の夜と同じでひんやりと冷え切っているのだ。
彼女が何か悩みを抱えているのは間違いないはずなのに――
けど私が何度尋ねても、帰ってくるのは決まってこの言葉だ。
「大丈夫よ。だって私はマリーのお姉ちゃんだもの」
それはいつもローズが私に向けてくれる優しい言葉。
この世界でローズと私だけに与えられた大好きな言葉。
寸分違わず同じ言葉のはずなのに……今は何かが違う。
かつてラーズ村の宴でリッツとサリーちゃんを見つめていた時のように――
かつて回復魔法を覚えたいと私に教えてくれた日のように――
ここじゃないどこか遠くを見つめる瞳で、ローズはいつもと同じ言葉を続ける。
「大丈夫。私は大丈夫だから……」
そうして明るかったはずのローズは塞ぎ込むことが多くなった。
食事の量もみるみる減り、逆に何かに怯えるように私のことを抱きしめる回数が増えた。
シール達も心配そうにしていたけれど、ローズはいつも「大丈夫」という言葉を繰り返すだけ。
私も元気付けようとしたけれど、結果は変わらなかったんだ。
そして決定的な出来事は交換所で起こった。
ローズの様子がおかしい。そんな私たちの話を聞いたマジルさんがあるプレゼントをくれたんだ。
「こいつは昔、お前のお袋さんがこの店に持ち込んだ物だぜ」
マジルさんからローズに手渡されたのは赤いリボンの巻かれた少し歪な形の麦わら帽子だった。去年の夏にローズのお母さんと交換したものが倉庫の奥に残っていたそうだ。
当時を思い出し、マジルさんは微笑ましそうな表情を浮かべていたよ。
「こいつはお前さんと二人で作ったんだろ?
お袋さんが嬉しそうな顔して自慢していたのを覚えてるぜ」
けれどローズの様子は違った。
受け取った帽子を見つめて、微かに声を震わせていたのだ。
「私が一緒に……? そう……でしたっけ」
ローズは帽子のことを覚えてなかったみたい。
しばらく眉間に皺を寄せながら唸っていたけれど、
「あ……思い出した。この帽子はお母さんに教わりながら私が編んだの。でも上手くできなくてこんなに変な形になって……」
ようやく記憶を手繰り寄せたローズは固くなった頬を綻ばせ、ほっとした表情をみせる。
その様子に私も安堵のため息をついた。
「お母さんとの思い出の品が見つかって良かったね」
「うん。本当に嬉しいわ……」
けれど返ってきたローズの声色は未だ震えたままで。
「また忘れていたのね……もっと頑張らなきゃ……」
憂いに揺れる瞳はどこか遠くを見つめていた。
そしてその日――
ローズは初めて晩御飯を食べなかった。
どう考えてもおかしいよ。
私は心配になって何度も何度もローズに訊いたんだ。
「ねえ、お姉ちゃん一体どうしたの?」
「何でもないわ……大丈夫、あたしは大丈夫だから」
絶対に嘘だ。
もう馬鹿な私にだってわかるぐらいローズは大丈夫じゃない。
「お願いだから教えてよ。心配なんだ」
「何でもないの……だからマリーは気にしないで」
そんなことできるわけがない。
私はお姉ちゃんが大切でたまらないんだよ!
でも嫌がるローズに何度もしつこく問いただしたのが不味かったのかな。
「あたしは大丈夫だから!!」
とうとう怒鳴られた。ローズにこんな態度を取られるなんて初めてだ。
まるでピシャーンと頬を叩かれたような怒声に驚いて、私の耳はピーンと硬直する。
怒られたから?
ローズの力になれないから?
どちらのせいかよくわからないけれど、鼻の奥がツンッと熱くなり、私の視界がじんわりと歪んでいく。
両目いっぱいに溜まる私の涙を見て、ローズはハッとした顔で口元を押さえると、すぐに私を抱きしめて謝っていた。
「ご、ごめんねマリー……ごめんね」
でも私よりもローズの方が泣きそうな顔をしているんだ。
私は馬鹿だからお姉ちゃんのために何もしてあげられないのかな?
そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。
だから私は神様に祈った。
今まで私を助けてくれたみたいに、必要なことを教えてください。
ローズがどうして困っているのか、いつものように教えてください。
お姉ちゃんのために、馬鹿な私に教えてください。
そうやって何度も何度もお願いしたけれど――
結局、攻略本に光が灯ることはなかったんだ。
意気消沈した私はエルフ耳を力なく垂らしながらローズとベットに入った。
私がすりすりと身を寄せると、ローズは無言で抱きしめてくれる。
でも肌が触れ合うほど近くにいるはずなのに、なぜかローズを遠くに感じる。
ずっと一緒にいるはずなのに、どんどんお姉ちゃんが私から離れていってしまう気がする。
だから私は絶対に離さないように小さな腕にきゅっと力を込めたんだ。
大丈夫。きっと明日になったらローズの変なのも元通りになっているよ――
そう自分に言い聞かせ、居心地のいいお姉ちゃんの体温に身を委ねて眠りについた。
そして朝になって目覚めると――
ローズは私の元からいなくなっていた。




