49話 マリーは異変に気付く(前編)
最近はよくローズと互いの言語の読み書きを『コーカン』している。
教材に使うのは、かつてワットから手に入れた真なる王の絵本だね。
ヒト族の文字が読めない私の為に、いつもローズがその本を読み上げてくれるんだ。
それはあるヒト族の王様が、たくさんの国の人たちと仲良くなって世界の大地を地球へ導き、そして楽園で平和に暮らすという物語だ。
幼馴染の人魚族や、喧嘩仲間の獣人族、酒飲み仲間のドワーフ族――
真なる王様にはたくさんの友達がいたんだけれど、私が一番気に入ったキャラクターは王様のことをずっと隣で支え続けていたヒト族の女の子だった。
その人は王様のお姉ちゃんみたいな人で、皆から聖女様と呼ばれていたんだ。
王様が悲しい時にはいつも側にいてくれて、困った時や大変な時にはすぐに駆けつけて助けてくれる。そして嬉しい時には一緒に笑ってくれる立派で優しいお姉ちゃん。
そんな聖女様と王様は最後に夫婦となって地球でいつまでも幸せに暮らすんだ。
聖女様はまるで私にとってのローズみたいな存在だね。
そう思って、私はちらりと隣にいる姉の表情を伺った。
この間の言葉が妙に頭に引っかかるんだけれど……。
駄目だ。やっぱり私はお馬鹿だからよくわからないや。
「あたしの顔どうかした?」
「……ううん、何でもないよ!」
胸の不安をかき消すようにローズへ曖昧な笑みを向ける。
きっと大丈夫。
このモヤモヤは頭の足らない私の勘違いなんだ――
この時の私はそうやって疑問を胸の内にしまい込んだのだ。
その次の日は朝からの雨模様。
マジルさんによるとこの雨が過ぎればきっと雪解けも進んで春になるそうだ。
雪で遊べるのもあとちょっとで寂しいね。
天気のせいで外にいけない私達は現在、交換所の隅を陣取って遊んでいる。
テーブルをはさんで座る私達の前に置いてあるのは縦8本×横8本のラインで構成された太いチェック柄の布だ。
この模様を利用し、同じく布で作った表裏の色が異なる駒を置いて自分の色の駒で相手の駒をはさみ、はさんだ駒をひっくり返すゲームをしている。
特にローズはこれを気に入ったようで、製作者のシルキーへ弾んだ声を向けているよ。
「本当に面白いわね、このオセロっていう遊び」
「うふふ、気に入っていただけたようで何よりですの」
シルキーもいろいろな物を作れるから嬉しそうにしているね。
このオセロを作った理由は、ゴプリダの依頼だ。
彼はいよいよイズディス村長と話し合いを始めたらしいのだが――
片やつい最近まで他種族に警戒心マックスだった族長。
片や誰の記憶にも残らない存在感の薄いヒョロガリ村長。
そんな二人には一つの問題があったのだ。
「気まずくて会話が続かないゴプ」
二人ともいい大人のくせに身も蓋もないよね。
というわけでゴプリン族連絡係である私は攻略本に祈ったのだ。
コミュ力低いおっさん二人が仲良くなれますように……と。
そして出てきたのが、これ。
ユグドラシル的ボードゲームの一つ、オセロ。
本当は暇なエルフが石を磨いて作るエルフ族の伝統遊戯ということになっているが、攻略本の情報でシルキーでも布オセロという代用品を作れることがわかったのだ。
おかげで長同士の対話は円滑に進んでいる……かに思えたのだが。
「ギャギャ、村長は待ったが多い。汚いゴプ!」
それで二人は喧嘩したらしい。
面倒くさいおっさん達である。
でも地団駄を踏むゴプリダを見て、私は思ったんだ――
「良かったね」
「何がゴプ?」
「喧嘩って人間同士にしかできないじゃん」
「……ギャギャ、その通りゴプな!」
その後、「仲直りしたから綺麗!」って、おっさん二人で叫んでたよ。
ゴプリン族がニョーデル村に住み着く日も近いかもしれないね。
今の時間は交換所も客足が途絶えて暇みたいだ。
シールとサリーちゃんのオセロ対決をマジルさんが物珍しそうに覗き込んでいるよ。
「ほぉー、こいつが噂のオセロってやつか」
「マジルさんは知ってるの?」
「ああ、王都の方では一部の貴族の間で人気らしいぜ」
それならもっとオセロが世の中に普及していそうなものだけど、そうではないらしい。
理由は渋い顔をしたマジルさんが教えてくれた。
「こいつはエルフ族の伝統遊戯なんだろ?
そういうのは商売人にとっては火種にしかならねえから迂闊に扱えねえんだ」
「ただの遊びなのに?」
「まあ嬢ちゃんはそう思うだろうが、種族の伝統ってのは厄介なんだよ。
どんな種族にも絶対に譲れない誇りってのがあるからな……
いつどこでそれに触れて争いになるか読みきれねえから商売には向かねえのさ」
その伝統を勝手に金儲けに利用して、種族全体から反感を買うと命がいくつあっても足りないそうだ。
だから種の伝統的な商品はその種族の経営する店でしか販売していない。
それがこの世界の商売人達が心掛ける最低限のルール。
故にエルフ族の遊戯は世に出回らず貴重なのだ。
理由は言わずもがなである。
シルキーによると、王都にあるオセロはおそらくアナンダのような自称勇者が路銀目当てに売り払ったものらしい。
「じゃあ、皆は将棋とかチェスも知らないのか」
「なんだエルフ族にはまだオセロみたいな遊びがあるのか?」
「ユグドラシル的にはまだまだたくさんあるよ」
エルフ族はこういう室内遊びの種類が凄く多いんだよね。
理由は言わずもがなである。
私の知っている未知の遊戯にローズは興味津々のようだ。
「一番面白いのはどんな遊びなの?」
その問いに私とシルキーは顔を見合わせると、揃って答えた。
「テーブルトークRPGかな?」
「あまりの面白さのせいで始めたエルフ達は最低でも十年は机から離れられないという闇のゲームですの」
そこで大活躍なのがエルフのおむつらしい。
理由は言わずもがなである。
シルキーが私の頭の上で口から血をダラダラと吐きながら教えてくれたよ。
「そうやってゲームに巻き込まれたわっちたちがシナリオと称して何をされたか知りたいですの? ねえ、知りたいですの?」
ううん、興味ないよ!
そして私は妖精を無視してエルフのおむつをローズに差し出したんだ。
「お姉ちゃんもやってみる?」
「いらないわ」
そしてローズと私はクスクスと笑い合った。
目の前にあるのはいつも通りの彼女の笑顔――
なんだ大丈夫じゃん。
その時の私は安易にそう考えていた。