終話 マリーは攻略本を手に入れる
ヒト族の集落に辿り着いた私達は、目の前の光景に愕然と立ち尽くしていた。
数少ない家屋は全て粉々に破壊され、あたりには大きな黒い塊が無造作に転がっている。
その黒塊がヒト族の死体であることを私達が理解するには、大して時間が掛からなかった。
焼け焦げているわけじゃない。本当に全身の色が漆黒に染まって、皆死んでいたんだ。
「嘘……そんな……なんで!」
ローズの家だった場所もただの瓦礫の山になっていた。あまりの変わりように震えるローズを支えながら、私は急いで瓦礫をどけて彼女の両親を掘り出したんだ。
けれど、私がローズにしてあげられることはここまでだった。
お父さんは既に全身が黒く染まってこの世を去っていて――
お母さんはまだ僅かに息があったけど、もう虫の息だった。
死に逝く母を、ローズと私は見ていることしか出来なかったんだ。
「いやぁ……お父さん……お母さん……」
ローズのお母さんも、ほとんど全身が真っ黒になりかけていて――。
どんどん黒く染まっていく母親にすがり付いて、ローズはずっと泣いてた。
お母さんによると、突然やってきた黒い靄の塊が集落を破壊していったそうだ。なんとかしようと靄に触れた者は、皆が真っ黒に染まって死んでしまったらしい。
ローズのお母さんはお父さんが庇ってくれたのと、駆け落ちの際に実家から持ってきた首飾りが身を守る魔法のアイテムだったから、即死は免れたんだ。
だけど黒い靄の力が強すぎて、もう自分は助からないとローズに告げていた。
「嫌だよ……お別れなんて嫌だよ……いかないで、お母さん」
ローズのお母さんは残された僅かな時間で、このあと娘にどうすればいいかを教えた。ローズはお母さんに抱きしめられながら、それを聞いてたよ。
それに、私のことも一緒に抱きしめて頭を撫でてくれたんだ。ローズにそっくりな優しい声と綺麗な顔で、マリーって呼んでくれた。
あと私もお母さんって呼んでもいいか尋ねたら、いいよって言ってくれたんだ。
少しの時間だけだったけど、とても暖かくて私もお母さんが大好きになれた。
そして最後にお母さんは私達へ、こう言い残して息を引き取った。
生きて。幸せになって。ずっと愛してるから。
とうとうお母さんも真っ黒になって、残ったのは私とローズだけになったんだ。
「どうしよう……わた、わたしっ、ひとりに……」
ローズは涙を流しながら、カタカタと震えていた。
わかるよ、私もそれが怖かったんだ。
だから、今度は私がローズを守るよ。
「大丈夫。マリーが一緒だよ」
「――っ、そうだね。ごめんね、ごめんね」
ローズは私を抱きしめると、それからずっと大声で泣いてた。
母親を、父親を、集落の皆のことを嘆いて、私を力いっぱい抱きしめて泣いた。
こんな時、どうすればいいんだろう。
それがわからなくて、ローズの胸の中でジーッとしていたんだけれど……
「マリー……。ありがとう」
泣き疲れたころにローズがそう言ってくれたことが、私にとっては救いだった。
私はちょっとでもお姉ちゃんの役に立てたのかな?
ノアの大地の至るところには『神様の像』と呼ばれる綺麗な女性の石像が存在する。
それはなぜか昔から決まった場所にあって、動かしたり壊したりしてもいつの間にか元通りになる不思議な石像らしい。何故か魔物が嫌がって付近に近寄らないことから、神様の像の周りに人々は町を作ったり、旅の休憩所にしたりするそうだ。
ユグドラシル的解釈を適用すれば、セーフゾーンと呼ばれるものである。
この集落も、森の近くにぽつんと建っていた像の周りに作ったんだって。
私達はその『神様の像』の側に皆を埋めた。
ローズは時々嗚咽を零しながらも、お母さんとの約束を守る為に歯を食いしばって作業に没頭した。
そして埋葬を終えてからは日が暮れるまでずっと祈りを捧げて、最後は体力と気力を使い果たして泥のように眠りについたんだ。
今、私達は神様の像の前で毛布に包まって夜を明かしている。
季節は冬に向かっているため、底冷えする寒さが肌を刺している。エルフは寒さに強いが、ヒト族はそれほどでもない。だからローズはきっと寒いはずなのに今夜は頑として動こうとはしなかった。私もそれでいいと思ったから側に寄り添っている。
ローズは私を守るって言ってくれた。
私が辛いと思っていた孤独から救ってくれた。
だから私は彼女にはいっぱい笑っていて欲しい。
でも涙を拭ってもローズの悲しい顔は晴れず、眠っている今でもずっと辛そうにしている。
彼女のためなら何だってしたいのに、私に出来ることって本当に少ないんだ。
ローズは私をいつも幸せにしてくれるのに、私は全然ローズに返せてないよ。
魔力があっても魔法を知らない。
ユグドラシルから貰った以外の知識もなければ、それを扱う脳みそも無い。
ただの力持ちではローズのお母さんを助けられなかった。
自分の不甲斐なさに打ちのめされ、自慢のエルフ耳もへにょんって項垂れてる。
ローズの為に私が出来ることは何だろう。
私の何を『コーカン』すればローズを笑顔にできるかな?
そうやって今までのことを思い返して私は気づいたんだ。
ああ、ローズがくれたものに応えるには、私の全部を使っても足りないや。
だから私は祈ったんだ。もうそれ以外に思いつかなかったから。
生まれて初めて、ユグドラシルの知識にあるエルフの祈りを神様の像に捧げた。
腕力もいらない。魔力もいらない。頑丈な体もいらない。
今までエルフの里から集めた戦利品や、こっそり森に隠してあるおやつ、ローズとの交流で得た宝物。
その全てを引き換えにしてもかまわないと心の底から思ったから。
私の大好きなお姉ちゃんに笑っていて欲しいと思ったから。
「お姉ちゃんが幸せになりますように」
両手を合わせて、良い神様にただ祈った。
「私の全部と『コーカン』するから、お姉ちゃんを幸せにしてください」
すると突然、身のうちから魔力が吸い取られる感覚が私を襲った。
びっくりして顔を上げれば、私の体から巨大な魔力が青い光の柱となって迸り、神様の像へと大量に流れ込んでいくのが見えた。
なんだこりゃ! と思ってたら、像がピッカピカに光って謎の声が聞こえてくる。
『思念波と魔力が条件を満たしました。これより地球の浄化状況を確認します』
ん? なんか言ったぞ?
なんかピコッ、ピコッ、ピコッ、って不思議な音が鳴ってるよ!
『環境オールクリア。以上をもって次のプロセスへ移行、箱舟帰還プログラムを起動する』
あわわ、なんか周りにいっぱい魔法陣とか出てきたよ!
スーって私の体をすり抜けてった。おまけに『候補者のオールスキャンを完了』とか言ってるよ!
超怖い。乙女の体に勝手になにしてんの?
『種族エルフ、個体名マリーベル、器の名は交換。
新たなる候補者。交換の王、マリーベルをここに承認する』
同時に周囲の魔法陣から何千何万というキラキラとした輝きの粒が広がる。
光の粒子は周りをクルクルと回りながら私の前に収束し、そして現れたのは両手で抱えるぐらいでっかい本だった。
「こ、これなに?」
その疑問に謎の声が一言だけ答えると辺りは再び静寂を取り戻し、私と寝息を立てるローズだけがその場に、ぽつーんと残される。
最後に残されたその言葉を私はたどたどしい声で呟いた。
「こうりゃくぼん……?」
それは言葉足らずな神様から私達への贈り物だった。
無駄にでかい本を抱えたエルフの少女は大層なアホ面だったと思うが、この時の私は天から与えられたその本の価値を全く理解できていなかったんだ。
この後、神様の『攻略本』のおかげで、私とローズは数え切れないぐらい様々な人たちと出会い、多くの物語を共に紡ぐのことになるのだが……。
正直、話したいことがいっぱいあってどこから話せばいいか分からないや。
だから、まず最初にこれだけは伝えておこう。
これは私がお姉ちゃんを幸せにする物語だ。