37話 マリーは攻略本を知る
殺して奪い合う。
それが攻略本を持つ者同士の運命
ゴプリダはその事実を伝えると無言で私を見つめ続けていた。
黒々とした宵闇の中で向かい合う私達の間にはナイフのように鋭い風が吹き抜け、相手を見定めるような視線が静かに交差する。
そして私はゆっくりと――
「……それでゴプリダはどうするつもりなの?」
その疑問を口にする。
「別に戦いにきたわけじゃないんでしょう?」
「何故わかるゴプ?」
それはきっと普通の人が見てもわからないだろう。
皆には彼らがただの魔物、ゴブリンにしか見えないのだから。
でも私はこのことをひと目見た瞬間に気付いていたよ。
「わかるよ。そんなに泣きそうな顔してたら」
「ゴプ達の表情までわかるなんて、オマエやっぱり大物!」
今までゴブリンとして他種族に迫害され続けてきたゴプリダは、私の言葉に何度も「ギャギャッ」と笑い続けた。
その表情も声色も相変わらず悲痛なものだったけれど、不思議とさっきとは違う気がした。
そしてゴプリダは私に攻略本について教えてくれたんだ。
「この本はひとつの種族につき一冊存在するゴプ。オマエのは『エルフ族の章』、ゴプのは『ゴプリン族の章』。使い方は同じゴプが、出てくる情報が少し違う」
神に祈れば物や魔法の情報、そして解決策が表示されるのはどちらも一緒らしい。
一番の違いは祈りに対してエルフ族の章はエルフに可能な手段で、ゴプリン族の章はゴプリンに可能な手段で、その解決策が表示されるということだ。
「攻略本を持つ者は『候補者』と呼ばれるゴプ」
「やっぱり私ってその候補者なんだ?」
「そう、ゴプもオマエも候補者。そして候補者ならば所持する攻略本にある魔法の認可条件から除外されるゴプ」
だから今まで使いたいと思っただけで世界から魔法の許可が下りていたんだね。
でもこの話はそんなに単純な話ではなかったのだ。
ゴプリダはあえて攻略本を私の前に突き出しながら、一つ一つ確かめるようにゆっくりとした口調で言葉を紡いだ。
「つまり、もしオマエがゴプを殺してこの『ゴプリン族の章』をこの場で手に入れれば……エルフであってもゴプリン族の種族魔法が使えるゴプ」
種族を超えて魔法を行使できる権利。
それは多分、私が想像しているよりもずっと凄いことなんだろう。
無知な私がローズを治療できた。
シルキーでニョーデル村に改革を起こした。
ユグドラシルの聖水でラーズ村を救った。
ローズの使いたがっていた回復魔法だって簡単に覚えた。
私が今まで行ってきたこと……
いや、これを手に入れればそれ以上のことが出来るのだ。
話の重要性を私が理解したことを確認すると、ゴプリダは静かに問いかける。
「ゴプは逆に聞きたい。このことを知ってオマエはどうしたいゴプ?」
それはつまりゴプリダを殺して本を奪うかってことだよね?
そんなの決まってるじゃん。
微動だにしないゴプリダに向かって、私は二カッと歯を見せて笑ってみせた。
「こんなの二冊あっても邪魔じゃん」
「ギャババ、確かにそうゴプな!」
持つ者にしかわからない攻略本あるあるだね。
ツボに入ったらしい。ゴプリダは今度こそ心の底から笑ってたよ。
そして彼はひとしきり笑い終えると――
「……すまん。謝るゴプ。
助けてくれたオマエのこと試した」
持っていた攻略本を地面に転がすと、その場にヘナヘナと腰を下ろす。
張り詰めていた空気が緩み、ゴプリダの顔には疲労の色が一気に噴出していた。
「……オマエのおかげでゴプ達は休める場所が出来た。
長い放浪生活でゴプ達はもう心も体も限界だったゴプ。
だからゴプはオマエに感謝している。
でもそれと同時に――
怖かったゴプ。オマエは強い、少なくともゴプ達を……いや、この村の者も含めて全員を一瞬で殺せるゴプ。今日その力を目の当たりにしてゴプはオマエを内心では悪魔のようだと思った」
その言葉に私の眉は少しだけピクッと反応した。
化け物の次は悪魔か。どいつもこいつもこんな美少女を捕まえて酷いよね。
ゴプリダはムッとする私に「スマン」と付け加えて話を続けた。
「そんなオマエがゴプ達と対等に取引すると言い出したことが心のどこかで信じられなかったゴプ。
実力があるもの、権力があるもの、数が多いもの、少なくともゴプたちはそんな奴らのせいで今まで痛い目にあってきたゴプ」
だからこそゴプリダは思ったのだ――
「オマエはいい奴ゴプ。でも気が変わらないとは限らない。
いつかオマエがゴプ以外の者からこの本の真実を知り、無理やりにでも手に入れたいと思ったら……
ゴプリン族は終わるゴプ。だから――」
そう、本当ならゴプリダは攻略本のことをわざわざ私に話す必要なんてないのだ。知らないフリをしてのらりくらりと情報を隠し、時が過ぎるのを待てばよかった。
ゴプリダが知らないと言えば、私は素直にそれを信じていただろう。
でもゴプリダはゴプリン族の族長としてそんな危険は犯せなかった。
イズディス村長がゴプリン族を村に受け入れられないのと同じように、ゴプリダにも族長として守らなければいけないものがある。
彼に必要だったのは皆に安息の地を与えること。
そして私の怒りを買わないように真実を話して穏便に事を進めること。
そして、その全てを得るために――
「ゴプの命と引き換えに、ゴプリン族を見逃してもらうつもりだったゴプ」
ゴプリダがずっと固い顔をしていた理由――
彼は私に殺される覚悟を決めてここに来ていたのだ。
なんと真面目というか、馬鹿正直というか……
「ギャギャ、ゴプ達は綺麗好き。だから嘘は苦手ゴプ」
「そんな生き方してたら本当にゴプリン族が滅んじゃうよ」
「かもな! だがそれでも種族として譲れないものがあるゴプ」
まったく、ゴプリン族って石に愛されてるだけあって石頭の頑固者だね。
だから私はきちんと伝えるよ。
ゴプリダの考えは見当違いだってさ。
「命なんて私はいらないよ。だってそんなことしたらゴプリダと二度と『コーカン』できなくなっちゃうじゃん!」
「なるほど……それがオマエの器ゴプか」
ゴプリダが何故か確信したように唸っていた。
器? 魔法の属性のことかな?
でもそんなことより、実は凄く気になっていることがあるんだ。
ゴプリダと会った瞬間からずっと思っていたことだけれど、タイミングを逃してずっと聞き損ねていた……もうそろそろいいよね?
それはゴプリダも同じ考えだったのだろう。
私達は互いの攻略本を交互に見つめてボツリと漏らした。
「オマエのでっかいゴプ」
「そっちはちっこくね?」
私の攻略本は両手に抱えるぐらの大きさなのに、ゴブリダの攻略本って普通の本のサイズなの!
あっちの方がめっちゃくちゃ持ちやすそうじゃん。
「なんでサイズ違うの?」
「……詳しいことは知らんゴプ。この攻略本はまだ仲間がいっぱいいた頃、ゴプ達のずっと前のご先祖達が全員で神に祈りを捧げて得たものゴプ。ゴプは族長として引き継いだだけ。オマエだってそうゴプ?」
「いや、なんか一人で祈ってたら勝手に出てきた」
「……やっぱりお前、大物ゴプ!」
何が可笑しいのか「ギャギャギャ」とゴプリダは笑っていた。
くそう、私ばっかりこんな面倒くさいサイズだなんて不公平だ。
まだヒトケタの美少女が直面するままならない現実。
マリーベルは理不尽を覚えたよ!
ちくしょう! と私がゴプリダを羨ましがっていると、とある人影が目に入った。
私はその人物を見て、ふふふっと口元を軽く吊り上げる。
「お迎えがきたみたいだよ」
「ギャギャ?」
ゴプリダが振り向いた先には、物陰からこちらを伺う娘のゴプララの姿があった。
「族長だか何だか知らないけど、娘に心配かけるようなことしちゃ駄目だよ。もしまた自分の命を『コーカン』に使うようなことしたら、エルフパンチしに行くからね!」
「それはたまらんゴプ。わかった、ゴプは約束する」
「オーケー。約束したからには守りなよ?」
「任せるゴプ。ゴプ達は綺麗好き。だから約束は汚さない!」
そしてゴプリダが両手を広げるとゴプララは小走りで駆け寄り、その胸へ飛び込んだ。
彼女は何度も「父ちゃん」と甘えるような声を出していたよ。
口に出さなくても父親の考えていたことがわかっていたんだね。
「これ、マリーベルにあげるゴプゥ」
やがて父親から離れたゴプララが差し出したのは、真っ白な小石に紐を通しただけのシンプルな首飾りだった。
「これは魔石で作ったマジックアイテムだゴプゥ。魔力を込めれば大切な人のいる方向がわかる。今度こそお礼に交換するゴプゥ」
これは万が一、父親と離れ離れになっても合流するためのアイテムらしい。
姿を消したゴプリダを心配して、彼女はこれで追いかけてきたんだね
うーん、でもゴプリダを殺さなかったから『コーカン』っていうのはあんまりなぁ。
そう思っていたら、ゴプララは首を横に振ったんだ。
「これは父ちゃんを叱ってくれたお礼ゴプゥ」
その言葉にゴプリダが気まずそうな顔をしていて、私とゴプララは思わず噴出した。
「ギャギャギャ」「あははは」笑い方は違っても、私達の気持ちは一緒だ。
こんなに楽しい『コーカン』なら私は喜んで受け取るよ!
「でも本当にいいの? 結構大事なアイテムなんでしょ?」
「ギャギャ。大丈夫、もうゴプゥには必要ない」
そうしてゴプララは父親と手を繋いで家へと帰っていった。
そう、彼らにはもう安心して眠ることのできる我が家があるのだ。
――離れ離れになった時のアイテムなんてもう必要ない。
仲良く並ぶ二人の背中でその意味を理解し、私はつい頬が緩んでしまう。
そしてゴプララから貰った真っ白な首飾りを空に掲げ、私は満足げに呟いた。
「これで『コーカン』成立だね!」
見上げた首飾りは夜空の星達と一緒にキラキラと輝いている。
こうして念願のゴプララと私の『コーカン』は無事に終わったのだった。
でもちょっと待って?
ゴプリダは殺される気で来たんだ。だから殺気なんて放っていなかったよ。
私は魔力と殺気を感じて表に飛び出したのに……
そう思って集中してみると――まだ魔力と殺気が残ってるよ?
すると近くの茂みから全裸に葉っぱ一枚のエルフが現れた。
なんだ。
犯人はオマエかアナコンダ。
「アナンダだ! そして例え聖剣を失おうと我は勇者だ。素手だろうと貴様を討伐するまであきらめ――」
「エルフパンチ」
「ぐばぁ!?」
キラーン☆と空の彼方へ
アナコンダは夜空のお星様になったよ!
「アナンダだぁー!!」
全く迷惑なやつめ。
プンプンだ。
そしてわたしはローズの眠るベットへと戻った。
布団をかぶり目を閉じると、瞼の裏に焼きついているのはあの親子の後姿だ。
繋がれた二人の手のひらを見ていると、ローズと共に大森林から飛び出したあの日を思い出す。
せっかく貰ったマジックアイテムだけど、私にはきっと使う機会はないね。
だってローズとはずーっと一緒にいるんだもん。
あの二人のように、私はこれからもローズの手を握っていくんだ。
そんな未来を思い描くと何だか嬉しくなってきて、私はお姉ちゃんに体をピトッとくっつけた。
するといつの間にかローズの目がうっすらと開かれていたんだ。
「お疲れさま。偉かったわね、マリー」
「お姉ちゃん、起きてたの?」
「うん、少し前からだけどね」
随分と眠そうだけれど、ローズはゆっくりと首を縦に動かした。
そして「おいで」と両手を広げてくれたので、私はその胸の中に身を寄せる。
その時間が余りにも幸せ過ぎて猫のようにゴロゴロと喉を鳴らせば、「マリーは甘えん坊ね」とローズは微笑み、私のへにゃへにゃになったエルフ耳をそっと撫でた。
そして私達はたわいのない話をする。
シールやサリーちゃんと遊んだときのこと。
マゼットさんとの勉強会のこと。
ゴプリン達の家を作った今日のこと。
かつて大森林の野生児と食いしん坊として過ごした大切な思い出をなぞるように。
今は家族として、姉妹として、この暖かな時間を過ごす。
やがて互いの体温が伝わり、私の意識が徐々に夢の世界へと落ちてゆくとローズはおやすみの代わりに優しい囁きをくれる。
「マリーは悪魔でも化け物でもないわ。『コーカン』が大好きな女の子で、あたしの妹よ」
その言葉がとっても嬉しいのに、
もっと起きてローズとお話していたいのに、
夢の世界に片足を突っ込んだ私は「おねーちゃん……」と呟くのが精一杯だった。
だから最後にローズが零した言葉を聞き逃してしまったんだ。
「大丈夫。私は『コーカン』したんだもの……だから大丈夫……」
もしもこの時、ちゃんとしていれば――
私はローズを泣かせずにすんだのかな?




