19話 マリーは熊をモフる
ゴルゴベアードの大きな一つ眼が、私達を真っ直ぐに捉えていた。
私の暮らしている小屋より倍以上大きい奴の体は、漆黒と銀の入り混じった体毛に覆われている。
ベースは熊のようだが、頭には羊のような独特な曲がりの角があり、口からは大きな二本の牙が飛び出していた。腕と足も巨体に見合う太さがあり、周囲の家屋をメタメタに傷付けたであろう鋭利な長い爪も持っている。
そして奴が凶悪に息を吐く姿を見て、私は確信していた。
駄目だ。こいつ触れるものみな傷つけるタイプだ。
つまり見境なし。昔のギラギラハートだった私と一緒だよ!
案の定、ゴルゴベアードはうなり声を上げてリッツへと襲い掛かった。
「リッツ、危ない!」
私は両親を庇うリッツの前に立ち、ゴルゴベアードの爪を蹴り上げた。
バキッ!!
爪は根元からぶち折れて空を舞い、クルクルと綺麗に回転してリッツの両親ギリギリへと突き刺さる。おまけに振動で周囲の石像はカタカタと揺れ、今にも倒れそうだ。
あ、あ、あ、危ねえー!
あと少しでマリーベルは前科持ちだったよ!!
やっぱりここで戦うのは駄目だ。人命救助じゃなくて大量殺人になっちゃうよ。
くそう、本来は皆の石化を解いた後に、森へゴルゴベアードをしばき倒しに行く予定だったのにぃ。
とりあえず私は暴れるゴルゴベアードの足を掴んで、リッツから急いで引き離した。その間も抵抗する魔物の四肢が、樽や柵を紙切れのように壊していく。私も何発か殴られ、ローズも衝撃を受けてたけれど、お互いシルキー装備のおかげで無事だ。
こいつをこのまま握りつぶせればいいんだけれど、太いから無理だ。それに中途半端に攻撃して暴れられても面倒だ。
エルフパンチは……マジでいろいろ吹っ飛ぶ。さっき爪が地面に刺さっただけで危うかったもんね。マリーベル最強にして万能技であるエルフパンチだと確実に何人か逝っちゃうよ。
うーん、どうしよう。
そう悩んでいるとローズが叫んだ。
「ならアレをしましょう! 昔、マリーが教えてくれた『ハッケヨイ』の掛け声で始めるエルフの遊び。確か名前は……」
「相撲?」
「そう相撲! マリーの力で村の外までこいつを押し出すのよ」
ローズが石像も家も無い方向を指差してくれる。
ならば私のすることは一つだ。その場で四股を踏んで、ハッケヨーイ……!
「「ノコッタ、ノコッタ!!」」
ローズと掛け声を合わせ、ゴルゴベアードの足に体を密着させると、私はどんどん前進を始める。熊さんは「ウガアアアア」と暴れて押し返そうとするが、抵抗など無意味だ。
グイグイ、グイグイ。
マリーベルは押し出すよ!
ゴルゴベアードの踏ん張る足が、一歩押されるごとに大地をえぐる。
みるみると村が耕されていく光景に驚愕しながら、リッツは半泣きで叫んだ。
「な、何なんだよ、スモウって!」
そんな彼へ私とローズは同時に答えた。
「「ユグドラシル的国技だよ!」」
ローズの目論見は大成功だ。少しばかり壁や物置小屋を壊されてしまったけれど、私達はゴルゴベアードを村の外まで押し出すことに成功した。
「やったー、マリーベルは勝ち星を挙げたよ!」
「ちょ、ま、まだ終わってないわ!?」
うん、目の前に物凄い形相で睨む熊さんがいるね。
両手を挙げて勝どきをあげた私に、ゴルゴベアードは巨大な爪を振りぬいた。
鋼の肉体を持っていても私の体重は軽い。気を抜いていたこともあり、押される圧力に負けて私は後方に吹っ飛ばされた。強い衝撃のせいで大籠にいるローズも悲鳴を上げている。
更に奴は「グラァァァ!」と大きく口を開き、魔力の篭ったブレスを吐き出した。
シルキーの服がバチバチと火花を上げて反応する。これが例の石化の篭った息なのだろう。私の魔力とあいつの魔力がぶつかり合っているのだ。
「……っ、この! よくもやったな!!」
あいつは私だけではない、ローズにも危害を加えた。
ユグドラシル的にもマリーベル的にも、その行為は万死に値するのだ!
そして……もう手加減の必要は無い!!
私は見事に着地を決めると、押さえていた魔力の蓋を解放する。
全身から光が湯気のように立ち上り、高密度な魔力が私の体を覆い始める。怒りに任せていつもより多めに引き出した魔力は、私の肉体を黄金色に輝かせていた。
「粉々にしてやる……!」
周囲の木々は巨大な力の影響で細かく振動を続け、舞い落ちる木の葉は私に触れると蒸発して、この世から消滅する。この力であいつをぶっとばす。
いざゆかん。
マリーベルは戦闘モードだよ!
「待って、マリー!!」
いきなりローズに肩を叩かれた。
どうしたの? と振り返ると……涎まみれの食いしん坊がいた。
「アレ……美味しいのよ。粉々になんかしちゃ駄目!」
「こんな時に何言ってんの?」
「『あいつの肉を食った瞬間、美味すぎて鎧も服も弾け飛んでしまった』、これはかつてゴルゴベアードの討伐に関わった兵士達が口を揃えて言った台詞よ。故にあの魔物に付いたあだ名は『弾け食いのゴルゴベアード』。
口に含んだ瞬間に広がる不思議な甘み、そして上質な肉の柔らかさが与える溶けるような食感。繊細なバランスを持っているにも関わらす、その両方が舌の上で傍若無人に暴れまわるまさに静と動を兼ね揃えた食材。昔マリーに話した『裸の王様』という物語は、本当はこのゴルゴベアードの肉を食べた王の成れの果てなのよ」
「大事なことだから二回言うよ。こんな時に何言ってんの!?」
でも遅かったみたい。いつの間にかローズの眼が据わってる。
手遅れだ。ローズも戦闘モードに入ったよ!
「無理だよ、もう魔力解放しちゃったもん。ここから急に下げるとか出来ないよ。
知ってるよね、私は手加減が苦手だってさ!」
試しにその辺の岩を軽く殴ったら、周囲の地面ごと消滅しちゃったよ。
「今回は諦めよう、お姉ちゃん。ね? ね?」
「マリー……。ゴルゴベアードはお肉だけではなくて、ギャングリーウルフのように毛皮や骨も価値があるわ。だから……いっぱい『コーカン』できるわよ?」
その瞬間、ぐいんっと私の中で天秤が傾いたよね!
ローズは十一歳に思えないような色気を漂わせながら、私の頭をそっと撫でた。
「それでいいの。マリーは正義の味方でも、親切なエルフさんでもないわ。ただの『コーカン』が大好きな女の子で、私の妹よ」
「このタイミングでその台詞は止めてよぉ!」
前々回の感動が台無しだよ!!
でも従うことにする……『コーカン』したいからね。
いざゆかん。
マリーベルはローズの手のひらでコロコロ転がるよ!
「どりゃぁぁぁ――!!」
「グゴォォォ――!!」
村外の荒野でエルフと魔物の叫びが木霊する。
ゴルゴベアードは石化ブレスを何度も放っていたが、効果が無いことを理解すると、大きな爪や強烈な体当たり主体の攻撃へと切り替えた。相手を仕留める知能は高いのだろう、時折スキを伺っては鋭い牙でかみ殺そうと顎を開いてくる。
モフッ。
巨大な体躯のくせに動きも早い。下手に眼を離すと、一足飛びに間合いが詰められ懐を取られる。おそらくこの俊敏な動きは普通の人間には対処不可能だろう。
モフッ。モフッ。
しかもこの熊は石化以外の魔法も使えるようだ。口から何度も魔力の塊が発射され、周囲の木々がなぎ倒されていく。私は頑丈だから片手で弾いてやったけど、誤って村へ飛ばないように気をつけなくちゃね。
モフッ。モフッ。モフッ。
ん? さっきから何をやっているのかって?
これは攻撃ではない、タッチだ。モフッ。モフッ。モフッ。
私はとってもヤバイ魔力を解放しているから、下手に攻撃したらゴルゴベアードなんて一瞬で消し炭。イコール、『コーカン』不能。
故に優しく、心から気を使って、ものすごーく手を抜いて、熊さんが木っ端微塵にならないようにそっと体に手を触れ、溜め込んだ魔力を打ち込んでいる。
とりあえずパンチやキックなどの攻撃動作は一切禁止。細心の注意を払え。
熊さんを愛して撫で回す。
マリーベルは『おさわり』を覚えたよ!
かわして、モフッ。
しゃがんでモフッ。
ジャンプしてモフッ。
また近づいてモフッ。
「モッフモッフ祭りじゃ――!!」
ヒット&ウェイならぬ、モッフ&ウェイ。しかも超高速移動により、周囲にはたくさんの私の残像が生まれている。おっきな熊さんと戯れるエルフの美少女達という素敵な光景の完成だ。
ちなみにおっぱいもモフッとしたけど凄く硬かった。やっぱりローズが一番だね。
モフッ。モフッ。モフッ。モフッ。
かつてマジルさん相手に覚えた気遣いの心。そしてローズ相手に行った手加減の特訓。その全てが私の中で血肉となり、『おさわり』という新スキルを躍動させる。
ぬっはっはっ。
マリーベルはおさわりのレベルがぐんぐん上がっていくよ!
「グロォォォ……」
何百回というお触りを繰り返すと、徐々にゴルゴベアードが弱り始める。その場で膝を突き、腕の振りも遅くなると、うなり声は弱弱しいものへと変わってしまった。
口から魔法を放とうと足掻いていたが、うまく魔力を操ることすら出来なくなり、とうとう私にされるがままの状態になってしまう。
モフッ。モフッ。モフッ。モフッ。
ついにゴルゴベアードの巨体は大地へとひれ伏した。何度かビクビクと痙攣した後に、奴の大きく鋭い一つ眼は硬く閉じられる。そして二度と開くことはなかった。
名付けて『モフ殺し』。
マリーベルは新技を編み出したよ!
見事な完全勝利。
これでお姉ちゃんも大喜びだ。
そう思って私は大籠へ満面の笑みを向けたんだ――
けどローズは青い顔をして口を押さえていた。散々、高速で跳ね回っていたからね。シルキーの服でも今回の振動に耐えられなかったようだ。
「――っうぷ。ご、ごめんマリー……もうダメぇ……」
そして私は頭から美少女のゲロゲーロを引っかぶった。
…………………………
……………
………
やったぜ、ユグドラシル的ご褒美の大盤振る舞いだ。
ミッションコンプリート。
マリーベルはご満悦だよ!




