17話 マリーはコーカンを始める
交換所の地味な扉が慌しく開かれ、同時に来訪者が現れたことを鈴の澄んだ音がチリンと告げる。
その音と共に屋内へ飛び込んできたのは、赤毛の男の子と女の子だった。
二人は兄妹なのかな? 少し丸っこい顔つきがどことなく似ているけど……私は初めて会う子供だ。
でもマジルさんは二人のことを知ってたみたい。
「ラーズ村の兄妹じゃねえか」
「マジルさんの知り合い?」
「ああ、二人は隣村の村長の子供だ。何度か会ったことがある」
男の子は十二歳のリッツ、女の子は六歳のサリー。二人はニョーデル村から歩いて半日ほどのところにあるラーズ村の住人らしい。
お使いにきたのかな?
でも何だか二人の様子がおかしいや。妹のサリーはその場でしゃがみ込んで泣き出してしまい、兄のリッツも肩と声を震わせながらマジルさんへと詰め寄った。
「頼む、村を……皆を助けてくれ!」
「どうした、何かあったのか?!」
「ラーズ村がモンスターに襲われたんだ……」
泣きじゃくる妹をあやしながら、リッツはラーズ村に起こったことを語る。
最初の異変は若い狩人の集団が次々と行方不明になったことだった。いつまで経っても戻らない若者達を探しに、何人もの大人たちが森へ入ったそうだ。
「けど誰も戻ってこなかった。だから父さんが教会のある町へ行って冒険者に依頼したんだ。原因の調査と行方不明者の捜索の両方を」
自分達の手には負えないと判断したラーズ村の村長により、教会からすぐに冒険者が派遣されてきたらしい。彼らは今日の朝一番に森へ調査に向かったのだが――
「冒険者が森へ入ってしばらくしたら、突然村に家ぐらいでかい一つ目の熊の魔物が現れて、それで皆は……そいつの吐く息で石にされちまったんだ。俺と妹はたまたま村の端で遊んでいたから助かったけど、他は一人残らず……」
「石になっただと!? 石化させる巨大な熊、おまけに一つ眼……まさかゴルゴベアードが出たってのか!? マジか、マジでか!!」
同時にマジルさんは盛大なお漏らしをかます。
一つ眼のゴルゴベアードとは非常に獰猛な熊の魔物らしい。人間など簡単に丸飲みできる巨躯を持ち、鋭い爪と素早い動きで馬車を一瞬で粉々にしてしまう凶悪な魔物だ。
そして魔力の篭った息により相手を石化させるやっかいな能力を持っているらしい。
でもどうしてゴルゴベアードはラーズ村へやってきたんだろう?
村にある神様の像へ魔物は近寄れないはずなのに。
「そいつはちっと違うぜ、嬢ちゃん。神様の像の効果は絶対じゃない。いくつか例外が存在するんだ。おそらく予想だが……今回はその例外の一つ『怒り』だ」
マジルさんによると魔物は神様の像に『近づけない』のではない。嫌がって『近づかない』だけなのだ。
だから我を忘れるほどに怒り狂った魔物には像の効果がないらしい。
「像を避ける理性を失ってるからな。そうなりゃ、奴らは神様の像なんて関係なしにやってくる。
おそらく森に入った冒険者の奴らが不用意に攻撃しちまったんだろう。たまにあるんだ中途半端に実力のあるやつが迂闊に手を出したせいで、魔物が理性を失い村や町に被害を及ぼすことが……」
相手の力量を測り、そうならないように配慮することも冒険者に必要なことだそうだ。
経験者であるマジルさんは歯がゆそうに拳を握っていた。
「おじさんは元冒険者なんだろ? 頼むよ。皆を助けてくれよ!」
「……無理だ、相手が悪すぎる。ゴルゴベアードは領主様に軍の派遣を要請しなきゃいけねえレベルだ。俺なんかが下手に手を出しても被害が広がるだけだぜ」
リッツとサリーは涙を流しながら、何度もマジルさんに懇願していた。
けれどマジルさんは黙って首を横に振るだけだ。
「私が行ってエルフパンチしてこようか?」
「いくら嬢ちゃんでも危険過ぎる。奴の危険度はギャングリーウルフの比じゃねえ。その正義感は立派だが、今回は流石に無茶だ。それに石化の問題もある。どっちにしろ討伐して終わりの案件じゃねえんだ」
この村にも石化状態を治す薬はあるけれど、数は少ない。ラーズ村の全員を元に戻すことは出来ないそうだ。流石のエルフパンチでも石化は治せないもんね。
領主に報告して軍を出してもらい、同時に石化を解く薬や魔法使いを連れて来てもらう。それがゴルゴべアードを発見した際の正しい対処法らしい。
「ただ石化ってのは時間が経てば経つほど解除が難しくなる。今からどれだけ急いでも、この辺境に軍が着く頃にはもう……」
間に合わないだろう。
マジルさんは私にだけそう呟き、村長へ報告する為に飛び出していった。
ラーズ村の兄妹はペコロン茶を飲んで、徐々に落ち着きはじめた。
「この雪の中……こんな辺境まで領主軍が来るなんて一体いつになるんだよ」
ようやく現実を把握したリッツが悔しそうに口ごもる。
大人の足で半日、子供なら本来もっとかかるだろう。けれど二人は村の皆を救いたい一心でこのニョーデル村まで走ってきたのだ。
元冒険者だと以前、自慢げに話していたマジルさんなら何とかしてくれる……それだけがきっと二人の心の支えだったのだ。
助けが間に合うといいな。私がそう思っていると――
「あなた……エ、エルフさんなの……?」
いつの間にかサリーの幼い瞳が私のエルフ耳に釘付けになっていた。
よっぽど気が動転していたんだね。リッツも今更エルフの存在に気づいて大口を開けてるよ。
幼子サリーのために、私はわざと耳をピコピコさせてエルフサービスをしてあげた。
「そういえば最近、ニョーデル村にエルフさんが住み着いたって噂になっていたわ」
ふふふ、噂になるほどの美少女。そうです私がエルフのマリーベルです!
「聞いた話だと交換とペコロン茶が大好きで、なぜか服を着ていない女の子だって……」
気が動転していたからじゃなくて、全裸じゃないから気づかなかったのね。
ごめん、最近は脱いでないんだ。お姉ちゃんに怒られるからさ!
するとサリーは私の手を強く握って言ったんだ。
「エルフ族って魔法をたくさん知っているんでしょう? お願い、お母さん達を助けて!」
潤んだ幼女の瞳が上目遣いで私を見つめているよ。
むむむ、ごめん。石化とか初めて聞いたし、魔法も一個しか知らないんだ。
そう口を開きかけると、サリーは私に小さな赤い実を差し出した。
「ザッカルーの実よ。今はこれだけしかないけれど、助けてくれたらお腹いっぱいに……。いいえ、一生お腹いっぱい食べさせてあげるから!」
サリーちゃんってば、強引に赤い実を私の口にねじ込んできたよ……。
でもとても強い甘みと適度な酸味が口の中に広がって美味しいんだ、これが。
うん、これ木苺じゃん。
ザッカルーっていうのはエルフ語で『木苺』のことか。
「凄いね、これ。大森林にあったのよりも味が濃厚でおいしいや」
「ラーズ村周辺のザッカルーはこの味なの! 私、頑張って集めるから……だから……」
サリーは懸命に木苺の良さをアピールし、リッツも「お、俺も集めるの手伝う!」と身を乗り出してきた。
マジルさんに怒られるかもしれないけど正直に告白していい?
ぶっちゃけ、欲しいよ!
これ美味しいもん。
エルフパンチで魔物倒したら、お腹一杯食べてもいいの?
この味ならペコロンのつまみにするも良し、ローズにお願いしてお菓子にしてもらうも良しの素晴らしい『コーカン』じゃないか。
断言しよう。マリーベルはめっちゃ物に釣られてるよ!
サリーちゃんってば幼女なのに見事な一本釣りだよ!!
しかも幼女からの一生のお願い。
ユグドラシル的には命を掛けるに値する案件だ。
あー、でもマジルさんが駄目って言ってたっけ。そもそも石化を治せないと意味ないんだ。
その辺、何とかできないかな?
私が石化の治療も出来たら、マジルさんもオッケーしてくれると思うんだけどなぁ。
したい。神様、マリーベルはとっても『コーカン』がしたいよ!
そんなことを考えていると、突然ローズが驚きの声を上げる。
「マリー、攻略本が!?」
その指の指す先では、攻略本が白い光を放っていた。
まさか……また?
そう思った私は迷わず攻略本のページ開く。
「これなら何とかなるんじゃない……?」
現れたページの情報を読み上げ、私はだらしない笑みを零していた。
こんな状況だけどごめんね。
マリーベルはもう『コーカン』しか頭にないの!
するとローズが私専用の大籠を笑顔で差し出した。
「行くんでしょ? マリー」
「お姉ちゃん?」
意外だ。ローズは真面目だから「危ないから駄目!」と言うかと思ったよ。
「まさか、私はマリーベルツアーの常連よ?」
ローズはもの言いたげな視線を私に向ける。
そうだね。そういや昔から魔物の群れに突っ込んで遊んでたよ。確かに今更だわ。
お姉ちゃんってば私のせいでかなり修羅場慣れしてるよね!
「マリーは正義の味方でも、親切なエルフさんでもないわ。ただの『コーカン』が大好きな女の子で、あたしの妹。そして……今はニョーデル村交換所の店長でしょ?」
そして私たち姉妹は互いにくすくすと微笑を交わす。
「店長は『コーカン』したいんでしょう?」
「へへへ、私のお姉ちゃんはやっぱり最高だね!」
攻略本の導きにより活路は得た。ならばもはや私を止められるものなどいない。
だから私は戻ってきたマジルさんに向けて宣言する。
一日だけの、ニョーデル村交換所の店長として――
「それじゃあ行こうか。マリーベルは『コーカン』を始めるよ!」




