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 俺たちは、再び陸上部の部室へと戻って来た。

 扉を開けて中に入ると、磯子に言われた通りに、まだ寒河江も村雨もここに残っていた。二人とも、さっき来た時と同じところに、同じような体勢でいる。


「どうしたんですか? 血相変えて」


 寒河江が俺たちを見て驚く。しかし、それには答えずに、磯子が村雨を見て言った。


「すみません。少しの間、席を外してもらえませんか。彼――寒河江くんと、少し詳しくお話がしたいので」


 エレベーターの中で、その逃走した人物の正体は二人に明かしていた。そう、この寒河江太一こそ、あの時英介を突き飛ばして、トイレから逃げ出した人物なのだ。

 しかし、何のことやらわからない村雨は、怪訝そうに眉を顰めつつ、部室を出て行った。

 それを見送ってから、俺は寒河江に向き直った。


「貴方が嘘を吐いているということは、もうわかっています。貴方こそ、英介の目撃した、現場から逃走した人物だったんですね」


 寒河江は目を丸くした。


「な、何をいきなり。どうしてそんなことが言えるんです? そう言うんなら、証拠でも見せてくださいよ」


 そう言いつつも動揺しているのか、口調は吃っているし、たどたどしい。

 俺はまったく意に介さず、平然と言った。


「証拠なら、いくらでもありますよ。まずはその靴。スパイクを普段履きにするのは珍しくはない、と貴方は言いました。確かにそういう人もいます。でもまさか――」


 言いながら、俺は寒河江の足元に近づき、その靴を掴んで持ち上げ、靴底を見せつけた。


「あっ!」


「ピンの付いたままのスパイクを、普段履きにする人はいませんよね?」


 寒河江の履いているスパイクには、ピンが付いたままだったのである。一センチ足らずの小さな針だ。


「これくらいの短いピンなら、上からちょっと見ただけでは、付いているかどうかはわからないですからね。でも、さっき英介に指摘されて、咄嗟に隠そうとした時、妙な金属音が聞こえたんですよ。あれは、床とピンが擦れる音だったんです」


 慌てた寒河江は必死に俺の手を払いのけて、足を椅子の下に隠した。しかし、そんなことをしても、もう既に遅い。


「おそらく寒河江さんは、水浸しになった現場で、すっかりびしょ濡れになってしまっていた。このままの格好では確実に怪しまれてしまうと、慌てて部室に戻って着替えようとしたんです。しかし、その時既に、部室にはランニングから戻って来た村雨さんがいた。今の格好を見られれば、後々警察に何を言われるかわかったもんじゃありません。それで、彼に見られないように、こっそり扉の近くに落ちていた服をくすねて、一階下のトイレに向かった。そこの個室で着替えたんでしょう。しかし、ここで大きなポカをやらかしたことに気付いたんです」


「替えのために盗った靴が、ピンの付いたままのスパイクだったってことか……」


 納得したように、磯子が呟く。

 俺は頷いて、先を続けた。


「そうです。

 しかしもうどうしようもありません。ずぶ濡れの靴のままでは、確実に疑われる。だから彼は仕方なくそれを履くしかなかった、というわけです。部室に戻った時には磯子さんとばったり出くわしてしまい、着替えるなと指示されてしまいましたから、ここからさらに着替えてしまえば怪しまれる。部室には村雨さんもいるから、迂闊に動くこともできない。それで、そのまま履いておくしかなかったんですね」


 寒河江はしかし、まだ言い逃れようとする。


「ど、どうしてそこまで言えるんですか? 僕はこれから練習に行くところだったんだ、ってさっき言ったじゃないですか。ピン付きのスパイクを履いて何が悪いんです?」


 浅薄で姑息な弁解だ。俺は鋭く指摘する。


「ほう、それはおかしいですね。確かに貴方は先程、練習に行くところで刑事さんと出くわした、と言いました。しかし、”これから着替えて”、とも言っていた。貴方の服装がその時点から変わっていないことは、こちらの刑事さんからも確認は取っています。つまり、その時既に貴方は、その競技用のスパイクを履いていた。これは矛盾していませんか?」


「で、でもそれだけで……」


「何なら、下のトイレを調べてみましょうか。処分する時間なんてなかったはずですからね。今もまだそこに着替えた服が残っていると思いますよ?」


「そ、それは……」


 即座に切り返され、口籠って黙ったまま俯向く寒河江。暫く唇を噛んだまま、口惜しそうにしていたが、急に肩の力を抜いた。

 ようやく観念したのか、大きな大きな溜息を一つ吐いた。


「はあ、やっぱり、こんなんじゃあ、ただのその場しのぎにしかなりませんよね。そうです。僕ですよ。そこの彼を突き飛ばして、あのトイレから逃げたのは」


「じゃあ、君が犯人だったのか」


 早計な結論を出す磯子。しかし、寒河江は目撃された逃走者ではあるが、殺人犯人ではない。


「それは違いますよ。殺人は彼の仕業ではありません」


「そうです、僕は殺してなんかいません! 絶対に、誓って、それだけは違います!」


 彼もまた必死で否定した。首を激しく左右に振っている。


「で、でも……それなら、あの物音と悲鳴は?」


 英介は腑に落ちないとばかりに尋ねる。


「物音はともかく、悲鳴は死体を見つけた寒河江さんのものだろうね。違いますか?」


「そうです」


 俺が確認をとると、彼は小刻みにうんうんと頷いた。それから立ち上がって急いでロッカーに向かい、中をゴソゴソとやり始めた。十八番と番号の振られたロッカーだ。恐らく、彼の使っているものなのだろう。

 寒河江はやっとの思いで奥の方から引っ張り出したその紙片を、磯子に突きつけた。


「これを見てください。放課後、練習に行こうと思ってここに来たら、それが僕のロッカーの中に入っていたんですよ」


 受け取った磯子は、そこに目を走らせながら、文面を読み上げた。


「試験の不正のことがバラされたくなかったら、今日の午後五時、この棟の四階東トイレに来い。そこで待っている」


 磯子はその脅迫状めいた紙を俺たちにも見せた。

 文字は黒の明朝体で淡々と書かれてある。パソコンで作られ、印刷されたようだ。これでは筆跡から足がつくことはない。


「不正については、本当のことなんですか?」


「……」


 磯子に追求され、顔を背ける寒河江。その心中を察したのか、磯子が言った。


「今回のことで、それを問題にするつもりはありません。我々はあくまで、殺人事件について調査しているのです。ですから、本当のことを教えて下さい」


 それでもまだ少し渋っていたが、結局寒河江は全てを白状した。


「……はい、そうです。だから僕は、その脅迫状の指示通りに、あのトイレに向かったんです。入ってみると水浸しでしたけど、仕方なく中に入りました。そしたら、急に大きな物音がして、個室の中から宗田が倒れてきて……。駆けつけて脈を測ったんですが、もう駄目でした。そこへ誰かが近づいてくる足音が聞こえてきて、もうパニックでしたよ。慌てて逃げ出したものの、見られてしまった以上、このままではマズい、と……。後は、その彼の言った通りです」


「でも、それなら、あの服装は? 四々本と同じ格好していたのは、どう説明するんだ?」


 英介がずっと抱えていた疑問を吐き出した。

 しかし、当の寒河江は意味がわからないようで、首を傾げている。


「――? どういうことですか? 確か昼に見た四々本は、薄い赤のTシャツに、濃いグレーのパーカーで、黒のチノパンだったはずですけど、僕がその時着ていたのは、白いシャツに明るいグレーのパーカーと濃い青のチノパンですよ」

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