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6

 現場のトイレは、床に張った水が抜かれ、死体のあった位置に白いテープで型取りがされている以外には、変わったところはなかった。蛇口は発見当時のように上を向いているままだし、床に散乱したブラシや雑巾といった掃除道具もそのままだ。

 俺はトイレの更に奥へと進んだ。

 死体が倒れていた、一番手前の個室の前まで来る。個室のドアはそこだけ外側に開いていて、中の様子が伺えた。

 転がったバケツ、そしてホース。ここにまで清掃道具が散らばっているのだ。


「こんなに掃除道具があちこちに散らばってますけど……、これは最初から?」


 俺は後ろについてきてきた磯子に尋ねた。藪下はああ言っていたが、彼にしてみれば、やはり一学生に現場を不用心に嗅ぎ回られるのは、気が気ではないらしい。


「あ、ええ、そうです。きっと犯人と被害者が乱闘でもしたんでしょう」


「そうですか……」


 バケツを拾い上げ、まじまじと眺めまわそうとすると、磯子が慌てて忠告に入った。


「あっ、触ってもいいですけど、ちゃんと元の場所に戻してくださいよ」


 適当に返事を返し、バケツをよく見てみると、取っ手の所に白い紐が縛り付けられていた。しかし、紐の先はすぐに途切れてしまっていて、ほとんど結び目の部分しか残っていない。

 今度はホースを手に取った。真っすぐに伸ばそうとしてみると、随分と長いホースのようで、二メートルほどはあるだろうか。穴の中を覗き込んでみたり、ぐねぐね動かしてみたのだが、しかしこちらには特に何もないようだ。ただの弾性の強いホースである。

 俺はホースを床に戻そうとした。だが、


「あれ?」


 手袋にホースが引っ付いて、離れないのだ。何故だかベタベタしているらしい。やっとの思いで引き剝がすと、忌々しくホースを見つめながら、元の場所に返した。

 次に俺は屈んで、遺体のあった場所の周りを、よりよく調べてみようとした。

 その時、ずぶ濡れになった自分の靴が目に入った。

 今までそれどころではなかったので殆ど感じなかったが、こうして意識してしまうと、途端に足元が気持ち悪くて仕方がなくなる。

 早く家に帰って靴を脱ぎたいものである。

 しかし今は、手がかりを探すのが先だ。

 さらに俺は視点を移す。

 すると、個室の扉の蝶番に、白い紐が引っかかっているのを見つけた。両端が千切れてしまっている、僅か五センチ程度の紐だ。バケツの取っ手についているものとよく似ているが、僅かにこちらの方が細い気がする。

 

 これは――、


 その時、俺の一連の動作を入り口の近くからじろじろと観察していた藪下が、突然わざとらしい大きな溜息を吐いて手袋を外し、それを磯子に押し付けた。


「あー、儂、用事を思い出したさかい、ちょっくら出てくるから、後は任せたで、磯子」


 有無を言わさぬ口調でそう言うと、あたふたと困惑している磯子が止める間もなく、藪下はトイレから出て行った。

 取り残された磯子は、呆然として立ち尽くすばかりである。


「そ、そんな殺生な。ベテランの藪下さんとだから、今回は安心だと思ってたのに……。それが、こんなオカルトな事件になるなんて、聞いてないよう」


 がっしりとした体格に、似つかわしくない弱々しい声。すっかり音を上げてしまっていた。

 俺はその姿に何だかとてもいたたまれなくなって、彼の肩をポンと叩いた。


「まあ、そんな気を落とさないでくださいよ。大丈夫です。この現場から逃走して、英介に目撃された人物の正体は、もうわかりましたから」


「ええっ、本当かい、それ」


 信じられないとばかりに、目を丸くする磯子。

 しかし、端から見ていた英介は、腕を組んで言った。


「おいおい、正体も何も、さっき俺が言っただろう。あれは四々本だって」


 もしも英介の言う通りならば、これはもはや警察の手に負えるような代物の事件ではなくなってしまうだろう。真相はそんなオカルトとは、全く関係がないのだ。

 俺ははっきりと言い放った。


「違うんだよ。あれは四々本じゃあない。だから勿論、ドッペルゲンガーでも、バイロケーションでもないんだ」


 俺は二人を従えて、トイレから出た。


「さて、それじゃあ今からその人物を問い質しに行こうじゃないか」


 向かう先は地下だ。俺たちはエレベーターに乗り込んだ。

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