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 磯子は、今度は俺たちを一階上、地下一階の陸上部の部室へと連れて行った。

 先程と同じように中に声をかけてからノックをして、俺と英介、そして老警部を先に通す。

 こちらの部室もかなり酷い有様だった。靴はひっくり返ってロッカーの上。ユニフォームはぐちゃぐちゃに洗濯籠の中。中と言っても大半がはみ出てしまっているし、入りきらずに床に落ちたままのものもある。名札がないので誰のロッカーかはわからないが、手前の十番のロッカーなどは、扉が開いている上に、中の荷物は溢れ返っていて、今にも雪崩を起こしそうだ。

 うちのサークルの部室も汚いが、ここやバスケットボール部には足元にも及ばないだろう。

 臭いの質も全然違う。うちの部室は埃の臭いだが、こっちは殆ど汗である。

 部屋の中には折りたたみの椅子がいくつか並んでいて、その一つに男が座っている。もう一人は壁に寄りかかってスマートフォンをいじっていた。

 椅子に座っていた男が、俺たちの姿を認めると小さく頭を下げた。


「あ、どうも」


 スマートフォンの画面に夢中になっていた男の方も、画面から目をそらさずに、どうもと小さく呟いた。

 座っている男はジーパンに白シャツ、その上にカジュアルな紺のジャケットを身に着けている。壁に寄りかかっている男の方は、汗だくでタオルを首に巻き、タンクトップに短パンという格好だ。


「それで、どうなんですか? 篤を殺した犯人は見つかったんですか?」


 男に矢継ぎ早にそう訊かれ、磯子は狼狽の色を見せた。


「あ、いえ、それが、恥ずかしながら、実はまだでして……。それで、寒河江さんにも少しお伺いしたいことがありまして。あ、勿論、村雨さんもご協力をお願いしたいのですが」


 磯子は座っている男を見て寒河江、壁に寄りかかった男を見て村雨と呼んでいた。


「あれ、これ、スパイクですか? 普段から履いてるんですね」


 英介が寒河江の足元を指差して尋ねた。彼が履いているのは、鮮やかな水色のスパイクだ。

 彼は肩を竦めた。指摘されると恥ずかしくなったのか、足を椅子の下に持っていった。キッと金属を擦り合わせたような音が小さく鳴る。


「まあ、そんなに珍しくはないですよ。そういう人もいます」


 その会話を聞いて、ようやく顔を上げた村雨が、俺と英介の存在に気づいた。


「ってか、刑事さん、その二人は?」


「ああ、こちらは、我々の協力者です」


 磯子がさっきと全く同じ表現で俺たちを紹介する。


「協力者、ねえ……」


 それでも腑に落ちないのか、村雨は俺たちを不審そうに眺めまわしていたが、そのうちまた視線はスマートフォンの画面に戻った。


「それで、何か聞きたいことでもあるんですか?」


 寒河江が磯子に向き直る。

 磯子は手帳を開いた。


「あ、はい。今日の午後五時の前後で、お二人がどこで何をしていたのか、お訊きしたいのですが」


「僕は一つ下の階にあるトイレに行ってましたよ。どうにも腹の調子がおかしくて、時間がかかってしまって……」


 まじまじと刑事に見られながら、自分の腹事情のことを話しているのが恥ずかしいのか、寒河江は頬を赤くして頭を掻いていた。


「なんとか用を終えて、急いで着替えて練習に行こうと部室に戻ろうとしたら、丁度そのドアの前で刑事さんと出くわしたところで」


 彼は二人の刑事を見返した。磯子はうんうんと頷いて、やはり手帳に書き加えていく。老警部の方は、相変わらず何もメモしていない。自分からは何も問い質そうともせずに、ただただ黙ってじっと凝視しているだけだ。


「村雨さんのほうは? 随分とずぶ濡れという感じですが……」


 磯子が少し鋭い口調で尋ねた。現場のトイレが水で溢れていたから、その濡れているという点が引っかかったのだろう。

 しかし、現場の状況まで詳しく聞かされてはいないのか、村雨は少し語気を荒らげて、不愉快さを表した。


「そりゃあ、外でランニングしてきたんだから、汗かいて当たり前でしょう。着替えようと思ったのに、あんたたちがダメだって言うから、仕方なくこんな格好のままでいるっていうのに、ったく、冗談じゃないよ」


 思わぬ反撃を食らい、磯子は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。


「どうもすみません。失礼しました」


 素直に下手に出て、頭を下げる磯子。彼の態度はドラマで見るような刑事とは大分違うように思えた。

 村雨はそれで少し落ち着いたのか、息を吐いてアリバイについて詳しく話し始めた。


「外をランニングしてきて、疲れたから少し休憩しようと思って部室に戻ったら、この騒ぎで。ぶっちゃけ、これからバイトもあるし早く帰りたいんだけど、まだダメなんすか?」


「お手間を取らせてしまってすみません。まだ暫くはお待ちいただくことになると思います。ところで、そのお二方のアリバイを証明できる方はいらっしゃいますか?」


 磯子はそれでも顔色ひとつ変えずに、丁寧な口調である。


「う~ん……」


 寒河江が腕を組んで難しそうな顔になった。


「いないですねえ。まさかトイレの個室の中に二人で入るなんてこと、ありませんからね」


 と、軽く冗談を飛ばす。しかし、顔は全く笑っていなかった。同じく、と村雨も証人はいないようだ。


「成程成程。ありがとうございました。申し訳ありませんが、引き続きご協力お願いします」


 嫌そうに顔を顰め、小さく舌打ちをする村雨を尻目に、俺たちは陸上部の部室から退出した。


「う~ん」


 顎を押さえて唸っている俺を見て、磯子は不審そうに尋ねてきた。


「どうかしたんですか?」


「いや、実は――」


「小僧、あの兄ちゃんのこと――」


 唐突にどすの効いた濁声が背後から聞こえた。

 振り返ると、それが藪下の発した声だと分かった。今思えば、彼の声を聞いたのは、この時が初めてだった。小柄で痩身な体格に似合わない威圧感のある声である。

 考えると磯子のほうもいかつい顔に似合わず優しげな声だから、二人の声を入れ替えたら少しは外見のイメージに近くなるな、などと思った。


「あいつが怪しいと思うとるんとちゃうんか?」


 かなり訛りがきつい。関西弁のようにも聞こえるが、少し違うように思う。一体どこの出身なのか。

 それにしても、彼の声質で訛りがあると、まるでその方面の人物のようで随分と恐ろしく聞こえる。


「え、ええ。リアクションが変というか、何というかこう……引っかかるんですよ」


「そう……なんですか?」


 刑事だというのに、磯子の方は全く気付いていないようだった。先を急いでいるのか、手帳を確認して、ずんずんと歩みを始める。


「兎に角、次へ向かいましょう。次は被害者のゼミの担当をしている湯地ゆじ教授と寒河江さんたちと同じく陸上部の四々本順(ししもとじゅん)さんです」


 磯子は再びエレベーターに俺たちを乗せ、今度は現場となった四階のさらに三階上、七階で止めた。磯子の案内でその一室である講義室に足を踏み入れると、中には学生と教授が微妙な距離を空けて椅子に座っていた。

 湯地教授のほうは白髪を蓄えたいかにもと言った風情の老齢な男である。立派なスーツに身を包んで、何か分厚い本を読んでいる。びっしりと紙を文字が埋め尽くしているそれは、どうやら洋書のようだ。

 四々本のほうは――と、目を向けたとき、英介の動きが固まった。殆ど同時に、俺も動きを止めて、学生の容姿に目を奪われた。

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