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「――それで、警察を呼んだということですな。成程成程」


 俺と英介が説明した事件の概要を、手帳にさらさらと認めていく上背のある刑事。いかにも武闘派といった出で立ちの彼のスーツは、厚い胸板でパツパツに張っている。顔の輪郭もごつく、正方形に近い。短く刈り上げた髪、太い眉に腫ぼったい瞼、そして分厚い唇は、まさに暑苦しそうな熱血漢という印象を与えてくれる。

 磯子いそごと名乗った彼の階級は警部補で、その上司であるという藪下やぶした警部は隣で黙って俺たちを見つめている。見つめている、というより、睨んでいる。あるいは、観察している、と言った方が正しいか。

 こちらは磯子とは対照的に背が小さく、痩せ細っている。蛇を連想させるような、丸いが鋭い目に、細長い面立ち。そしてその顔には、これまでの年月や苦労を感じさせるような、いくつもの深い皺が刻まれている。中でも目を惹くのは、頰についた大きな傷の跡だ。何かで切られたと思しき生々しいその跡のせいで、いくら柔和に顔を緩めてくれたとしても、こちらとしては逆に肩に力が入ってしまうだろう。それが今は俺たちを睨んでいるのだから、何も悪い事などしていないというのに、余計に縮こまってしまう。


「それで、犯人は見つかりそうですか?」


 英介がおずおずとそう尋ねると、磯子は快活に大きく笑った。


「いや、ご心配には及びませんよ。お二人が早くに入り口を固めてくだすったおかげで、随分と捜査もしやすくなりました。周辺に聞き込みした結果、死体発見から我々の到着まで、この建物から出た人物は目撃されていないことがわかっていますし、一、二階の窓には鍵がかかっておりました。犯人は今もこの建物の中にいる可能性が高いでしょう。いやはや、中々に古い建物のようで、監視カメラの類もなく、苦労しましたよ。――ん? いや、失礼」


 藪下が肘で磯子を小突いた。余計なお喋りが過ぎるという意味だろうか。


「屋内にいた人物のうち、被害者である宗田篤むねたあつしさんを知っていた者は僅かに五人です。死体発見時、この講義棟にいた全員に聞き込みをして、彼の交友関係を洗い出した結果、この五人以外は本当に知らないと見て間違いありません。すなわち、有力な容疑者はこの五人というわけですな。そこで、今から彼らにもう一度話を聞きに行くのですが、お二方は実際に現場から逃走した、犯人と思しき人物を目撃しておられるわけですよね? 是非とも我々と同行してもらって、その容姿に近い人物がいれば、教えていただきたいというわけなのです」


「そういうことなら、もちろん協力させてもらいますよ」


 英介は即座に答えた。結構な大役を任された緊張からか、顔が僅かに強張っている。

 俺自身はその逃げた犯人を見たわけではなかったが、英介から大体の格好は聞いていたし、それに見たと言っておけば、あわよくば捜査についていけるかもしれないと踏んでいた。

 今まさに、その予想は正しいものとなったわけだが。


「でも、さっきのその言い方だと、まるで犯人は被害者の知り合いにいるように聞こえますけど、どうしてそうだとわかるんです?」


 英介が首を傾げて尋ねると、磯子が手帳をパラパラと繰り始めた。しかし、それを藪下が止めに入る。そこまで教える気はないようだ。

 仕方がないので、俺が代わりに答えることにした。


「簡単なことさ。現場が大学構内のトイレともなると、通り魔というのも考えにくい。それに、死体を見つけた時、凶器は被害者の胸に刺さっていた。背後からならともかく、正面から急所である心臓を一突きとなると、顔見知りでないとまず難しいだろ。ですよね、刑事さん?」


 磯子の方を向いて確認を取る。


「え? あ、ああ……」


 どうやら俺の推理は当たっていたようで、磯子はぽかんと口を開けていた。藪下の方は、驚くわけでもなく、視線を全く動かさず、爬虫類のようなぎょろっとした目つきで俺たちを見ているだけだ。

 英介が成程と手をポンと打ち、納得する。


「まあ兎に角、我々についてきてください。その五人にはそれぞれ別々の場所で待機してもらっています。まずは被害者とは高校からの付き合いだという、鳴瀬行介なるせこうすけさんです」


 磯子はそう言って、老警部を後ろに従えて歩き始めた。

 この講義棟に一つしかないエレベーターのホールに到着すると、ボタンを押して地下二階に向かう。

 講義棟の地下は運動部の部室となっている。今の時間は大半の運動部員が練習に出ているため、この辺りの人通りは少ない。閑散とした廊下に人の姿はなく、地下のせいで窓もないので薄暗く、寂れた印象だ。コンクリートの壁にはヒビが入って、まるで網の目のようになっている。天井についた蛍光灯はどれもこれもチカチカと点滅していて、まるでお化け屋敷だ。

 地上と地下とでは、同じ建物でもその印象はがらんと変わる。陽の当たらない地下は、冷たく暗く、陰鬱とした空気が佇んでいるのだ。

 その薄暗い廊下の突き当たりにある、『籠球部』と表札のついた扉の前まで来て、磯子がようやく立ち止まった。


「警察の者です。失礼します」


 律儀に二度ノックをして、中からの返事を待ってから、磯子は扉を開けた。老警部を先に、その次に俺たちを通し、自分は最後に入って静かに扉を閉めていた。

 部室の中は雑然としていた。というより、はっきり言って散らかっていた。脱ぎ捨てられた靴や着替えが床やベンチに散乱している。ロッカーの上の方にも道具や着替えが乱暴に乗っかっていて、荒らされたのではないかと疑うほどだ。おまけに汗臭い。酸い臭いが鼻について、俺は噎せ返りそうになった。

 その汚いベンチに座って、ベラベラと喋っていた二人は、俺たちの姿を認めると立ち上がり、軽く会釈をした。


「ああ、どうも。えっと……そちらの二人は?」


 二人のうち半袖短パンの男が、俺たちを掌で示して見下ろした。左腕を骨折しているのか、包帯を巻いて固定している。隣の男は似たような格好の上にジャージを羽織っている。二人とも百九十は優に超す程の身長があり、体格のいい磯子と並んでも、彼の方が大きいくらいだ。


「こちらのお二方は我々の協力者です」


 と磯子は適当に返して、さっさと本題に入った。


「早速ですが、今日の午後五時前後で、貴方がどこで何をしていらっしゃったのかをお聞きしたいのですが」


 午後五時と言えば、俺たちがトイレで死体を発見した時刻である。いわゆるアリバイ調査というやつだ。目の前で刑事モノのドラマでしか見たことのないやりとりが、本物の刑事と容疑者の間で交わされている。

 俺は不謹慎にも少し興奮してしまった。


「さっきも軽く言いましたけど、その時間はここでこの伊勢谷いせやとずっと喋ってましたよ。見ての通り腕をやっちゃってますから、部活もできませんしね」


 半袖の男がジャージの方を顎で示してそう言った。どうやら、この半袖のほうが成瀬行介らしい。そしてジャージの方が伊勢谷という名前のようだ。


「そうですか。他に誰かいらっしゃいませんでしたか?」


「ええ。他にも何人か部員はやってきましたよ。入れ替わり立ち替わり、結構頻繁にね。確認してもらえばわかると思いますけど」


「成程――」


 頷きながら、磯子は手帳にペンを走らせる。


「どちらかがトイレに行かれたりは?」


「ないですね」


 にべもなく即答する鳴瀬。


「そうですか。そちらの――伊勢谷さんはどうですか?」


 磯子が、今度は伊勢谷に向かって問いかける。


「いやあ、付け加えることはありませんよ。彼と一緒です。まあ僕の場合は、身体が怠くてやる気が出ないから、サボってたっていうだけですけど」


 どうやら伊勢谷は、宗田とは直接の関係がないようだ。磯子が特に言及していなかったというのもあるが、警察からの取り調べにも、まるで他人事のように素っ気なく、自然体で答えているところを見ると、そう考えるのが妥当だ。


「成程成程。わかりました。どうもありがとうございました。しかし捜査が一段落するまでは、引き続きこちらに残っていただくことになります。どうかご協力のほど、お願いします」


 磯子と老警部は頭を下げて、部室を後にした。俺たちもその後に続く。

 扉を閉めると、磯子はすぐさま手帳をめくって確認した。


「次は被害者と同じ陸上部に所属している、寒河江太一さがえたいちさんと村雨竜一むらさめりゅういちさんです」

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