第八話 はじめてのクエスト(前編)
「はぁなんか疲れた……」
ムーンボウ自治区冒険者ギルドの宿舎の一室。
晴れて結菜の部屋となった443号室に備え付けられているベッドに結菜が倒れこむ。
「……あの、せめて人が来ているときにそういったことはしない方がいいと思いますよ?」
結菜に続いて部屋に入ってきたアンゼリカがそんな結菜の態度に対して苦言を呈す。
しかし、結菜は彼女のそんな言葉など気にする様子もなく、ベッドの上から動かない。
「まったく……困ったものですね。まぁ慣れない土地で気疲れするというのはわからなくもありませんが……」
アンゼリカがため息交じりにそんな言葉を結菜の背中にぶつけるが、結菜の疲れの原因の一つにアンゼリカの行動が含まれていることは自覚していないのだろうか? いや、してないだろう。あくまで予測の域を出ないが、彼女の中では、作戦がうまくいったから問題ないという結論が導き出されているような気がする。
彼女の性格はまだ把握できていないのだが、表情とか声のトーンだとかそういったあたりを加味して導き出した予想だ。ある程度の自信はある。
「……ユイさん。少しぐらい話をしませんか? あなたがいた世界の事でもいいですし、これからの事でもいいですから。まぁ私の個人的な興味を優先するならあなたが生まれ育ってきた世界のことを深く知りたいですし、ギルド職員という職務を全うするならこれからのことを話すべきだという程度の違いなので好きな方を選んでもらっても構いませんよ」
彼女の言葉を聞きながら、結菜は重い体をゆっくり起こしてベッドに座る。
そして、ふと思ったことをつぶやいた。
「……なんか落ち着かない」
ベッドで少し横になったというのにまったく疲れが取れる感覚がない。
少し横になったぐらいで簡単に疲れが取れるのかと聞かれれば、そうではないかもしれないが、なんとなく疲れが取れるような気がしないのだ。
普段とは全く違う出来事が連続し、その疲れを癒すために帰る場所もこれまでの自宅とは全く違う環境の部屋……落ち着かないのは当然かもしれない。
こういった急激な環境の変化に対して、結菜よりももう少し鈍感なら押し寄せる疲れに身を任せてこのまま眠れてしまうのだろう。しかし、結菜の体は環境の変化に敏感に反応し、それを許さない。こういったのをホームシックというのだろうか?
そんな結菜の言葉を聞いたアンゼリカは顎に手を当てて少しだけ考え事をするようなしぐさを見せる。
「そうですか……でしたら、クエストの受領から達成報告までの流れの実践も兼ねて買い物にでも行きますか? 残念ながら、あなたがいた世界の部屋を完全に再現するというのはできませんが、似たような家具や小物の一つや二つは見つかるはずです。それにギルドの事だけでなく、この町のことも知ってほしいですから」
「クエストの受領から報告までの流れを実践って、OJTでもするの?」
「オージェーティっていうのが何か知りませんけれど、あなたの世界ではそういうのでしょうか? まぁとりあえずやってみましょう。依頼主は私、アンゼリカ。依頼内容は私の買い物に付き合うこと。報酬は好きな家具もしくは小物を一点。ただし、金額の上限はムーンボウ金貨で5枚まで。以上の条件でCランク冒険者ミカゲユイを指名。こんな具合でどうですか? このクエスト受けますか?」
アンゼリカは小さく笑みを浮かべながら首を少しだけかしげる。多少面倒な気もするが、どこかの魔物を討伐して来いなどといわれるよりは数段ましかもしれない。
「……受けるわ。そのクエスト。詳しく話を聞いてもいいかしら?」
「そういってくれると思っていました。それではクエストの流れの解説も含めて説明しますのでホールへと向かいましょうか」
アンゼリカの提案を受けて結菜はゆっくりと立ち上がり、部屋の入り口に立っているアンゼリカのそばまで歩いていき、彼女の横を通り抜けて扉を開ける。
結菜が部屋から出ると、そのすぐあとについてアンゼリカが部屋から出て、すぐにカギを閉める。
「あぁそういえば、まだこの部屋の鍵を渡していませんでしたね。あなたに渡すつもりで受け取ってきたのにすっかりと忘れていました」
アンゼリカは手に持っていたカギをそのまま結菜の方へと差し出す。
「それもそうね。私もすっかりと忘れていたわ」
家が決まったのにそのカギを受け取り忘れていた。今更ながら気付いた事実にあきれながらも、結菜は素直にカギを受け取る。
カギを渡して両手が開いたアンゼリカはそれを頭の後ろで組んで歩き出す。
「さて、改めてホールに来ましょうか。ついてきてください」
「えぇ。お願いするわ」
正直な話、まだ自力ではホールにたどり着けない。
わざわざ口に出さなくてもアンゼリカはそのことを察しているのか、それ以上は何も言うことなく結菜の斜め前に出てある始める。
結菜は小さく笑みを浮かべてその背中を追いかけて歩き始めた。
*
冒険者ギルドの一階にあるホールには相変わらずたくさんの人であふれている。
中でも一番人が集まっているのは中央にあるクエストが掲示されている掲示板だろう。
「はーい。通りますよ。ちょっと失礼します」
掲示板の周りに集まる人たちの間を縫うように移動してアンゼリカが掲示板の方へと向かう。
結菜も周りの人に頭を下げながらその背中を追いかける。
ラッシュ時の都会の通勤電車のように人が密集しているわけではないが、人が多いという事実には変わらない。
アンゼリカは掲示板の前に到達すると、懐から羊皮紙と羽ペンを取り出し、サラサラと何かをしたためてそれを掲示板に張った。
文字が読めないのでわからないが、掲示板に張ったあたり、先ほど部屋で口頭で言っていた内容を正式なクエストとして掲示したのだろう。
「さて、改めましてこの掲示板が今このギルドに掲載されているクエストの一覧です。クエストには様々な種類がありまして、魔物の討伐から護衛任務、単なるおつかいまで様々です。今回は私の買い物に付き合うというないようですので、部類としては単なるおつかいですね。そして、クエストを受ける条件は二つ。一つ目は各クエストに設定されている条件を満たすこと。もう一つは依頼人と直接会って合意を取り付けること。今回の場合、条件としてミカゲユイを指名していて、依頼人との合意もすでに取り付けてあるのでここはクリアです。さて、それでは私が先ほど掲示した依頼書を手に取ってください」
アンゼリカに言われるまま結菜は掲示板に手を伸ばして、アンゼリカが掲示した依頼書を手に取る。
「今回は随分と簡単に済ませましたが、本来ならこの掲示板に掲載されているクエストを見て、その中から自分に合ったものを探します。まぁ低ランクの場合はある程度ギルド職員が選ぶのを手伝いますけれどね。と、こんなところで長話をしてもしょうがないですし、次は受付に向かいましょうか」
「えぇ」
そのままアンゼリカは掲示板から離れて冒険者登録をした窓口の方へと歩き出す。
結菜は手にアンゼリカからの依頼書を持ったまま彼女の背中を追って移動していく。
「受けるクエストを決めた後は受付に向かうの?」
「そうです。本来なら受付でクエストの受領を申し出た後、ギルド職員の仲介で依頼主と面会し、そこで同意を得てから手続きをするのですけれど、今回はそこらへんは飛ばして、手続きをします」
「手続きね……なに? 何か面倒なことでもするの?」
アンゼリカはさらりと手続きといっているが、一般的にそういったものはめんどくさいと相場が決まっている。
しかし、アンゼリカはそれを笑顔で否定した。
「いえいえ、面倒なことはありませんよ。ただ単に依頼書に依頼主とそれぞれサインするだけで手続きは終了です。そのあとからは冒険者には期限までにクエストを完了する義務、依頼主には冒険者に依頼達成のために必要な情報を付けに提供する義務がそれぞれ発生します。仮にこれらの義務を果たさない場合は違約金が発生するので注意してください」
「なるほど。その違約金でどれくらいなの?」
「……そうですね。場合にもよりますが、報酬の一割とそれにより発生した損害の補償金といったあたりが妥当なラインでしょうか? まぁ大きなクエストでない限りそう大した額は発生しません。ただし、その事由によっては信用を失いかねないのでクエストを選ぶときは慎重に選んでくださいね」
アンゼリカのいうことはもっともかもしれない。
目の前に二人の冒険者がいて、片方はランクは高いがクエストの破棄が何件かある。もう片方はランクは一方に比べて低いもののクエストは必ず達成するといった人物なら、間違いなく後者を選ぶだろう。信用というのは時に実力よりも大切なものだ。
「そういうわけでして、受付でクエスト受領に関する同意書にサインをしてもらえば、今回のクエストは受領になります。今回の件で先ほどの話に当てはめれば、同意書にサインにした後にユイさんが町へ出たくないから部屋に引きこもりたいといって、私が設定した期限……そうですね。今日中としましょうか。それを過ぎてしまえば、クエスト失敗となり違約金が発生するといった具合です。それ以外にも例えば私が買い物に付き合うというクエストを提示しているにも関わらず、この町の商店に関する情報を一切与えずにクエストを遂行しろといった場合は依頼主側に説明義務違反が発生して、依頼主……つまり、私がユイさんに違約金を払うわけです」
「なるほど……」
思っていたよりもいくらか単純な構造だ。いや、口に出したら単純に聞こえるだけで、その実は確実に複雑なのだろうが……
そもそも、アンゼリカが口に出した説明義務違反というのも“そもそも、この町のどこに商店が存在するか知らなかった”と依頼主が言ったらそれを証明するのは難しい。これに関してはアンゼリカはこの町の住民であるということ自体がこちら側の主張のための武器になるのだろうが、こういった確定的な情報でないとなるとより難しくなってくる。
「さてと……一通り説明も終わったところで、ちょうど受付に到着したし、同意書にサインをもらってもいいでしょうか? それが終わったら、早速私と一緒に町へ行きますのでそのつもりでいてください」
「はいはい。わかったわよ……」
どこの店に行きたいのかわからないが、笑みを浮かべて同意書を差し出すアンゼリカからそれを受け取り、アンゼリカに示された欄に自分の名前を記入する。
「はい。これでクエストは受領です。それでは、これからクエストの内容を実行して完了報告をするところまで一気にやってしまいましょうか」
アンゼリカは満足げな表情で同意書を受け取って、それをカウンターの奥へともっていく。
そのあと、受付の奥の方にいたリコリスと少し話をしてから、アンゼリカは結菜の目の前まで戻ってきて、再び斜め前を歩いて案内を開始する。
結菜はそんな彼女の背中を追いかけるような形で冒険者ギルドの外へと向かっていった。