第七話 冒険者登録
応接間を出た結菜とアンゼリカは冒険者登録受付窓口に来ていた。
一階のホールの入り口から見て、左手前にあたる場所に設置してあるカウンターを挟むような形でホール側に結菜、窓口側にアンゼリカが座っている。
本来、このギルドで冒険者の登録をするのなら、真っ先に来るべきだろうこの場所に今ごろになってきているわけなのだが、冒険者登録といういかにも異世界を思わせるような響きに異世界へ来たという実感がわいてきて、少しだけ心が躍る。
「さて、改めましてミカゲユイさん」
「……あの、御影結菜っていう名前なんですけれど……そろそろちゃんと覚えてくれませんか?」
「えっ? あぁすいません。それでですねユイさん……」
「だから結菜ですって……」
このままでは名前が“ミカゲユイナ”ではなく“ミカゲユイ”で登録されてしまう。それだけは防ぎたいという思いからちゃんと名前を覚えてもらおうとしているのだが、どうにも伝わらないらしい。この世界の言語では“ナ”という発音はできないのだろうか?
文字を見る限りではこの世界の言語は少なくとも結菜の知らないものである。その一方でなぜか言葉は理解できるので言葉はちゃんと通じていると思ったのだが、そんなに都合のいいことはないということだろう。
「はぁ……もうそれでいいわ」
通じないのなら仕方ない。名前が少し間違っているぐらいなら生活に支障はないし、そんなことを永遠と続けるのはあまりにも不毛だ。
そんな判断のもと、結菜は名前のことはあきらめるという決断を下した。もっとも、アンゼリカからすれば、何をどう間違っているか理解できていない様だが……
「……コホンッ。それでは気を取り直しまして、冒険者登録についての説明といきましょうか。担当者を呼んで参りますので少し待っていてください」
先ほどまでの言動からアンゼリカが手続きをしてくれると思っていたのだが、実際はそうではないらしい。
受付の奥へと移動するアンゼリカの背中を見送りながら結菜は小さく息をつく。
疲れた。それが率直に出てきた思いだ。
最初にこの場所に来たときにアンゼリカがとった行動のせいもあって、背中に突き刺さる視線は不快なほど多いし、リコリスとの会話も自分に主因があるとはいえ、かなり神経を使った。
結論からすれば、リコリスをもっと信用して話を素直に聞いていればよかったのかもしれないが、自分の中で“もしかしたら”という言葉を頭にして生まれる“無限のIF”が邪魔をしてなかなかそれをさせてくれない。
もしかしたら、彼女たちは異世界から突然やってきて、右も左もわからないような自分をだまそうとしているのではないだろうか?
そんな思いが結果的に信頼はしていないというリコリスやアンゼリカに対する言葉という形で表に出たわけだ。
相手は好意をもってやってくれているのだから信頼すればいいといわれればもっともだと答えるかもしれないが、どうしてもそれができない。
自分の悪いところだという自覚がないわけではないのだが、なかなか改善できない点の一つだ。
「……あの、ユイさん。大丈夫ですか?」
突然聞こえてきたアンゼリカの声に顔をあげてみると、こちらを覗き込んでいるアンゼリカと視線が交わった。
「へっ?」
「あぁいや、何度か呼んでも返事がなかったものですから……考え事でもしていましたか?」
「えっ? あぁまぁそんなところよ」
どうやら、考え事に熱中しすぎていたらしい。
自分が気づくまでの間にどのくらいの時間があったのかわからないが、無表情なアンゼリカの背後に立つ少女がむっとして眉を潜めている辺り相当な時間を要したのかもしれない。
「……失礼しました」
「まったく、考え事をするのはかまいませんが、せめて周りの人の声に気づく程度にしてください。そうでないとこちらが困りますので」
「はい」
反論のしようのない抗議を受けて結奈はしゅんと小さくなってしまう。
「まぁ知らない世界に来ていろいろ思うところはあるでしょうし、多少は目をつむりましょう。さて、それでは話をしましょうか」
アンゼリカは何か言いたげな担当者を制しながら結奈から見てカウンターの向かい側にある椅子に座り、担当者と思われる少女がそのすぐ横に腰掛ける。
アンゼリカはカウンター横の棚から羊皮紙を何枚かとるとそれを結菜の前に置いた。
「これが冒険者登録に必要な書類です。まず一番上にある書類に名前を書いていただいて、二枚目の書類の中央に利き手を置いてしばらく待っていてください。そうすれば、三枚目の書類とその下にあるカードがあなたが冒険者であると証明するためのモノとなります」
「……アンゼリカ。冒険者の説明が抜けているわよ」
担当者ではないといっていたはずのアンゼリカがなぜか説明をはじめ、横から担当者らしき少女が小さな声でアンゼリカに注意する。
「そうでしたね。失礼しました。それでは順序が違ってしまいましたが、冒険者について説明いたしましょう。といっても、このままごちゃごちゃと説明しても理解しきれないでしょうから、簡単に説明しますね」
「えぇ。お願いするわ」
この場で長々と話をされてもちゃんとついていける自信は全くない。簡単にまとめてもらえるなら、それに越したことはないだろう。
「ご協力ありがとございます。我々としてもあまり一人一人に時間を割いていられないのが現状ですので。一応伝えておきますけれど、冒険者になっただけでは何かをしなければならないという義務は発生しないのでご安心ください。それでは冒険者の役割を簡単に説明いたしますと、依頼掲示板に掲示されているクエストの達成が主なモノとなります。まぁクエストの種類は魔物の盗伐から商隊の護衛、要人警護といった単発のモノから遺跡の発掘調査、集団での遠征のような長期間かつ大規模なモノまで様々です。クエストの詳しい説明はあとにしましょうか。続いて、冒険者が得ることのできる権利ですが、これもまた単純明快でして、各冒険者ギルドの施設が利用可能になるというのと、冒険者に渡される冒険者カードは身分証明書として使うことができます。その他の特権についてはランクごとに分けられますのでランクアップのたびに説明します。ここまでで質問はありますか?」
「……説明が長い。あとランクについての説明が抜けてる」
結菜が質問するよりも先にアンゼリカの横に座っている少女が小さな声で足りないところを指摘する。もっともその声が結菜に聞こえている時点で小声にしている意味はなくしていると思うのだが……
「えっと、ランクの説明が足りていませんでしたね。冒険者にはそれぞれランクというものが与えられていまして、これがCからLの十一段階あります。冒険者になると、まずはそろってCランクが与えられ、クエストの達成状況などを加味して、ランクが上がっていき、最高ランクがLです。それぞれのランク別にできることが違っているのですが、一番大きいのは受けられる依頼がランク別に異なっているのでランクが上がれば選択の幅が広がるといったあたりでしょうか? 長々といってしまいましたが、これが冒険者についての説明です。何かあればその都度説明しますのでそのつもりでいてくだされば結構です」
「私から一つ捕捉させていただくと、冒険者は基本的に依頼人から出されたクエストを受けて、それを解決するというのモノだと思ってくれればかまわない。ただ、クエストを受けない限りは何をしていようが自由で、何かを強制されるということはない。ただの身分証明書としてギルドカードを持っているという人もたくさんいるぐらいだ。私からの説明は以上だ。ここまで踏まえて何か質問はあるか?」
「いえ、特には……」
先のアンゼリカの説明などなくてもよいのではないかと思うぐらい簡素な説明が担当者の少女からされる。
要は車の免許のようなものなのかもしれない。それを持っていれば、車を運転することができるが、車を運転しなければならない職業につかない限りは必ず運転をしないといけないということはない。中にはただの身分証明書として持っているペーパードライバーもたくさんいるといった具合だ。
いつもの癖で実は裏に何かがあるのではないかと考え始めてしまいそうになるが、これ以上相手からの心証を悪くするわけにはいかないのでそれを必死に抑える。何よりも、アンゼリカは話の間終始自分の目を真っすぐと見ていたので信頼できるような気がしなくもないのだ。
その空気を感じ取ったのか、担当者の少女はどこか不機嫌そうだ。受付をやっているのなら、あまりそういう感情を表に出すべきではないと思うのだが、わざわざ指摘するほどの事ではないだろう。
「それでは同意していただいたなら、ここに名前をもらってもいいでしょうか? そのあとに説明を担当した私とこちらにいる担当者のえっと……」
「マルカトだ。いい加減覚えろ」
「そうそう。マルちゃんが初心冒険者向けに行っております講義の案内をいたします」
「マルちゃんじゃない。マルカトだ」
アンゼリカはマルカトと名乗った少女の意見など気にする様子もなく、ここにサインをしろと言わんばかりに書類にある署名欄を指でトントンとたたいている。
結菜はそばに置いてあった羽ペンをとると、その先にインクを付けて名前を書き始める。
一瞬、日本語で書いていいものかと迷ったが、こちらの世界の言語など知らないことは承知の上で聞いているだろうから、気にするほどのことでもないということだろう。
慣れない羽ペンに四苦八苦しながら署名をすると、一枚目の書類がどかされ、二枚目の書類が現れる。
「その書類の中央にある大きな丸の中に利き手を置いてください」
アンゼリカに促されるまま結菜は左手をその丸の中に置く。
すると、羊皮紙の丸の中に五芒星のようなものが出現し、青白い光を放つ。
「わっ」
「光が収まるまでずっと手を離さないでください」
「そういうのは手をつく前に言ってやれ」
思わず目を背けて手を放しそうになった結菜をアンゼリカが制止し、その横に座るマルカトが最もなつっこみを入れる。
三十秒ほど光を発し続けていた書類は徐々にその光を失い、やがてその光は完全に消える。
「……登録完了です。手を放してください」
アンゼリカに促されて手を放すと、マルカトが二枚目の書類をどかして、その下にある三枚目の書類とカードを結菜に渡す。
「さて、これが冒険者であることを証明するために必要な書類と冒険者カードだ。なくした場合はかなり面倒な再発行手続きが発生するから気を付けた方がいい。冒険者カードに書いてある内容についての詳細については今日の夜に開かれる初心者向けの説明会か、アンゼリカあたりに尋ねればいい。彼女は今日からしばらくの間、あなたの専属として行動を共にすることになっているから、アンゼリカに尋ねるほうが手っ取り早いかもしれないな」
「はい」
どうやら、アンゼリカが結菜の監視係になるというのは確定らしい。
ここにきて、新キャラが出てきても対応に困るので別に問題はないが……
「えっと、ありがとうございました」
「あぁ。困ったことがあれば、また声をかけてくれてかまわないからな。それでは失礼する」
マルカトはそのまま頭を下げて足早に立ち去っていく。
その背中を見送った後にアンゼリカは結菜の方に向き直る。
「それではユイさん。この後はどうしましょうか? いったん部屋に戻りますか? それとも、ギルドの内部の施設でも案内した方がいいですか?」
「……そうね。いったん部屋に戻ってもいいかしら?」
「はい。かまいませんよ。それでは部屋に戻りましょうか」
その会話のあと、結菜とアンゼリカはそれぞれ立ち上がり、二人でホールの階段の方へと向かう。
カウンターの向こうにいた関係で少しだけ出遅れたアンゼリカは少し駆け足をして結菜のすぐ横に並ぶ。
「部屋に着いたらいろいろと聞かせてくださいね」
アンゼリカのそんな言葉を聞きながら、結菜は二階に上がる階段に足をかけた。