第五話 この世界の魔法について
ムーンボウ自治区冒険者ギルドの二階にあるリコリスの執務室。
その部屋に戻るなり、リコリスは壁際にある本棚から三冊ほどの本を取り出してそれを結菜の前に置く。
その本はどれも分厚く、魔導書と呼ぶのにふさわしいほどの厚さを誇る。
あれで頭を殴られたら痛いだろうな。などとくだらないことを考えている結菜の前でリコリスはその分厚い魔導書の中の一冊を結菜の前に置く。
「さて、あなたの世界でどれだけの魔法があったかは知りませんが、とりあえず私が知っている魔法についてその原理を知る限りにお話ししましょう。話を聞く準備はいいでしょうか?」
「はい。大丈夫です。いつでもお願いします」
「それでは説明いたしましょう。この世界における魔法とは自然に存在する有形無形のものの恩恵を最大限に引き出してそれを魔力に変換し、その力を行使することを指します。こういうと、炎や水といった自然に存在するものしか使えないと勘違いされやすいですが、それは違います。例えば、ギルドにある空中通路のように目標としたものを浮かすなどということも可能です。ここまでは大丈夫ですか?」
リコリスの問いかけに結菜は静かに手を挙げた。
「あの、魔力は自然のものに宿っているんですよね?」
「はい。そうです」
「でしたら、水には水の火には火の独自の魔力があったりとかはするんですか?」
「いい質問です。確かにそういった研究はされていますが、現状ではそれぞれの由来による魔力の違いについては証明がされていません。ただ、魔法を使う人たちの中にはそういったことを信じていて、魔力減にこだわるという人もいます。例えば、こちらの世界で有名なところだと考古学者のカラスーリ教授は月から得られる魔力にこだわっていて、満月の夜には一晩中外を歩き回るのだとか……まぁそういったことにこだわる人もいると頭に入れておくぐらいで問題ないと思います……」
どこの世界にもこだわりのある人というのはいるということなのだろう。だが、実際に魔法の効力とその魔力の源にどんな因果関係があるか少し気になってきた。少し余裕が出てきたらそういったことを調べてみるのもいいかもしれない。
「まぁもう少し話したいところですが、あまりいっぺんに話をすると頭にも入りにくいでしょうし、アンゼリカにもその都度魔法について説明するように伝えますのでこのぐらいにしておいて、魔法的効力の発生する契約について話をしましょうか」
「はい」
リコリスは魔導書をどかして、代わりに先ほど部屋で見せてもらった契約書を机の上に置く。
「まず、魔法的効力というのはその名前の通り魔法を使った契約です。これは別に特別なものではなくて、この世界におけるほとんどの契約で使用されます。ただ、その効力は契約によって異なりまして、今回の契約は比較的内容が少ないので、制約が少ない方の部類に入る契約です」
説明をしながらリコリスが契約書の下の方にある署名欄と思われる場所の横にある丸い点線……日本であれば、ハンコを押すべき場所に手を触れる。
「魔法的効力を伴った契約というのは簡単でして、ここにある丸く囲まれている場所に指をおいて魔力を流すだけです。魔力というのは自然から得るものではあるのですが、体内での変換の関係でそれぞれの人が独自の魔力を持ちます。なので署名とそれを並べることで初めて契約成立となるのです。ここまではいいですか?」
どうやら、この世界における魔力は日本におけるハンコの代わりになっていると見て間違いなさそうだ。いや、彼女が言うようにDNAのように魔力が人によって違うのなら、ただ単にハンコをつく以上に信頼性は高いようにも思える。
そこまで踏まえたうえで結菜は首を縦に動かす。
「それは肯定の返事として受け取らせていただきます。それでは今度は魔法的効力が発生する契約を結んだ際に何が起こるかというところですね。まず、魔法的効力が発生する契約と言われると悪魔との契約のように絶対的な強制力や拘束力が発生するといったイメージや中にはかわいい小動物のような容姿で近づいてきて、“ボクと契約して○○になってよ”と言って、都合の悪いことを伏せながら破棄できない契約を結ばせたりするというイメージが付いて回るようですが、実際にはそうでない方が多いと私は思っています。まぁそういったたちの悪い契約があるのも事実なのでちゃんと見極める必要があるのは事実ですが……まぁでも、今回の契約は単純な住居に関する契約ですし、あとから契約解除というのも簡単にできますのでさっさと契約しちゃってください」
彼女があげた例を聞いてなんだか白色の人間語を話す宇宙生物を思い浮かべてしまったが、おそらく関係ない……と信じたい。あんなのが目の前に出てきて、願い事と引き換えに魔法少女になってと言われても断固拒否だ。それ以外の選択肢はあり得ない。
ともかく、魔法的効力が発生するというと大層なものに聞こえるが、要するに日本で契約のときに実印を押すのとあまり変わらないということだろう。違いがあるとすれば、それに使うものがハンコか魔力かぐらいだということと、厄介な契約に引っかかったときに被害が大きいから気を付けた方がいいというぐらいだ。
「なるほど、大体の概要はわかりました……でしたら、次に聞きたいこと。わかりますよね?」
「……なら、どうすれば魔力を使えるか? といったところでしょうか? それでしたら……」
「そんなことはどうでもいいわ。あとでアンゼリカにでも聞くから。私が聞きたいのは、それを踏まえたうえで住居に関する契約がどうかっていう話をしたいの。あいにくながら、私はこの世界の字が読めないから、ちゃんと説明してくれる? 出来れば、第三者……アンゼリカあたりを交えて話ができるとより信憑性が高いように思えるからそうしてくれないかしら?」
先ほどまでの敬語から一気に普段通りの口調に切り替えながらリコリスに質問をぶつける。
そんなことをした理由は単純だ。彼女の行動がところどころ不自然だからである。
そもそも、あの場でアンゼリカを退場させる理由がわからないし、ただ単に契約書を読み上げるだけなら、都合の悪い部分を読まないということも可能だ。あの場でなら、リコリスは結菜が文字を読めないと知らなかったからまだいいとしても、それを彼女が知っているという前提に立つと、彼女が自分をだまさないという確証が取れない。
確かにリコリスは接している限りいい人ではあるようだが、その感覚をどこまで信用していいかもわからないというのも大きいかもしれない。
思考を巡らせる結菜の眼前で突如の態度の急変に対してか、はたまたぶつけられた質問が予想外だったのかリコリスは豆鉄砲をぶつけられた鳩のように目を丸くしている。
ただ、その変化は一瞬でリコリスの表情はすぐに元に戻る。
「……そうですね。たしかに私がムーンボウ自治区ギルドマスターの座についていると言ったところで異界の住民であるあなたにはそれが通じないというわけですよね? いやいや、普通ならその肩書だけで多大な信頼を得られるのでそういうところまで考えが至っておりませんでした。そうですね……でしたら、誰か第三者を入れて再び契約内容についてお話をしましょうか……アンゼリカでよろしいですか?」
「えぇ。あなたが二人で十分だと押し通すような人間でなくて安心したわ」
「そうですか。そう思っていただけたのなら安心です。少々お待ちを……」
「待たないわよ」
部屋を出ていこうとするリコリスを制止し、結菜が立ち上がる。
その様子を見て、リコリスはむっとした表情を浮かべた。
「どういうつもりですか?」
「どういうもこういうもないわよ。あなたについていくわ。ただそれだけ……残念ながら、私は疑り深い人間だから」
「そうですか。確かにお互いに信用しろという方が難しいのかもしれません。いいでしょう。ついてきたいのなら勝手についてきてください」
さすがに言い方がまずかったのか、リコリスは完全に不機嫌だ。
彼女は完全に善意で申し出てくれているのかもしれないが、結菜はそれを信じ切ることができなかった。
リコリスは不機嫌そうな表情を浮かべたまま執務室から出ていき結菜もそのあとに続く。
「……ユイさん。あなたは人の善意に対して素直に感謝できない人間なんですね」
廊下を歩くリコリスがひどく冷たい口調で言い放つ。
「いやいや、さっきも言ったでしょう? 私は疑り深い人間だって……会ったその日の人の信用を馬鹿正直に受けれるほど素直じゃないわ」
「……そうですか。本来ならここで説教の一つでもあってしかるべきでしょうが、今回はあなたの主張も通らないわけではないので不問としましょう。それにどちらにしろ一階で冒険者登録をしてもらう約束のはずなのでそちらも一緒にやれば問題はありませんし」
「……そう。面倒は少ない方がいいからそうしてもらうわ」
廊下を歩くリコリスの背中を見つめながら結菜はふと思った。
やはり、この人はいい人だ。と……
その後は一階の受付に戻るまで二人の間に会話はなく、二人の靴が廊下をたたく音だけが嫌に大きく周りに響き渡っていた。