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第四話 リコリスの話と宿舎の空き部屋

「……なるほど……話はわかりましたけれど……」


 ムーンボウ自治区冒険者ギルドの二階の一角。

 あの通路を進んだ先にあるリコリスの執務室に三人の姿があった。


 書斎机の前に立つ結菜とアンゼリカに対して、リコリスは椅子に腰かけたまま、眉を潜ませて厳しい表情を浮かべている。

 彼女の目の前にあるのはアンゼリカから報告を受けた内容をメモしたものだ。


 要約すれば、御影結菜は異世界人であるから住居がない。そのため、ギルド登録の冒険者となることを条件に宿舎の空いている部屋を提供するべきだ。という内容である。


「……しかしですね……そこにいるミカゲユイでしたか? が話している内容も真実だと確かめるすべもないですし、そもそもそういった事案の前例がないですから……」

「前例がないとか事案がないとかどうでもいいじゃありませんか。それに異世界人はなくとも、住所不定の人にギルド職員による一定期間の監察を条件にして冒険者登録した実例があったと思います。それに先ほどの騒ぎでユイさんは行き倒れているところをギルド職員(わたし)に発見されたという情報が広まっています。それを無下に放り出すことの方が問題ではないですか?」


 まるで先ほどの騒動を意図的に起こしたかのような言葉にリコリスは小さくため息をついた。


「……アンゼリカ……私がホールで怒鳴ることを見越して、わざと遅刻したのですか?」

「あなたが人目を気にせずに人を叱りつける悪い癖は昔からですからね。少し利用させていただきました」

「相変わらずですね。これだからあなたは侮れない」


 リコリスは小さくため息をつきながら後頭部をかく。


 彼女は椅子から立ち上がり、書斎机の後ろにある窓の前に立つ。


「アンゼリカ。いったん退室し、業務に戻ってください。私と彼女の二人で話をしてみたいと思います」

「リコリス様? それはいったいどういう……」

「この案件について彼女と二人で話がしたいと言っているつもりですが問題があるのですか? 何かあればまた呼ぶので、アンゼリカは通常業務に戻ってください。それと、今回の遅刻は不問とします」

「……失礼します」


 リコリスがそう告げると、アンゼリカは不満そうな表情を浮かべながらも引き下がる。


 そんな彼女が部屋から出ていくのを確認すると、リコリスは今一度小さくため息をついた。


「ユイ殿」

「……あの、私の名前は結菜なんですけれど……」

「失礼しました。改めてユイ殿。私はムーンボウ自治区冒険者ギルドのギルドマスターを務めさせていただいておりますリコリス・アメトリンです。先ほどはアンゼリカが迷惑をかけました」

「いえ、そんなことは……」


 発音しづらいのか、はたまた聞こえていないのかわからないが、どうやら名前をちゃんと覚えてくれることはなさそうだ。

 結菜はいちいち訂正する気もなくなってきたので名前のことはそのまま流すことにして返答をする。おそらく、この調子では名前のことだけで話が進まなくなりそうな雰囲気を感じ取ったというのが一番大きいかもしれない。


 リコリスは書斎机の前からその手前にある応接セットがおいてある場所へ移動し、結菜に座るように促した後に自身も椅子に座る。

 結菜が椅子に座ると、リコリスはぱちんと指を鳴らして、自身と結菜の前に紅茶を出現させる。


「さて、どこから話しましょうか……私は改めてあなたの口からききたい。あなたがどこから来たのか、そこがどんなところなのか……アンゼリカからの報告ではそのあたりが不十分でしたから。時間は気にしないでください。あなたのペースでゆっくりと話してくださればかまわないので」


 リコリスは結菜の目を見て、小さく笑みをこぼす。


「……はい。ありがとうございます」


 そんなリコリスの表情を見て、結菜の中で自然とこの人はちゃんと話を聞いてくれる人だという一種の安心感のようなモノがわいてきた。

 アンゼリカが話を聞いてくれなかったとかそういうわけではないのだが、今目の前にいるリコリスからは人を安心させるような類の何かがにじみ出ているように感じた。


 最初、ホールでアンゼリカを怒鳴っていた時は怖い人だと思ったものだが、そんなことはないのかもしれない。


「あの……私はアンゼリカさんがいった通り、この世界の住民ではありません。といっても、私自身もこれといった確証は示せるわけではありません。でも、少なくとも私がいた世界には地下都市なんてありませんでしたし、その他にも見たことのないようなモノもたくさんあります。だから、なんだっていう話なのかもしれませんけれど……」

「……そうでしょうね。私だって、知らない世界に飛ばされてその事実を証明しろと言われても簡単にはできません。それは誰だって同じです。ですが、あなたはそのことを素直に話してくれました。ここで必死になって自分がこの世界の住民ではないという証明を必死になって始めるようでは怪しいですよね? もっとも、それが十分な説得力を持ったものなら話はまた違ってくるんですけれどね。今後、ゆっくりとそれが真実だったと証明すればいいのですから」


 リコリスは女神のように柔らかい笑みを浮かべたままそう告げる。

 それを見て、結菜はパッと明るい表情を浮かべる。


「信じていただいてありがとうございます。えっと、それで……」

「住居の話ですよね? そのあたりは大丈夫です。ちょうど、アンゼリカが住んでいる部屋の隣が空いているはずなのでそこにあなたの新居を準備させていただきます。とりあえず、部屋を見に行きましょうか」

「はい。お願いします」


 リコリスは結菜の返答を聞いて小さくうなづく。


「それでは早速向かいましょうか。ついてきてください」


 彼女はそういうと、そのまま結菜の横を通って執務室の外へと向かう。

 結菜はその背中を追うような形で執務室から退室した。




 *




 執務室から出ると、リコリスと結菜はそのまま階段を使って四階へと向かう。

 四階まで上がると、二階にあったのと同じような空中通路を使って別の通路へと移動する。


 四階は二階とは違い、廊下の左右にいくつもの扉が並んでいて、それぞれの扉に表札と思われる文字が書いてあるので、そこの一つ一つに人が住んでいるということがうかがえる。

 廊下で何人かの人とすれ違いながら、結菜とリコリスはどんどん奥へ奥へと向かっていった。


「申し訳ありませんが、階段に近い場所は人気が高くてですね。空き部屋というのが一番奥になってしまうんですよ」

「いやいや、そんな気にしないでください。私だって住まわせてもらう身なので……」

「そういってもらえると助かります。なかなか納得していただけない方も多いので」


 そういいながら少し困ったような表情を浮かべるあたり、本当に住居に対して文句を言う人がいるのだろう。

 人にはそれぞれ意見があるのだから不平不満もある程度仕方ないとは思うのだが、リコリスをこうやって困らせるほどというのはいかがなものだろうか?


 はっきり言って、結菜はこの世界にきて一日も経っていない。なのでリコリスやアンゼリカが実際どういう人間なのかというのもよくわかっていないし、この世界の人たちの気質がどういったものかということもわからない。

 それでも、証拠の一つも出せないような状況で自分の話をとりあえずとはいえ信じてくれたリコリスやアンゼリカは少なくとも悪い人たちではないように思える。


「そろそろ到着しますよ」


 前を歩くリコリスから声がかかる。

 奥の方を見てみると、確かに突き当りにある部屋の扉が見えるので本当に一番奥の部屋まで来ているようだ。


「あそこの突き当りにあるのがアンゼリカの部屋です。そして、その横の443号室が空き部屋になっていまして、とりあえず中を見ましょうか」


 リコリスは懐からカギを出して、扉の鍵を開けて結菜を中に招き入れる。


 入り口の扉をくぐると、まず最初に目に入ってきたのは奥の方にある窓とその前に置かれている簡素なベッドだ。そのベッドの横には小さな机がおいてある。

 それ以外には木で作られた壁と床があるためで家具の類は一切見当たらない。


「風呂とトイレ、台所は共有となっていまして、先ほどの階段付近にあります。そういった意味でも不便なんですけれど……」


 前言撤回。たしかにこの部屋は文句が言いたくなるかもしれない。

 部屋自体はシンプルだろうが何だろうが問題ないのだが、さすがに風呂やトイレといった水回りがかなり遠い。具体的に言えば、廊下を十分ぐらい歩く程度には距離がある。


 だが、ここで断ったところで行く宛などないし、別段ここに住んだら二度と引っ越せないということもないだろうから、しばらくの間の仮住まいとしては十分かもしれない。


「わかりました。少し不便そうではありますけれど、贅沢を言えるほどの余裕はないので……手続きとかってどうすればいいですか?」

「えっあぁありがとうございます。というよりも、本当にここでいいんですか? それはまぁほかの部屋がいいと言われても用意できないんですけれど……」

「はい。とりあえず住む場所があるだけでもいいと思っていたので」


 結菜の意見を聞くと、リコリスはほっとしたような表情で何度かうなづく。

 リコリスはそのまま部屋の中にある机に羊皮紙を置いて、羽ペンでさらさらと文章をしたため始めた。


 その様子を横から観察してみるが、リコリスが記しているのは見たこともないような言語だったのでその内容はさっぱりわからない。このあたりについては言葉が通じるだけましと我慢した方がいいだろう。


 十数分の時間をかけて、リコリスはA4サイズぐらいの羊皮紙を文字で埋めて結菜の前に差し出す。


「これはこの部屋に住むための契約書です。ここに住む前提となっている冒険者登録については別途一階の受付で行いますので、後でご案内します。この内容でよければサインをもらってもいいでしょうか? それとも、読み上げた方がいいですか?」

「……えっと、そうですね。文字が読めないので読み上げてもらってもいいでしょうか?」

「……わかりました。それでは読み上げますね」


 この世界では文字が読めない人というのは一程度いるのか、それとも異世界人だから多少はそのぐらいのことはあるだろうと考えていたのかわからないが、リコリスは特段驚くわけでもなく、契約書の内容を読み上げ始める。

 かなりの長文に見えた契約書の内容はよくよく聞いてみると意外と簡素で“宿舎内での決まり事を守ること”“この宿舎に住むのは冒険者もしくはギルド職員であること”“その他ギルドマスターや宿舎長の指示に従うこと”“以上のことが守れない場合は即刻退去を言い渡すことがあり得る”という四点が主なところであとは細かい説明が続く。


「……といったあたりでいかがでしょうか?」


 長々とした文章を読み上げたリコリスは大して疲れたような様子も見せずに問いかける。


「ありがとうございます。問題ありません」

「そうですか。それではこちらにサインをしてください。あぁそれと、この契約には魔法的効力が生じますので注意してください」


 リコリスのその言葉で結菜の動きが止まる。


「あの……やっぱり何かありますか?」


 それを見たリコリスが不安げな表情を浮かべて首を傾げた。


「あーいえ。その……魔法的効力って何ですか?」


 しかし、だからと言って知らないまま勝ってに契約書にサインしてあとから問題になっても困る。

 すぐにその結論へ到達した結菜はリコリスに率直な疑問をぶつけた。


 そうすると、リコリスはすぐに納得したような表情を浮かべる。


「そうですか。わかりました……そうなりますと、魔法の仕組みだとかそういったところから話した方がいいですか?」

「えっと、そうですね。そうしていただけると助かります」

「わかりました。それでは椅子のない場所で長話をするというのも疲れますので私の執務室に戻りましょうか」

「はい。わかりました」


 結菜の返答を聞いたリコリスは柔らかい笑みを浮かべたまま契約書を懐にしまい部屋の外へ向けて歩き出す。

 結菜は今一度簡素な部屋の中を見回してから、彼女の背中を追って部屋から出ていった。

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