第三話 ムーンボウ自治区冒険者ギルド
「……すごい」
冒険者ギルドの中へ足を踏み入れた瞬間、思わずそんな声が漏れた。
アンゼリカの背中を追いかけて、冒険者ギルドの建物の中に入ると、真っ先にあったのは大きなホールだ。
まず、一番最初に目を引くのはホールの中央にある巨大な掲示板でそれの前にはたくさんの人たちが集まっている。
入り口から見て左の方へと目を向けてみると、受付のカウンターがあり、右側には冒険者向けに商売をしているとみられる商店がいくつか軒を連ねている。
ホールの天井は五階建ての建物の最上部まで突き抜ける吹き抜けになっており、ところどころに通路が浮かんでいる。
どういった構造になっているのか気になって観察していると、突然通路が動き始める。
ちょうど九十度ぐらい曲がった後、通路は近くにあった吹き抜け端の通路とつながり、対面同士を渡す橋となった。
「やっぱり、こういう構造は珍しいですか?」
あまりの状況に上を見たまま動きを止めている結菜にアンゼリカが声をかける。
「珍しいというか……現実で見たのは初めてね……」
人が来るのに合わせるようにして、あちらこちらへと動く通路を見ていると、まるで通路自体が何かしらの意思をもって動いているようにすら見える。
通路は全部で四本あり、それぞれが各階層の通路としての役割を担っているようだ。
「そうですか。まぁ当然でしょうね。この様な通路を採用している場所は少ないですから……狭い空間ながらも、開放的な空間を保ち、移動性も確保する。各建物に対する大きさに大きな制限がかかるこの町ならではの光景だと思います。作るにしても維持するにしても普通の通路の方が安上がりですからね。さて、それでは部屋まで案内しますのでついてきてください」
頭上の通路について語るアンゼリカは、表情こそほとんど変化はないものの、どこか誇らしげに見える。
アンゼリカはそのまま巨大な掲示板の方へと体を向けて歩き始めようとする。
ちょうどその時、受付の方から鋭い声が聞こえてきた。
「待ちなさいアンゼリカ! こんなに堂々と遅刻してくるとは何事ですか!」
突如として響いたその声に掲示板の方へと足を向けていたアンゼリカはその足を止めて、油を適切に差していない機械のようにギギギッと効果音が立ちそうなぐらいゆっくりとその声の方へと視線を向ける。
たくさんの人々の声でざわついていたホールを一瞬で無音の空間へと変貌させた声の主はカツカツと嫌に大きな靴音を響かせてアンゼリカの方へと歩み寄る。
肩ぐらいの長さで切り揃えられた赤みのかかった髪と左目の黒い眼帯が目を引く女性の顔はかなり厳しく、彼女の視線はまっすぐとアンゼリカを射ぬいている。
女性はそのままアンゼリカの前までやって来ると、もう一度声を張り上げる。
「アンゼリカ!」
「はっはい!」
「あなたは何回注意すればいいのですか! そんなに遅刻が多いようですと、外泊を禁止にしますよ!」
「いや、ですから事情がありましてですね!」
アンゼリカは必死に事情を説明しようとしているが、女性はまったく聞く耳を持たずにアンゼリカの詰め寄り、さらに声を張り上げる。
「うるさい! あなたの言い訳は聞きあきました! なんですか? はぐれモンスターにでも会いましたか? それとも、道で困っていたご老人を助けたのですか? はたまた、落とし物を見つけて落とし主でも探していたんですか?」
「えっと、道に人が倒れていまして……」
「人が倒れていた? 今度はそう来ますか……なんですか? ここがどこかわからない行き倒れがいたとでも?」
「はい。まさにその通りでして……」
小さな声ではあるが、アンゼリカは必死に事情を伝えようとする。
「うそを言うんじゃありません! そんなに都合よく行き倒れがいるわけないでしょう!」
「いやいや、それがいたんですって! リコリス様! ほら、その行き倒れを連れてきてますから! 本当ですよ!」
「あなたはどこまで愚かなのですか! 寝坊したのならそうだと素直に言いなさい!」
「いや! だから違うんですって、ほら! ここ! 私のすぐ横に行き倒れていた人がいるんですよ!」
なかなか信じてもらえずに焦っているのか、アンゼリカは結菜を何度も指さして、うそではないと訴える。
「あなた、何を言って……」
アンゼリカの指さす方を見たリコリスがここにきて初めて結菜の姿を視界に収める。
「んあ? あなたは?」
本当に今ごろになってその存在に気づいたのか、リコリス先ほどまでの威圧は一切なくなり、きょとんとした表情を浮かべている。
そこへすかさずアンゼリカが割って入ってきた。
「ほら、この人ですよ! この人! ほらほら、こんなところだと、人の目があるんで、リコリス様の執務室に行きましょう! ほら!」
人の目がというのなら、すでに手遅れな気がするのだが、そんなことを言ってもしょうがないだろう。
背後で“あの人行き倒れなんだって”だとか、“確かに変な格好しているよな”などという声がしているのをできる限り気にしないようにしながら、結菜はアンゼリカたちの後ろについていく。
中央にある巨大な掲示板の横を通ると、ホールの一番奥に当たる位置に階段が見えてきた。
どうやら、アンゼリカとリコリスはそこへ向かって歩いているようだ。
「……ユイさん。すいません……どうもリコリス様は周りが見えなくなることが多くて……」
「それ以前にあなたが外泊したときに時間を守って帰ってこないことの方が問題です。何度注意すればわかるのですか」
「……はい。次から気を付けます」
「全く、次こそその言葉を本当にしてもらいたいものですね」
会話の流れから……というよりも、最初にリコリスが出てきた時点から感じていたが、どうやらアンゼリカは遅刻が多いようだ。そのたびにあれやこれやと言い訳をするせいで、行き倒れを見つけたと申告しても信じてもらえなかったというあたりが妥当な答えだろうか?
先ほどまで、必死に声を張り上げていたアンゼリカもすっかりと落ち着きを取り戻し、会ったときと同じように淡々とした口調で話している。
すっかりと彼女は感情の起伏が少ない人間だと思っていたのだが、どうやらそうとは限らないようだ。
そんなことを考えている間に三人は階段へと到達する。
二階へ向けて階段を上っていくと、ちょうど中間にある踊り場で、ようやく背中に大量に刺さる視線から解放された。
先ほど、吹き抜けに通路が浮かんでいたように何かギミックがあるのではないかと見まわしてみるが、今のところ何の変哲もない木の階段だ。
さすがにどこもかしこも何か仕掛けがあるというわけではないのかもしれない。
少しばかし残念なりながらも結菜はゆっくりと階段を上る。
「さて、先ほどはゆっくりとお話しができませんでしたが、改めて説明をしますとここがムーンボウ自治区唯一の冒険者ギルドであるムーンボウ自治区冒険者ギルドです」
そんな中で口を開いたのは結菜の斜め前を歩くアンゼリカだ。
彼女は時々結菜の方を見ながら説明をし始める。
「このギルドの建物は五階層からなっていまして、一階が冒険者が依頼を受けたり、その他手続きをするためのホールで二階が資料室やリコリス様の執務室、ギルド職員が仕事中に使用する施設などがあります。続いて三階が冒険者向けの宿泊施設、四階より上がギルド職員用の宿舎になっています。なお各階にある空中通路は魔力駆動となっていまして、それぞれの通路を動かすにはそれに応じたランクのギルドカードが必要です」
「ギルドカード?」
「はい。このギルド独自の制度でして……ちょうど、階段を上がり切った後に通路を動かすのに使うので見た方が早いかもしれないですね」
彼女がそういう頃になると、結菜たちはちょうど二階の廊下へと到達し、三階へと上がる階段や資料室と思われる部屋の前を通過していく。
その廊下を進んでいくと、すぐに吹き抜けの部分に到着する。
アンゼリカは懐から赤色のカードを取り出すと、それを廊下の端にある黒い石にそれをかざした。
「行先はリコリス様の執務室がある方でいいですよね?」
「えぇかまいません」
行先について軽く確認した後、アンゼリカが改めて黒い石の方を向くと、その石が淡い光を発し始める。
「魔力承認、行先はリコリス様の執務室方面」
彼女が告げると、吹き抜けに浮かんでいた空中通路がこちらへと向かってくる。
その通路は今三人がいる廊下と接続すると、ちょうど中間にあたる場所で九十度折れ曲がり、今いる廊下から目的地までの通路へと変化する。
こんなことをするぐらいだったら、普通に十字型の通路を吹き抜けに作ればいいのではないかと思うのだが、きっとそうはいかない事情があるのだろう。
そんなことを考えている間に吹き抜けと廊下を隔てていいた柵が壁の中へと消えていき、廊下と空中通路が行き来できるようになる。
「さて、ついてきてください」
アンゼリカはそういうと、空中通路を渡り始める。
それに続くようにしてリコリスが歩き始め、結菜はそのあとで歩き始めたので一番後ろだ。
空中通路の端から下を見てみると、先ほどまでいた一階のホールがよく見える。
別にこれぐらい怖いとは思わないが、上を見上げた時に見える頭上の通路に柱などがついていないことのほうがむしろ怖い。
アンゼリカはこれまたさらりと“魔力駆動”と呼ばれる仕組みで動いていると言っていたので、おそらく魔法の様な何かで制御されているのだろう。
「この空中通路は一階を除く各フロアにありまして、これを使用するにはギルド職員とムーンボウ自治区冒険者ギルドに登録されている冒険者が持っているギルドカードが必要です。ギルドカードはいくつかランクといいますか、種類がありまして、それに応じて接続先の権限が異なります。一般的には冒険者が宿泊施設のある三階部分、ギルド職員が私のように泊まり込みだと、ほぼ全棟、そうではない職員は二階と三階のみ空中通路が操作できるというモノが一般的なギルドカードの権限です」
下で見ているよりも吹き抜けは狭いようで、三人はすぐに中央の通路が折れ曲がっている地点へと到達する。
「……えーと、その。ごめんなさい……いろいろと理解が追い付かないのだけど……」
ギルドカードの役割やら権限がどうとか言いうのは簡単に理解できる。
だが、それにかかわる仕組みについてはさっぱり理解できない。
そもそも、この世界のことを知らないので当然かもしれないが、アンゼリカがそういったん前提に立って話してくれないのが一番の問題だ。
彼女からすれば、異世界だろうとどこだろうと文化や発展具合は似たような具合だと思っているのかもしれないが、実際はそうではない。
結菜がいた世界は科学の世界であり、例えばこのように動く通路があったとしても中央部に大きな柱があって、そこにたくさんの機械を詰め込み、そこを中心にたくさんの補強材を使うことでそれぞれの通路を固定する。そして、外部から供給される電力でそれを駆動させるのだ。つまり、根本から考え方が違う。
しかし、そのあたりが理解できないのか、アンゼリカは不思議だといわんばかりに首をかしげるだけだ。
後日、彼女に町を案内してもらえることになっているのだが、この調子だと大丈夫なのだろうか? そんな不安も抱えつつ、結菜は小さくため息をついた。