第三十五話 半切りライ麦パンと使い古された椅子
結論から言えば、クロスケは割と単純に見つかった。
どうやら家族で探し回っている間にミリダリの家へと帰ってきていたらしい。
そんなある意味気まぐれな行動を起こしてくれたネコを無事に発見したということで、ユイは報酬の銅貨1枚を受け取り、パン屋に足を運んでいた。
普段は食堂で食事を取っているのだが、せっかくの収入だからなにか食べ物を買おうという発想に至ったのだ。
正直な話、足りていない生活必需品や自分の好きなもの……というよりも、椅子を買うために使おうかとも思ったのだか、銅貨1枚では買えるものも限られてしまうので、こうして比較的安価で買えそうなパンを買いに来たのだ。
「いらっしゃい」
「どうも。ライ麦パンを銅貨1枚分ほしいんですけど」
とはいえ、パンを選ぶつもりはないので声をかけてきた店員に手短にほしい商品を伝える。とそこまでしてから果たして銅貨1枚分だけで出してくれるのかという疑問に至る。ちらりとライ麦パンの値札を見てみると、“2”という数字がなんとなく見て取れる。おそらく、“銅貨2枚”とでも書かれているのだろう。
しかし、店員は嫌な顔一つ見せずに「少々お待ちください」と返事をして、奥へと入っていく。
そのあと、数分ほど待っていると半切りにされたライ麦パンを持った店員が戻ってきた。
「お待たせしました。ライ麦パン半切りです」
「ありがとうございます」
一旦奥に入ったことまで考えると、わざわざライ麦パンを半分に
切ってくれたのだろう。
そんな店員の行動を想像しながら代金を渡すと、商品を受け取って店から出ようとする。
ユイの視界にとある椅子が写ったのはちょうどその時だ。
店内で買い物をしている客が休憩出来るようにという配慮からか、はたまた店頭に立つ売り子のためなのかわからないが、店頭にポツンとひとつだけおかれている椅子は相当使い込まれている様子だ。
木製の椅子の座面はすり減り、もとは平らであっただろうそれは目でみてわかるほどへこんでいる。その一方で外にある割りには汚いという印象は受けないので毎日丁寧に掃除がされているのだろう。
「その椅子に興味があるんですか?」
ジーと椅子を眺めていたユイの背後から店員が声をかける。
「……はい。結構、使い込んでいる椅子なんですね」
「そうなんですよ。長らく店内で使われていたものでして……ただ、見ての通り、ボロボロですので新しく買い換えたんです」
そう言いながら店員が指差した先には真新しいピカピカの椅子が置いてある。
なるほど。新しい椅子が来て、役割を失った椅子が店頭に追い出されたということなのだろう。通りできれいなわけだ。
「なるほど。そういうことですか……」
だったら、この椅子をもらってもいいですか? という言葉が喉元まででかかったが、寸でのところで押さえる。わざわざパンを半切りにしてもらった上に廃棄されるであろう物とはいえ、椅子をもらっていくなど、図々しいにもほどがある。
いろいろと惜しみながらも椅子を諦めようと決めかけたその時、ユイの心情を察したかのように店員から声がかかる。
「どうせ捨てるんで持っていってもいいですよ。捨てるにしても廃棄料とかかかりますし」
「そうですか……でしたら、もらっていきます」
「はいどうも。ありがとうございました」
店員のあいさつを背にユイは椅子を抱えて店を出る。
その光景を道行く人が奇妙なものを見るような目で見いていたような気もするが、新しい椅子を手に入れて、上機嫌のユイからすればそのような些細なことはどうでもいい。ただ、ひとつ気になるとすれば、ギルドを出てから……というより、ギルドの中から断続的に感じている視線ぐらいだろうか?
「あっユイさん。偶然ですねー」
ストーカー……もとい。アンゼリカがユイの背後から声をかけたのはちょうどそんなタイミングだった。
やっと声をかけてきたかと思いながら振り向いてみれば、探偵帽をかぶり、手に虫眼鏡を持ったアンゼリカの姿が視界に入る。
この世界においても、探偵のイメージは似たようなものなのだろうかと思案しつつ、ユイはアンゼリカに言葉を投げ掛ける。
「本当に偶然ね」
偶然を装って近づいてきたアンゼリカに対し、ユイが出した答えは相手に合わせるというものだった。
正直な話、それを指摘して議論を交わしたところで体力の浪費をするだけだし、それ以上にアンゼリカが尾行を認めるとは思えなかったからだ。
「何ですかその椅子?」
予想通り、白々しい態度で椅子について質問を投げかける。
「もらったのよ」
それに対して、ユイは“どこでもらったのか”を言わずに簡潔に答える。
尾行のことを追求する気はさらさらないのだが、それでもまるで気づいていなかったと思われるのは惜しいと思ったので少しだけ鎌をかけてみたのだ。
「……そうですか。親切なパン屋もいるものですね」
そして、アンゼリカはあまりにもあっさりとそれに引っかかる。
「えぇパンを買ったらついでにもらえたのよ……ところでなんでパン屋だってわかったの?」
ユイの質問に対して、アンゼリカはぴったりと動きを止める。
「えっと……それはほら」
「私、パン屋からもらったなんて言ってないわよ」
「あっ……」
そこまで来て、ようやく彼女は自らの過ちに気づいたらしい。
何とか取り繕おうとしているのか、あたふたと手を動かしているが、それっぽい理由が思い浮かばないらしく、あたふたとしたまま時間だけが過ぎていく。
「もしかしてさ、ギルド出てからずっと感じていた視線ってアンゼリカのだったの?」
ついでに最初から気づいていましたアピールも忘れない。
「えっ? 私がユイさんの跡をつけていたのはパン屋からですけれど?」
「あれ? じゃあギルドからつけてきていた人って……」
サーと血の気が引く。
ギルドから出て視線はずっと感じていた……というよりも、よくよく考えてみると今も視線を感じている。アンゼリカではないとすると、その視線の主は誰だというのだろうか。
「……あーもしかして、視線のこと気にしていますか? だったら、大丈夫だと思いますよ」
「大丈夫って……どうして?」
「視線の正体はおそらく、アーサーかそうでないとしても怪しい人ではないでしょうから。一応、あの遺跡の調査は本国からの仕事という形になっていますのでそれなりに監査が入るんですよ。なので、アーサーかもしくは別の関係者がそういった調査をしているのでしょう。あぁ安心してください。調査されるといっても遺跡調査の手伝いぐらいでは怪しい素行を見せない限り、出自を調べられたりはしないですから、ユイさんのプライバシーは保護されていますよ。さて、そんなわけですから、ギルドに帰りましょうか」
アンゼリカの説明に対して、ユイは監視されている状況でそれを言ってしまっていいのかと思ったが、アンゼリカはこの程度なら問題ないと判断して話しているだろうから、気にしない方がいいだろう。
そう考えて、ユイはアンゼリカについて歩き出す。
「あぁそうそう。椅子を運ぶんだったら手伝いましょうか? 荷物を浮かす魔法とかありますけれど」
「えっそんな便利な魔法があるの?」
「はい。皆さん普通に使ってますよ」
奇特な視線の意味が分かった。
普通に魔法を使う場面で椅子を抱えて運んでいたら、何をしているんだという視線にさらされるのはある意味では当然かもしれない。
「それじゃ、お願いしてもいい?」
「はい喜んで。それにしても、ユイさんも魔法を学んだ方がいいかもしれませんね。魔道学校の紹介状書きましょうか?」
魔道学校というのはまた魅力的な響きだ。
いかにも異世界ファンタジーといえるようなその言葉の響きに少なからず心が躍るが、同時にそれはユイの中で小さな不安を生み出す。
「魔道学校って……私でも入れるの?」
そもそも、ユイはこの世界の人間ではない。この世界において戸籍という概念があるのかわからないが、学校に入学するとなると、少なからず何かしらの証明書の類は必要だろう。
しかし、アンゼリカはそんなことは問題にもならないとでも言いたげな態度で返答する。
「まぁたまに特殊な事情から生活に必要な魔法すら使えない人というのもいますので、そういった人向けですね。ただ、それをするとなると事情説明のためにユイさんの来歴を先方に伝えることになりますけれど」
「それぐらいなら別に構わないわよ。下手に隠してもまずいでしょうし」
「そうですか。でしたら推薦を出しておきますね。ただ、それが通るまでは少し時間がかかると思いますけれど……まぁ入学は早くても半年後でしょうからよほどのことがない限り、大丈夫だと思いますけれど……あぁあと、学費のことは心配しなくてもいいですよ。ギルドからの推薦だと奨学金が出るので」
奨学金が出るというのはかなりありがたい話だ。
正直なところ、冒険者として半年間働いたところで学校に通えるほどのお金が集まるとも限らないし、そもそも日々の生活費がどの程度稼げるかも怪しいところだったからだ。
あとから返すにしても、こういったものはあるに越したことはない。
「結構いろいろあるのね……」
「はい。まぁ細かい説明は本格的に入るという話になったときにしますので……とりあえず、椅子に魔法をかけましょうか。あぁあと、普通は家具屋とかで買えばこういった魔法をかけてもらえるのでちゃんと言った方がいいですよ。今回は別としてですけれど」
そういいながらアンゼリカが椅子に触れると、椅子がふわりと軽くなる。
見れば、先ほどまで地面についていた椅子が少しだけ浮かんでいた。
「これは便利ね」
「えぇ。我々には魔法がない生活など考えられませんから」
そのあとは他愛のない会話を交わしながら、ユイとアンゼリカはギルドへと帰っていった。




