第三十三話 食堂の裏メニュー(リコリス編)
遺跡の崩落事件から二日。
あまりの疲労から一日休みをとったユイはけだるそうにあくびをしながら起き上がる。
「はぁよく寝た……」
おとといの出来事のせいで昨日はほぼ一日中寝ていたのだが、それでも疲労が取れる気がしない。
別に冒険者は依頼を受けていなければ自由に行動することができるため、遅くまで寝てような休みを取ろうが自由なのだが、自由な分仕事をしないと収入が全くなくなってしまうところがきついところだ。
さて、そんなわけで本日の食費ぐらいは稼がねばと考えて、ユイはベッドからはい出て着替えを始める。アンゼリカが起こしに来ないあたり、疲れているだろうと気を使っているのだろう。
「それにしても、いまいちすっきり目が覚めないな……入ってくる光が太陽のものとは違うからかしら?」
疲れ。という要素はいったん置いておくとして、この世界に来てから目覚めが悪い気がする。
それこそ最初は気疲れやら異世界転生というどこぞの小説のような現象に対する疲れであることが大半だろうと考えていたのだが、近頃は別の要因も考え始めている。
それは太陽だ。
この世界の太陽がどうなっているのは知らないが、日本にいたときに“人間の体内時計は朝日を浴びることで調整される”という話を聞いたことがある。もし、それが本当だとすれば、急に太陽の光を浴びなくなったことにより体内時計がおかしくなってしまっているのではないだろうか?
「太陽の光か……」
この町にいる限りは太陽の光の下に立つことはできないだろう。だが、たったそれだけの理由で現在の暮らしを放棄してしまうのもどうも惜しい気がする。
実際問題、ここを出た途端に野宿をしたり、その日の食事に困るような生活になってもおかしくはない。そうなるぐらいだったら、ここでおとなしく暮らしている方が無難だろう。
そんなある種の事なかれ主義のような思考を展開しながら、ユイは着替えを終えて部屋から出る。
まず最初に向かうのは食堂だ。一応、ユイは朝食は欠かさないタイプなので、安くて簡単なものでもいいから口にはしておきたい。
「おや、これはこれはユイ殿ではありませんか」
部屋を出た瞬間、そんな声が聞こえてきた。
声のした方を振り向いてみれば、案の定というか、ある種の予想通りというか、まるで偶然その場にいたかのように振舞うリコリスの姿がそこにあった。
ギルドマスターが自らギルドの端っこにいるのだろうか? ユイの部屋の前にいて、ユイに声をかけたからにはユイに用事があるのだろうが、別段問題を起こしたような記憶はない。
「あの……」
「偶然にも廊下であったうえにちょうど食事時ですので一緒に朝食はいかがでしょうか? もちろん、私が出しますよ」
「いや、それはちょっと申し訳ないというか……」
リコリスと二人きりという状況を避けたいという思いから直接的な明言は避けつつも断ろうとするが、リコリスはやはり何か話があるのか、ぐっと顔を寄せてこう言い放った。
「私はギルドマスターですよ。ユイ殿は私の言葉に従っていればいいのです」
ユイはギルド所属の冒険者でリコリスはギルドマスターだ。つまり、ある意味でリコリスは上司にあたる。その上司が権力を盾に誘ってきた場合、答えはもはや一つしか残っていないだろう。
「……はい……お言葉に甘えさせていただきます……」
結局、ユイは素直にリコリスの言葉に甘えることになり、二人で食堂へと向かう。
「ユイ殿。そろそろギルドには慣れましたか?」
「いや……まだまだですね……知らないこととかいっぱいありますし……」
「まぁ人間は未知を知ることで成長するものだと聞きます。もっとも、私は未知というのは大嫌いですが。前例はあるに越したことはありません」
どっちだよ。といいたくなるのを必死に抑える。
未知を知ることは重要だと説きながら未知は大嫌いだと言い張る。まさしく矛盾している。未知が嫌いだから、未知を知りたいともとることもできるが、これまで彼女が時々垣間見せる未知に対する態度は単純に嫌いというよりは避けたいものであるように感じる。
「さぁ食堂ですよ……それにしても、ユイ殿は考え事が多いみたいですね」
どうやらいろいろと考え事をしている間に食堂に到着していたらしい。
その様子を見守っていたのはリコリスはどこか暖かな視線をユイへと向けている。
「あぁおばちゃん。リコリススペシャルを二つください」
「おやおや、今日はお二人ですか?」
「はいはい。そうなんですよ」
ユイが現実に引き戻されるのとほぼ同時にリコリスがリコリススペシャルなる怪しいメニューを注文する。なんだか、アンゼリカの時と近い何かを感じるのだが、大丈夫なのだろうか?
「はいよ。リコリススペシャル二つね」
そして、数十秒で二人の前にリコリススペシャルという名の何かが出される。いや、もうすこし性格に言おう。トーストとずんだ餅を足して二で割ったような何かが出現したのだ。
真っ赤だったアンゼリカスペシャルとは違い、リコリススペシャルはこんがりと焼けたトーストの上に緑の前をつぶして作ったと思われるペーストがこれでもかというほど乗せされていて、本来きつね色に焼けているはずのパンを真みどりに染めている。
「ありがとうございます」
リコリスはそんな緑のパンを受け取り、席へと向かう。
ユイもユイでここで拒否をしては失礼だと思い、パンを受け取ってリコリスの後を追う。
せめて、これが抹茶だったらなとか、ずんだ餅みたいに甘かったらまだ小倉トーストぐらいの感覚で行けるのではないかと考えてみるが、目の前のペーストは見た目といい香りといい、どうも豆そのものとしか思えず、ずんだ餅みたいに甘くなっているとは考えづらい。
「おぉちょうど席が空いてますね」
しかし、時間の流れというのは残酷なものでリコリスは少しばかり時間を駆けながらも空いている席を見つけ、そちらの方へと歩いていく。
「さて、それではいただきましょうか」
「えっと、はい……いただきます」
正直、あまり気は進まないが朝食は朝食だ。
席に着くと、手を合わせてからリコリススペシャルなるトーストを手に取る。
ゆっくりと口元に運び、食べてみるとサクッとした食パンの香ばしい味とともに何とも言い難い豆の苦みが口の中いっぱいに広がる。せめて、苦くない豆を使うという選択肢はなかったのだろうか?
「……うん。やっぱり、この苦みがいいですね」
しかし、リコリスはこの料理をおいしそうに食している。しかも、ブラックのコーヒーとともにだ。
どうやら、アンゼリカが辛いものが好きだということと同様にリコリスは苦いものが好きでそれを極めすぎた結果、ここに至っているということなのだろう。目の前の風景を説明するにはそうとしか言いようがない。
もっとも、辛くてとても食べられたものではないアンゼリカスペシャルよりは何倍もましなのだが……
ユイは着実に一口ずつ紅茶で流し込みながらトーストを食べる。
その光景に対して、ある種の予想通りだったのか、リコリスが苦情を言うことはない。いや、これはむしろ食事に夢中になっていて気づいていないのかもしれない。
そんなあたりを付けながらもリコリスに不快に思われたに程度にゆっくりと食事を終える。
「……どうですか? リコリススペシャルは口に合いましたか?」
何とかリコリススペシャルを食べきったユイに先に食事を終えていたリコリスが問いかける。
「……うーん。そうですね……まずくはないですが、私の好みではないというか……」
下手においしいなどといった暁にはまたおごるなんて言われてしまうかもしれない。
そんな考えからか、ユイはいつの間にかそんなことを言い出していた。
「そうですか。これまでよりはいい反応ですね」
しかし、そんな返答でも満足いったのか、リコリスは笑顔のままだ。
「えっと……」
「よかったです。これ、食べた瞬間に吐き出す人と書いたんですよね。ユイ殿が完食をしたという事実だけでも十分に満足です。なので、味の感想については文句を言いません。いやはや、楽しい食事でした。それでは、私はこれにて」
リコリスは満足げな表情のまま食器をもって退席する。
その背中を見て、ユイは小さくため息をつく。
満足してもらえたようならよかった。そう考えながら、ユイも食器をもって返却口へと向かう。
なお、この後数日間にわたり、ユイが部屋の前でリコリスが待機していないかとびくびくしていたのはまた別の話である。




