第二話 どうやらここは地下都市で
アンゼリカの背中を追いかけて歩き始めてから約十分。
アンゼリカと結菜は路地裏を抜けて大通りを歩いていた。
前を歩く彼女になぜ、あんなところを通っていたのかと聞いて見ると、“遅刻しそうだったから裏道を使った”という答えが返ってきた。
さて、そのあたりのことはいったん置いておくとして、彼女の背中を追いかけるような形で歩いていて気づいたことがある。
最初に目が覚めたとき、空は灰色に見えた。
それは天気が曇りだからと思っていたのだが、どうやらその実は違っていたらしい。
目覚めたばかりの時は視界がぼんやりとしていたし、アンゼリカの真意を探るのに夢中で全く気付いていなかったのだが、空の灰色は雲の色ではなくこの町の上部に存在している天井の色だった。
それ以外にも町の中は結菜の興味を引くものであふれている。
最初、左右に見えた建物が木造なので和風な街なのかと思ったが、表通りに出てみるとその予想に反して洋風な街並みが広がっていた。
今、歩いている通りは町の中に水を供給しているのであろう用水路のわきに整備されている石畳の道で、川の反対側には木組みの建物の商店が並ぶ。
それぞれの店の看板に視線を送ってみると、皿の形だったり、帽子の形だったりしているのでそこで何を売っているのか一目瞭然だ。
それらの中で何よりも結菜が興味を持ったのは、ファンタジー小説などで魔女がよくかぶっている三角帽子をかたどった看板が出ている店と本をかたどった看板が出ている店だ。
残念ながら文字は読めなかったので確証は取れないが、ほぼ間違いなく魔法に関するお店と本屋なのだろう。
この町の状況が知れたら見に行ってもいいかもしれない。
「そんなに珍しいですか? この町が」
私が先ほどからしきりに周りを見回しているのを感じ取ったのか、前を歩いていたアンゼリカが話しかける。
「そうですね。この町は私が住んでいた町とはずいぶん違うようですので……」
「そうですか。でしたら、住居の話がうまくいったら私が案内しますよ。もちろん、私の仕事に休みの日があればですけれども」
「いえいえ、アンゼリカさんの都合に合わせていいので」
「それなら問題ありません。もうすぐ休暇なのでその時に案内しますよ。それと、私のことはアンゼリカでかまいません。あと、敬語も結構です。少しユイさんに興味がわいてきました」
立ち位置の関係で表情こそ見えないが、アンゼリカの口調はどこか嬉しそうだ。
ただ一つ。ちゃんと覚えられなかったのか、名前がユイナではなくユイとなってしまっていることが少し残念な点かもしれない。
「私も別にユイナでいいよ」
「いえ、私はほとんど職業病のようなものなので気にしないでください」
せっかくだからこちらからと思って申し出てみたが速攻断られてしまった。
確か、彼女はギルドの職員だと名乗っていたのでそういう習慣が身についていてもおかしくないかもしれない。それなら、別に無理にそうしてもらう必要はないだろう。
「そっか。そのうちでいいわよ。そのうちで」
なので、いつかは呼び捨てしてもらうという意図を見せつつもおとなしく引く。
「……もう少しあなたのこたがわかったら考えてみます」
ある意味で期待通りの返事が返ってきたことに満足しつつ、結菜は小さく笑みを浮かべた。
「うん。楽しみにしているね」
心の中で小さくガッツポーズを決めながら、結菜は彼女の背中を追いかけて歩いていく。
「ところでさ、どこへ向かっているの?」
「……あなたの新居になるかもしれない場所です。それ以外にどこへ行くというんですか?」
こちらに関しては少し期待外れな返答だ。
彼女が住める場所へと案内してくれているのは聞かなくても理解しているが、それ以外に付与できる情報はいろいろとあるはずだ。
例えば、どんなところにある家だとか、周辺には何があるだとかそういった情報の一つぐらいないのだろうか?
もしかしたら、実際に家を見るより前に余計な情報を与えたくないと考えているのかもしれない。
「あなた、もしかして人付き合い苦手?」
「……私はギルドの職員ですよ。そんなことがあるとでも?」
アンゼリカは平坦なトーンで否定する。
怒ったりしないあたりをみると、そんなことはまったくないと思っているのか、もしくは否定しつつも、どこか思い当たる節があるのかもしれない。いや、思い当たる節があれば、むしろ怒るだろうから、本当に自覚がないのだろう。
「いやいや、私からすれば少し苦手そうに見えるよ?」
「あなたに心配されるようなことはないので安心してください」
もう一度聞いてみても、あまりトーンは変わらない。
やはり、言われたところであまり気にしていないようだ。
「よくわかりませんね。会ってからあまり経っていないというのにあなたは積極的に話しかけてくる。その上で人付き合いが苦手かなどと聞いてくるとは……あなたのような人は初めてです」
「そうなの?」
「はい。ギルドの職員というのは一般の皆さま……といってもあなたの世界ではどうか知りませんが、総じて忙しものなんですよ。よく冒険者の方々は自分たちは命をかけて仕事をしているのに、ギルド職員は安全地帯で見送るだけだなんて言われますけれど、その実は違います。冒険者のためのサポートや手続きはもちろん、どの冒険者も受けてくれない仕事の中でもある程度安全が保障されているものをこなしたり、各町のギルドが綿密に連絡を取り合えるように計らうのも私たちの仕事です。なので人付き合いというのは仕事向けのものがほとんどです。特に私のようにギルド職員のほかにも仕事を掛け持ちしていると余計にです」
彼女はそういいながらため息をつく。
ファンタジーなどではよく出てくるギルド職員であるが、この世界のギルドの職員は想像以上に多忙らしい。らしいというのは仕事ぶりを見ていないからであって、実際にどうであるかはわからないからというところがある。
そのあともあれやこれやと話をしながら二人は用水路沿いの道を歩いていく。
「……見えてきました。あそこがこの町の冒険者ギルドです。ここまで来ればもう少しで到着ですよ」
そういいながらアンゼリカが振り返る。
彼女の指さす先には周りの建物よりも一回り大きい施設が灰色の天井へ向けて背を伸ばしているのが見えた。
「えっ? 冒険者ギルド? なんで?」
アンゼリカは結菜の新しい新居に案内すると言っていたはずだ。なのに行き着く先が冒険者ギルドというのはどういうことなのだろうか?
そんな疑問をアンゼリカにぶつけるが、彼女は結菜がなにについて疑問を持っているのか理解できないらしく、きょとんとしている。
「あの……ユイさん。何を言っているんですか? あなたの新居ですよ」
「いや、ごめん。意味が分からない」
アンゼリカが繰り返す新居という単語と冒険者ギルドがどうしても結菜の中でつながらない。
「あれ? もしかして、ユイさんがいたところでは冒険者ギルドに宿泊施設とか宿舎はないんですか?」
だんだんと読めてきた。
つまり、彼女は冒険者ギルドにある使っていない部屋のことを新居だといっていたということなのだろう。
よくよく考えてみれば、いきなり倒れていた人物に対して住むところを提供するといった時点で何かしらの当てがあるわけで、不動産屋でもない限りは一般的に自分の家に居候させるか、宿泊施設などの場合が多いというのは簡単にたどり着ける答えだ。
「あーごめん。私のいた世界にはそもそも冒険者ギルドがないから……」
とりあえず、いらない誤解を招かないためにそれだけははっきりと伝えておく。
彼女はどこに行っても冒険者ギルドがあって当たり前のように考えているようだが、そんなことはない。
少なくとも、日本には冒険者ギルドは存在しないし、おそらく、すべての世界で冒険者ギルドがちゃんと存在しているなんてことはないだろう。
結菜の言葉にアンゼリカはますます目を丸くして、ついには口をポカンと開けてしまった。
「へっ? 冒険者ギルドがないってどういうことですか? それじゃ魔物退治は冒険者はどこに所属しているんですか?」
「えっと……どこからどう説明すればいいのだが……」
このまま自分がいた世界には魔物はいないなどと答えたら、彼女は目を見開きすぎて目玉を落っことしてしまうのではないだろうかと思えてくる。
ただ、結菜も逆の立場なら似たような反応をするだろうから、それがおかしいなどとは言うつもりはないが……
「……まぁいいです。そのあたりはゆっくりと聞きましょう。あなたがいた場所についてより興味がわいてきました。ギルドについてからゆっくりと話をしましょう」
アンゼリカは少しだけ笑みを浮かべると、再び視線を前に戻す。
「それにしても面白い世界ですね。私たちのところとはずいぶん違うようです」
「えっうん。まぁね。それはそうなんじゃないの? 私もいろいろと驚いているし……」
ここまでくる間の会話の中でさらりと冒険者ギルドだったり、魔物だったりという言葉ができている時点で違う世界だということをひしひしと感じる。
この勢いなら、実は魔法が存在しているのですよ。なんて言われても不自然じゃない気すらしてきた。
「さて、少し時間はかかりましたが、冒険者ギルドに到着です」
そうしている間に二人は冒険者ギルドの前にたどり着く。
「私が先に入るので後ろについてきてください」
アンゼリカはそういいながら、扉を押し開けて入り、結菜もそれに続いて冒険者ギルドの中へと入っていった。