第二十六話 騎士の手伝い(中編一)
「……ここが入り口で、内部が……」
ほかに客がいないせいか、異様に静かな喫茶店の店内にアーサーの声だけが響く。
彼が遺跡について説明し始めてから約三十分。マスターがサービスで出してくれたコーヒーを飲みながらユイは彼の説明を熱心に聞いていた。
その横でアンゼリカはあからさまに興味がなさそうなそぶりをしながら紅茶にレモンを突っ込んでいる。ギルド職員としてその態度はどうなのかと一瞬、思ってしまうのだが、今はそんなことよりも目の前の説明に集中するべきだろう。
ユイはアンゼリカを視界から外して、目の前の資料に視線を落とす。
今、ユイの目の前に置いてある地図には遺跡の入り口や規模の予測といった大まかな情報しか書かれていない。
アーサーの説明によると、遺跡の入り口はムーンボウ自治区の一番奥に位置する月の神殿という建物の地下にあり、魔法を使った簡易的な調査で現在のムーンボウ自治区と同程度の大きさの遺跡が存在している可能性があるのだという。要約すると今のムーンボウ自治区は以前、この場所にあった町に蓋をしてその上に町を形成しているということになるらしい。
なんだか信じられない話だが、これも異世界ならではの事情なのだろうと勝手に納得する。
とりあえず、遺跡の大雑把な構造は理解できたつもりだ。だが、いまだに肝心なところが見えてこない。
「ねぇこの遺跡が町の遺跡だっていうことはわかったんだけど……その、どんな人たちが暮らしていたの?」
遺跡についていろいろと考えを巡らせつつ、ユイは下手をすれば、それをこれから調査するのだと一蹴されそうな質問をあえてぶつけてみる。
アーサーはユイの質問に対して、少し驚いたようなそぶりを見せるが、すぐにその表情を戻して小さく咳払いをする。
「そうだね。そういう説明を忘れていたよ……といっても、調査前だから確定的なことは言えないけれど、この遺跡に住んでいたのは月の民じゃないかって言われているんだ」
「月の民……というと?」
「そうくるか……どうやって説明しようか? えっと……まぁまずはこのムーンボウ自治区があるライトイーリス連邦は五つの特別区と約八十の自治区で構成されているのは知っていると思うけれど、その自治区の区分けの決まり事っていうのは知っているかい?」
「いえ、知らないわ」
もう少し言えば、ライトイーリス連邦のほとんどが自治区で構成されているということも知らなかったのだが、余分なことは言うべきではないだろう。事情を知っているアンゼリカと違って、アーサーは星の数ほどいる不特定多数のうちの一人だ。その一言のためにユイの事情を説明するようなことになれば少々面倒になる。
「ふむ。まぁこの町にずっと住んでいればそんなものか。だったら、説明させてもらうけれど、この自治区の境界線はもともとそこに存在していた国の国境であったり、それに近い存在だった集団が自分たちの領域だと主張していた線が根拠になっている。そもそも、ライトイーリス連邦は別の大陸からの移民が作り上げた多民族移民国家だからね。結果的に移民が住む特別区ともともとの原住民が住む自治区に分かれてしまったわけだ。といえば、大体の事がわかってくるんじゃないか?」
「つまり、月の民とはムーンボウ自治区の住民もしくは過去にこの地に住んでいた人たちを指す。そういいたい割には随分と遠回りね」
「君が説明を求めるからそうなるんだと思うんだけどね」
どうやらこのアーサーという人物、物腰の割には少々高圧的なところがある様だ。
もしかしたら、そういった面を隠すための物腰なのかもしれないが、その事実に気付いた途端、少し意外だと思ってしまった自分がいる。
ファンタジーの読みすぎなのかもしれないが、自分の中で騎士というのは強くして紳士的、そして頼りになるというイメージがあったからだ。
確かに昨日のナンパに近い変な勧誘のせいで若干そのイメージは崩れていたのだが、実際にこういう言動をされると少なからず驚かされる。
もちろん、そんなものは表には出さないが……
目の前に立つ騎士はユイが納得したのを見越して説明を再開する。
「さて、そんな月の民だけど昔からこの場所に住んでいたというのはわかっているんだけど、その町の詳しいことはわかっていなくてね。少なくとも現在の街ではないと言われていたんだよ。まぁでも、まさか今の町の足元にもう一個街があるなんて思わなかったけれどね。とにかく、今ある情報からしてこの遺跡の概要はそんなところだ。これで満足したかい?」
これ以上説明する気はないといわんばかりの雰囲気でアーサーはコーヒーを飲み始める。
ユイとしてはもう一つ疑問があったのだが、ここは必要以上の質問はぶつけずにおとなしく成り行きを見守っている方がいいかもしれない。
「さて、そろそろ説明も終わるし、本題に移ろうか」
こちらの反応をちゃんと見ているのかわからないが、アーサーはそのまま遺跡の話を切り上げる。
そこからは特別興味を引くものもない淡々とした仕事の話だ。
このリストにあるものを準備してほしいだとか、遺跡の入り口近くのテント設営を一緒にやってほしいだとかそういった内容だ。
ユイはアーサーが言った依頼内容を事細かにメモに記していく。
それこそ、授業中にノートをとるよりも真剣にだ。
この相手なら多少依頼内容を間違えたぐらいでどやかくいうことないのかもしれないが、それでも将来的にはきちんとメモを取って仕事をするというスキルが必要になる。
長期間にわたって複数のことをこなすクエストもあるだろうし、間違えたら大変なことが起こるなんて言うこともあるかも知れない。
今のところぼんやりとしか想像できないが、それでもこういったことはちゃんとしておいた方がいいということぐらいは理解できる。
「というあたりなんだけれど、どうかな? ボクとしては今日一日とは言わずに三日ぐらいでもいいぐらいだけれども」
「……おやおや、一介の騎士様に冒険者と付き添いのギルド職員を三日雇えるほどのお金があるのですか? そもそも、私たちはまだこのクエストの成功報酬について何も聞かされていないのですけれど」
話の一番最後。
具体的な報酬の話に移ろうかというぐらいのところでようやくアンゼリカが介入する。
そこまで考えて、ユイはようやく以来の報酬の話をちゃんと聞いていなかったということに気が付いた。
「大丈夫だよ。今回の調査は連邦政府が行うものだ。君たちへの報酬も当然ながら国から出る。だから、そのあたりは安心してもらっても構わないよ。とにかく、調査開始まで時間がないから人を雇ってでも準備を終わらせておけっていう命令も出ていたぐらいだから、最悪調査隊の到着までずっと君たちを確保して置くっていうこともできるんだよ。まぁそれだけの量の仕事があればだけれど……とまぁ話も済んだことだし、時間もあまり残っていない。これ以上の質問がなければ仕事に取り掛かるけれど、そのあたりはどうかな?」
「……報酬の内容を聞いていないようが気がするのですけれど、そのあたりはどうなのですか?」
「そうだね。そのあたりについては二人の働き次第でこちらから国に請求するよ。もちろん、君たちの納得がいくようには努力するからそのあたりは安心してくれ」
そういい言いながら彼は立ち上がり、伝票を手に取る。
本当にこれで説明を終える気でいるようだ。
「ねぇ最後に一つだけいいかしら?」
そんなアーサーの動きを止めたのはユイだ。
「何かな?」
「その依頼料を請求する際の金額の基準はあるの? 例えば、テントの設営を終えたらいくらだとか、すべて終えた状態を満額として、どの程度の進捗かで判断するかとか……そのあたりがどうなのかわからないと納得も何もない気がするんだけど」
「……そうか。それもそうだな……それでは、仕事一つごとにムーンボウ金貨一枚でどうだろうか? これなら仕事の追加にも柔軟に対応できるだろうからな。それとは別にムーンボウ金貨で七枚の報酬を用意する。要は仕事が完了するたびに一枚ずつ上乗せしていくというわけだ。それでどうだい?」
どうだと言われても相場がわからないので、アンゼリカの方に視線を向けてみるが、彼女は特に反応を示すことはない。
否定しないあたり、安すぎるだとか高すぎるだとかそういうことはないのだろうと判断して、ユイは小さくうなづいた。
「わかったわ。それで行きましょうか」
「あぁこちらこそ頼むよ。夢と希望をもって冒険者になったであろう君に期待するよ」
アーサーは今度は笑顔でユイに手を差し出す。
それは彼なりの気遣いなのかもしれない。そんな彼の仕草にユイは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとその手を取った。
「えぇ。よろしくお願いします」
こうして、人生二回目の……アンゼリカからのものを除けば一回目となるクエストが始まった。




