第二十三話 リコリスからの呼び出し(前編)
アンゼリカスペシャルを食べた翌日の朝。
ユイは窓から差し込む人工光で目を覚ます。この町では雨など降らないから天候に関係なく窓から差し込む光はいつも同じようなものだ。
ユイはゆっくりと体を起こしたあと、ぼっーと窓の外を眺めてみる。
そうしていると、天井から降り注ぐ光がどこから来ているものなのか気になって、じっと天井に視線を送ってみるが、その答えはわかりそうにない。
そういったことは素直に人に聞けばいいのかもしれないが、幸いにもクエストを受けない限りはいくらでも時間がある。なのでそういったどうでもいい考察に浸るというのも悪くないだろう。そういう意味では、冒険者というのは本当に自由な職業だ。
「ユイさーん。そろそろ起きてくださーい」
ただし、それは誰にも邪魔をされないという前提がないと成り立たない。
ユイは扉をしきりにノックしているアンゼリカに返事を返しながら着替え始める。
それにしても、彼女の朝はどうも早い気がする。
時計がないので正確な時刻はわからないが、昨日も彼女は光が差し込んだ少しあとぐらいに現れた。もしかしたら、光が差し込むとともに起き、軽く準備を済ませてからユイに部屋の扉をノックしているのかもしれない。
「ユイさん。まだですか?」
「もう。今行くからちょっと待ってて……あと、ちょっと……」
「早くしてください。昨晩、リコリス様がユイさんにクエストを出そう見たいなことを言っていたので、さっさと行かないとまた説教ですよ」
「えー何それ。聞いてないんだけど」
「そりゃそうですよ。今初めていったので」
アンゼリカからもたらされたとんでもない情報にユイは多少の焦りを覚えるが、準備の手を速めることはしない。
ためた水に映る自分の姿を見ながらきっちりと髪を整え、目視でできる範囲で服装を確認してから部屋を出る。
「お待たせ。ごめんね。わざわざ」
「いえいえ。これも仕事の一環なので……それよりも、リコリス様のところに急ぎましょうか」
「えぇ。そうね」
心の中で朝食はしばらく食べられそうにないな……とつぶやきながらユイはアンゼリカと並んで廊下を歩き始める。
ユイの感覚では日が差し込んでからまだ三十分ほどしかたっていないので早朝といってもいい時間なのだが、廊下にはすでにちらほらと人の姿があり、ユイはアンゼリカとともにあいさつを交わしながら空中通路があるホールを目指す。こういった風景を見る限り、この世界においてはこの時間に起きるというのはそこまで不自然なことではないのかもしれない。
おそらく、昨日もアンゼリカに起こされて廊下を歩いているときにも、こうして人の姿があったのだろうが、それに気づかなかったあたり、それだけ余裕がなかったということだろう。
「……それにしても、せっかくの休暇なのに朝っぱらからリコリス様の呼び出しを受けるとは……最悪の休日です」
「えっ? そうだったの?」
「そうだったんですよ。なんでも、私とユイさんに緊急のクエストがあるようでして……といっても、指名が私たち二人なあたり、本当に緊急なのか若干疑わしい部分がありますけれど……」
休日の計画がさっそくくるってしまったからなのか、アンゼリカは重苦しくため息をつく。
そんな彼女の姿を見て、ユイは何か声をかけるべきか迷ったが、言葉が思い浮かなかったのでユイはそのまま押し黙ってしまう。
そのことに気が付いたのか、顔は笑っていないながらも、アンゼリカは少し明るい声でユイに声をかける。
「大丈夫ですよ。冒険者ギルド職員の休暇なんてあってないようなものですから……町で冒険者に会ってサポートを頼まれれば断るわけにはいかないですし、それこそ緊急クエストに関連しての呼び出しもありますからね。どうして、冒険者の皆さまはこの苦労がわかっていただけないのでしょうか……」
「えっと……その……私はギルド職員じゃなくて冒険者だから何とも言えないけれど……その……ちょっとは気を付けるね」
町でギルドの職員を見かけても仕事の話はあまりしない方がいいかもしれない。アンゼリカの愚痴を聞きながらユイはそんなことを思う。
ただ、実際に冒険者として活動していると、どうしてもギルド職員に話しかけるという状況が発生する可能性があるので、そういうことをしないと言い切ることは絶対にしない。それはユイの中でのある種のルールのようなものといえるかもしれない。
「声をかけないとは言い切ってくれないんですね」
「んっ? だってほら、あいさつすらしないっていうのは失礼でしょ?」
「……それ、たぶん本心じゃないですよね」
どうやら、アンゼリカは適当な嘘でごまかせるような人間ではないらしい。
彼女はもう一つため息をついてユイより一歩前に出る。
「まぁいいですよ。私はそれを踏まえた上でこの仕事を希望して、今も続けているのですから……」
「あれ? そうなの?」
「そうですよ。なんですか? 私がこの三日間仕事が大変だとか苦労が多いとか言いすぎましたか? 別に愚痴の一つや二百個あっても、意外とやりがいというかそういうのはちゃんと感じているんですよ」
「そういうもの?」
「えぇ。そういうものです。もしも、ユイさんが冒険者としてやっていくのが無理だと感じたら、私がこの仕事のいいところを教えてあげます。まぁそれまでは愚痴に付き合ってもらうことになるのでしょうけれど」
そう語るアンゼリカの顔にはいつの間にか自然な笑みが浮かんでいた。
どうやら、彼女が語っていることは本心から思っていることのようだ。
「いいね。そういうやりがいというか、生きがいというか……そういうのを感じながら生活できているって」
「ユイさんはないんですか? そういうの?」
「そうね。今のところないかもしれないわね。だって、こっちの世界に来たばっかりだし、そもそも向こうにいたときにそういうのがあったかと聞かれるとちょっと怪しいかも」
言いながらユイはため息をついて後頭部に手を回す。
改めて生き甲斐がとか聞かれると、どうもピンとこない。
こちらの世界に来てからはもちろんのこと、日本にいたころもこれといって、そういったものがあったわけではない。
ただ、いつも通りに学校に行って、いつも通りに家に帰り、いつ戻りに家で過ごす。たまに特別なことがあって、嫌なことも、楽しこともあって……そんな平凡な日々が続いていただけだ。だから、生き甲斐とかそういったものはいまいちよくわからない。いや、そういった状態を生き甲斐がない人生だというのだろう。
「……ユイさん」
少しうつむきながら生き甲斐について考えるユイにアンゼリカが声をかける。
「なに?」
「ユイさん。私はあなたが前の場所でどのように暮らしていたかは知りません。結局、まだ何も聞けていないですし、それを聞きたいと求めないのはあなたが帰りたいと強く願ったところでそれがかなわないという現実を突きつけたくないからです。ですが、今回はあえて言わせていただきます。ユイさん。あなたは向こうの世界で無意味に生きていたなんてことはないはずです。何かがしたい、何をして楽しい、何かを目標にしている……あなたはそんなことがまったくない人間なんですか?」
「いや、まぁそんなことはないけれど……」
「だったらいいじゃないですか。生き甲斐なんてすごいものじゃないといけないなんて決まりはないんですから……と少々余分な話をしすぎましたね。急ぎましょうか」
アンゼリカは少しだけ歩調を早めて廊下を進んでいく。
もしかしたら、話をしていて少し恥ずかしくなったのかもしれない。
「それにしても、リコリスからのクエストって何だと思う?」
だから、ユイは話題を変えようとアンゼリカにそんなことを尋ねてみる。
「さぁどうでしょうか……一言でクエストといってもいろいろありますからね。リコリス様から直々にとなると、リコリス様個人の悩みかもしくはギルド内で何かしらの問題が発生したかのいずれかとなります。其れも開いているであろう人員を指名する当たり、喫緊の課題だというのはほぼ間違いないでしょう。その内容がどの程度のものかはさっぱりですけれど……」
「喫緊の課題ね……ギルド内でのいざこざとかそういうのかしら?」
「確かにそういうのもありますが、例えばギルドで調達するはずのものが手に入らなかっただとか、リコリス様のペットが行方不明だとかそういうこともありますので何とも言えませんね。もしかしたら、昨日来た騎士が何か関係があるかも知れません」
アンゼリカの言葉でユイは昨日の朝のナンパ野郎のことを思い出す。
確かに彼は何か知らせることがあるからといってきていたように感じる。そして、このタイミングでの緊急クエストだ。たしかに関係がないとは言い切れないかもしれない。
ただ、緊急クエストというか、リコリスから出されるクエストのラインナップに多さに多少の不安を覚えるのも事実だが、ペット探しだとか何かを買ってきてほしいとかそういう簡単なクエストなら万々歳だろう。逆にモンスターの討伐だとかそういうクエストだったら何とか断りたい。そういうことはどうしても逃避したくなるからだ。
この世界では魔物だとかモンスターだとか呼ばれる生物は討伐対象とされていて、冒険者たちは生活を守るためにモンスターを狩るわけだが、そんなものなど存在しない日本から来たユイからすれば、どんな命であれ、奪うことには多少なりともの抵抗があるし、何よりもモンスターなどと相対してまともに行動できるとは思えない。
そうなれば、その先にあるのは死そのものだ。
だったら、もうすこし実力をつけて……いや、それ以前にできる限りそういうことはしない方がいいかもしれない。
「ユイさん。もうすぐ空中通路ですよ。足元に気を付けてください」
アンゼリカのそんな声を聴きながらユイは廊下を進んでいった。




