第二十一話 食堂の裏メニュー(アンゼリカ編一)
人々がそろそろ眠る支度を始めるぐらいの時間。
すっかりと静まり返った冒険者ギルドの廊下をユイとアンゼリカの二人が歩いていた。
結局、レモマールが目を覚ますまで店番をつづけた二人は冒険者ギルドに帰った後リコリスからたっぷりと説教をされ、気づけばこのような時間になっていた。
リコリスのところへ行くまでにマルカトに治癒魔法をかけてもらったのでアンゼリカの傷はすっかりと治っているのだが、お互いに治癒魔法では取り切れない疲労感からそろって肩を落としている。
「心なしか、疲れましたね……」
「んー私も……リコリスに説教聞いていたら……」
「ユイさん。それは言わないのが暗黙の了解というやつです」
「あぁそうかもね……」
なんというか、今日一日の出来事の中で一番疲れたのはリコリスの説教だといっても過言ではない。
ただ単に座って話を聞いているだけなのだが、同じ体制のまま体を動かせないし、ただただ話を聞き続けるというのも結構苦痛だ。ひとつ言うことがあるとすれば、日本みたいに正座で説教を聞いて足をしびれさせるということがなかっただけ幸いだろうか?
ともかく、そんな説教を潜り抜けた二人はどちらからともなく食事だけでもとろうと言い出し、こうして食堂へと続く長い廊下を歩いていた。
「こういう時、動くいすとかあったら便利なのに……こう、キャスター付きとかじゃなくて、勝手に目的地まで動くてくれるような……」
「そんなのがあったら人類はとっくの昔に退化してますよ。そのキャスター付きのいすとやらがどんなものかわかりませんけれど」
ユイのありそうでないいすに対する要望にアンゼリカはただただあきれたような表情を浮かべている。
そんな彼女を前にして、ユイは魔法と万能ではないんだな。と今更ながらそんなことを考えてしまう。
「ユイさん。あなたは魔法は万能なんて思っているかもしれませんが、今ある魔法というのはたくさんの魔導士たちの研究の上に成り立っています」
「そうね。私たちの世界にも魔法はないけれど、似たような感じよ」
ユイが答えると、アンゼリカはユイの前に出て振り返る。
その表情には先ほどまでの疲れが全く見えず、先ほどまで疲労困憊していたのが演技だったのではないかと疑いたくなるほどの変化を見せている。
アンゼリカは勢いそのままに堰を切ったように話始めた。
「そうですか。でしたら、話が早いですね。ユイさん、そういう椅子が欲しくて、この世になければそれが実現するように動けばいいんですよ。自分で作るのもよし、そういうことが実現できそうな人に依頼するのもよしといった具合です。冒険者ギルドではそういったモノやヒトの仲介やなんかも担っていますので、もしも自分で作りたいとかそういう要望があればぜひぜひ冒険者ギルドの仲介サービスのご利用をお願いします」
「仲介サービスって……なんというか、ギルドっていろいろやっているのね」
「はい。せっかくの機会ですので、仲介サービスはじめ数々の取り組みについて説明したいところですが、ユイさんもそんなのを聞き届ける元気はないでしょうし、私も説明しきれる自信がないので詳細な説明はまた後日にしましょうか……すいません、新人冒険者に対して、すこしでもきっかけがあればギルドの業務を紹介するという癖がついてしまっていまして……いろいろしゃべったせいで余計に疲れました。食堂へ向かいましょうか」
「えっと、うん。お願い」
どうやら、仕事柄情景反射的に動いてしまっただけらしく、むしろ空元気だったようだ。
アンゼリカはそれのせいで力を使い切ってしまったのか、先ほどよりも強い疲労感に襲われているように見える。
「まったく、疲れているなら無理に説明をねじ込まなくてもいいのに……」
「いえいえ、これが仕事なので……気にしないでください」
アンゼリカは先ほどに比べてさらにフラフラとしながら歩いていく。
「ねぇ大丈夫?」
「……そうですね。さっきので気力やら体力やら全部持っていかれたような気がします……でも、食堂でおばちゃんのおいしい料理を食べればほら……何とかなりますので……そうですね。せっかくですから、いつ物を作ってもらいましょうか。今日は何かと迷惑をかけたのでユイさんにもおごりますよ」
「いいの?」
「えぇ。とっておきの裏メニューを紹介します。これを食べればきっと疲れも吹き飛ぶでしょうから」
「そうなんだ、とても楽しみね」
裏メニューとはまた魅力的な響きだ。ユイはこれまでファミレスやファーストフードぐらいしか行ったことがないので、そういった裏メニューと呼ばれるようなものとは縁がなく、普通にメニュー通りのものばかりを食べていた。
ファミレスで裏メニューを出してくれなどといったところで苦笑いをされて断られるという未来が目に見えている。
しかし、ギルドの食堂はどうだろうか? もちろん、フランチャイズではないし、おそらく食堂のおばちゃんてきな人たちがメニューを決めているのだろう。そうなれば、個人の趣向にあった裏メニューがあってもおかしくない。それも、アンゼリカのいう通りそれによって疲れが取れるのならより興味が持てる。
もしかしたら、単にアンゼリカが好きな何かを詰め込んだだけの代物かも知れないが、それはそれで彼女の嗜好が知れるのでいいかもしれない。
ユイはこれから食べる夕食のことに心を躍らせながらアンゼリカとともに廊下を進む。
「ねぇアンゼリカ。裏メニューってどんなのがあるの?」
「そうですね。個人個人で結構違ったりするので一概には言えませんが、私の場合は私の好みをぎゅっと閉じ込めたような感じですね」
「なるほどね……その理論で行くと、私も頼めばそういうのだしてくれたりするの?」
「そうですね。ある程度通いつめればそうち出してくれるんじゃないですか? そのためには好みを聞かれたり、食事をするときに素直な反応をすることが求められますよ。そうそう、間違っても自分から要求しないでくださいね」
そのままアンゼリカは得意げに解説を続ける。
その様子見る限り、疲れていようが何だろうが、説明を始めるのは本当に職業病なのかもしれない。
ただ、ユイはユイで裏メニューという刺激的な響きで多少なりとも元気を取り戻していたので先ほどまでと比べると、まだ元気に話を聞けている。
「……という風にですね。ギルドの食堂にはたくさんの食材が揃っているので多彩な料理を作ることができるわけです。もしかしたら、ユイさんの故郷の料理も再現してくれるかもしれませんよ」
ただし、聞ける状態にあるというのと、ちゃんと耳を傾けて話を聞いているというのは残念ながら同じではなく、ユイはアンゼリカの話をほとんど聞いていなかった。
おそらく、裏メニューの説明をしていたと思われるが、理解できたのは一番最後の“故郷の料理も再現できるかも”と言ったあたりぐらいだ。
それよりも前の長々とした説明文はほぼほぼ頭に入ってきていない。
ユイとしてはちゃんと説明は聞いた方がいいとは思っているのだが、そういう長々とした説明よりも早く食事にありつきたいという人間なら逃れられない欲求が勝ってしまいアンゼリカの話を聞くという方向に頭をうまく持って行けていなかったのだ。
そんな風に受け流してしまうほど長々とした説明が終わるころになると、ナイフとフォークをクロスさせたようなロゴが描かれている食堂の扉の前に到着する。
これほどまでにちょうどいいタイミングで話が終わるとなると、歩いて程度狙ってやっているのかもしれない。
アンゼリカは食堂の扉を押し開けて中に入る。
ユイも後に続いてい入っていくと、広い食堂にたくさんの長机と椅子がながらんでいる風景が視界に入ってくる。
さすがに時間が時間なので食堂内はすいているが、朝方や昼間にはこの食堂がいっぱいになるあたり、このギルドで食堂を利用する人は少なくないはずだ。
ユイはがらんとしてる食堂内の通路を歩き、場所取りをすることすらなく注文カウンターに向かう。
「おばちゃん。いつもの二つ」
「はいはい。いつものあれね」
カウンターにつくと、あとからついてきたアンゼリカがなれた様子で注文をする。
カウンターの向こうにいた女性はにっこりと笑みを浮かべて厨房の方へと入っていく。
「アンゼリカスペシャル二つ!」
「はいよ。アンゼリカスペシャルね」
そんな会話があった後に女性はすぐに戻ってきて、アンゼリカたちに受け取りカウンターの方に向かうようにと促した。
アンゼリカスペシャルという料理名が付いているあたり、本当にアンゼリカ個人に向けたメニューなのだろう。
どんな料理が出てくるのかと考えながら受け取りカウンターに向かうと、それはすぐに出てきた。
「……えっ? なにこれ?」
「いや、ですからアンゼリカスペシャルです」
ただし、裏メニューが必ずしも期待通りとは限らない。
例えば、今目の前にできたのはこんがりと焼かれたトーストだ。もちろん、裏メニューである以上ただのトーストではない。
トーストの上に乗っかっているものといえば、あんこやはちみつを想像しがちだが、目の前に置いてあるそれは明らかにそれらと比べて異質なものだ。
まず、色が違う。ユイが知っているトーストは少なくとも赤くはない。続いて匂い。パンを焼いたときの独特のにおいはするものの、それよりもふんだんに振りかけられている香辛料の香りが食欲をそそるようなそそらないような何とも微妙な雰囲気を醸し出している。
アンゼリカはそんな異様な雰囲気を醸し出しているトーストに対して文句ひとつ言うことなく、それを受け取って席へと向かう。
その様子を見る限り、何かが間違っているということはないだろう。
ユイは少し迷った後にコーヒーとアンゼリカスペシャルがのせられている盆をもってアンゼリカの背中を追いかけ始める。
「それにしても辛そうだね。これ……」
「これではなくアンゼリカスペシャルです。食べればわかりますよ。辛さが癖になりますよ」
「えっと……うん。そうであることを願いたいかな……」
答えながらユイは内心冷や汗をかく。
この状況では死んでも言えない。普段はあんこたっぷりの小倉トーストを食べている甘党であるだなんて口が裂けても言えない。せめて、砂糖が多めに入った味噌汁を付けてほしい。
そんなことを考えたところで盆の上に乗っかっているのがブラックコーヒーとアンゼリカスペシャルであるという事実が覆るわけもなく、そのままアンゼリカとともに適当に開いている席に座る。
「それじゃ食べましょうか」
アンゼリカはにっこりと笑みを浮かべた後、真っ赤なトーストにかぶりついた。




