第十八話 接客ができない武具店主(中編二)
レモマールの案内でアンゼリカとユイは店の一番奥にあるカウンターに向かう。
店内の陳列棚同様にあふれんばかりの商品が所狭しと積まれているその場所には、荷物の中にほとんど埋もれているような形で椅子が二つ置いてあり、その横に置いてある小さな机には大小それぞれ二つの箱がおいてある。
「……これ、お金が……入っている、から……ちゃんと、見てて」
「ちなみにムーンボウ金貨はムーンボウ銀貨10枚分の価値があって、ムーンボウ銀貨もまたムーンボウ銅貨10枚分の価値があるのでこれは最低限頭の中に叩き込んでおいてください」
「アンゼリカ、通貨……の、説明は……いらない……」
「ユイさんの場合は必要なんですよ。とにかく、続けてください」
先程まで、あきらかに不機嫌だったアンゼリカなのだが、公私の区別はしっかりとつける方らしく、その表情はいつも浮かべているのと同じものだ。
ただ、言動の端々で口調が少しきつくなるぐらいの変化はあるのだが……
「……アンゼリカ、怒ってる?」
そんな小さな変化を感じ取ったのか、レモマールが首を小さくかしげながらアンゼリカに問いかける。
「大丈夫です。怒ってないので安心してください」
「……でも」
「レモマールの目にそう見えているのなら、そうなんじゃないですか?」
「……子供、っぽい」
少し前の発言は取り消した方がいいかもしれない。依頼主が知り合いだということもあってか、彼女は機嫌が悪いまま、普段と同じ表情を張り付けているだけのようだ。
「子供っぽくて悪かったですね。それよりも、説明。続けてください」
「……うん。わかった……」
そういったアンゼリカの態度が気に入らないのか、レモマールの声からはわずかながら不満そうな感情が漏れ出ている。
そんな中で一番被害を受けているのが誰かと聞かれれば間違いなくユイだろう。険悪な雰囲気を醸し出す二人に挟まれ、体をできる限り小さくして状況をやり過ごすことしかできない。
「……つぎ、この水晶……」
五分ほどの沈黙の後、レモマールが唐突に口を開き、カウンターの端に置いてある水晶を指さした。これ以上にらみ合っていても時間の無駄だと判断したのかもしれない。ユイとしてもこの気まずい沈黙から解放されるならと彼女が指さす方向に視線を送る。
「この、水晶。店、の……中なら……どこ、でも見れる……の」
「どこでもってどういうこと?」
「……使い方、簡単……だから、大丈夫。手を、かざして」
「かざせばいいの?」
レモマールが小さくうなづいた後、ユイは水晶のそばまで行き、恐る恐るそれに向けて手を伸ばしてみる。すると、水晶は淡い光を放ち始め、少しの間をおいてから一気に光が店内を走り抜ける。
「わっなにこれ」
「……これ、で……準備、完了。水晶、に、手を触れて……から、のぞいてみて」
「水晶を?」
「そう」
ユイが手を触れている水晶はいまだに淡い光を放っていて、薄暗い店内の照明と相まってどこか怪しげな雰囲気が漂っている。それこそ、胡散臭い占い師が使っているような水晶よりも怪しげだと思えるぐらいにだ。
そんな水晶を目の前にして、考えることと言えば、この上なく怪しいこれに触れてもいいのだろうかという点だか、そんな迷いなど知るよしもないだろうレモマールは、早く触れろと言わんばかりにユイの手元に熱い視線を送っている。
その視線にさらされたユイはさすがに拒否することもできずに恐る恐るそれに手を伸ばす。
確か、レモマールは店内を見るためのものだといっていたし、そもそも今回の依頼内容からしてこんなところに何かしらのトラップが仕掛けられているはずがないのだから、さっさと触れてしまうのが正解なのかもしれない。
しかし、いくらそのことが理解できていたとしても、目の前の水晶にはあまり触れたくないと感じさせるような怪しい何かがにじみ出ていた。
「ユイさん?」
いつまでも経ってもなかなか水晶に触れないユイの姿を見て、何か感じるものがあったのか、斜め後ろに立つアンゼリカが声をかける。
ユイが水晶に触れたのは、ちょうどそんなタイミングだった。
「ひゃっ!?」
それと同時に水晶はさらに強い光を放ち、ユイの体内を冷たい何かが通り抜ける。
「なにこれ……」
そのあと襲い掛かってきたのは何とも評しがたい不快感だ。
それと同時に襲い掛かっているめまいのせいでユイは開いている方の手でカウンターに手をつく。
「ユイさん!」
アンゼリカがユイのそばまでやってきて背中に手を添える。
「ユイさん! 大丈夫ですか! しっかりしてください!」
アンゼリカが声をかけるも、ユイはひどいめまいのせいで返答すらできない。そのアンゼリカの声が段々と小さくなっているという感覚を持つあたり、気を失いつつあるのかもしれない。
「ユイさん!」
アンゼリカがもう一度声をかけたところで、とうとうユイは意識を手放してしまった。
*
ユイが目を覚ますと、真っ先に視界に入ってきたのは水晶に手を触れてカウンターに肘をついて座っているアンゼリカの姿だ。
「あぁ目が覚めましたか? ユイさん。レモマールでしたら、もう店を出たので文句を言うなら彼女が帰ってきてからにしてください」
「えっと……私、どうなったの?」
「……まぁほぼ間違いなく魔力酔いでしょうね。魔法に慣れていない人間が膨大な魔力を込められたマジックアイテムに触ったりすると、まれに起こる現象です。どうやらこの水晶には私が思っていた以上に魔力が込められていたようでして……こういっては何ですが、事前に警告することができませんでした。もしかしたら、そのあたりまで含めてレモマールは計算をしていたのかもしれませんが……」
アンゼリカは大きくため息をつく。
ここまで来て、ようやくユイは並べられた椅子の上で彼女に膝枕をされているという事実に気づき、ユイはゆっくりと体を起こす。
「……もう少し横になっていたらどうですか? あれほどの魔力酔いだったんですから、まだきついと思いますけれど」
「……うん。大丈夫そう……それよりも、アンゼリカはいいの?」
「といいますと?」
質問の意図が読めていないのか、アンゼリカは小さく首をかしげている。
「レモマールのことよ。心配なんじゃないの? 私は冒険者としてこのクエストを引き受けたからこの場にいる必要があるにしても、あなたはあくまで私の監視役なんだから、ちょっとぐらい離れても平気なんじゃない? なんだったら、私があなたとずっといたっていう証言ぐらいはするけれど? まぁ私はレモマールのことをよく知らないから、今回はどう対処するべきだとか、なにをするのが正しいのかとかよくわからないけれど、私は冒険者としてクエストをこなしているから、その間アンゼリカがどこでなにをしてるかなんて関係ないわけだし、いまから私がいうものを用意してくれば、店番ぐらいなんとかするわよ」
「ユイさん……」
店番ぐらいはできるというのはうそではない。といっても、見様見真似でそれっぽい動きができるだけでちゃんとした接客ができるかと聞かれると微妙なところだが、ユイが要求するものをアンゼリカがちゃんと用意すれば何とかなるだろう。
「……ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことはしてないでしょ? 私はただ、冒険者として依頼をこなすだけ」
「わかりました。そういうことにでもしておきますよ」
「そういうことも何も最初からそうでしょ?」
「それもそうですね……」
返事をしながらアンゼリカはゆっくりと立ち上がる。
「それで? 何が必要なんですか?」
「まぁそう大したものじゃないんだけどね。今からいう言葉をムーンボウ自治区で通じる言葉で書いてちょうだい」
ユイはアンゼリカに向けて小さく笑みを浮かべながらそう告げた。
アンゼリカもその程度ならとすぐに了承し、紙とペンを近くの棚から引っ張り出す。
「それじゃあ……」
アンゼリカの用意ができたのを確認し、ユイは書いてほしい言葉をはっきりとした口調で話し始めた。
*
「それでは、レモマールを探しに行ってくるので、店番お願いします!」
アンゼリカはユイが指定した文字を紙に書いてすぐに店を出ていく。
ユイはわざわざ店の出入り口まで出て、その後姿を見送り、そのまま店の奥にあった椅子をそこに置いて腰かける。
アンゼリカいわく、あの水晶は手を触れるだけで店内の状況がわかるという代物らしく、あれがあればこれだけ広い店内でも客が来た事を感知できるし、その行動もしっかりと監視することができるのだという。多少、使い方とうとうに違うがあるとはいえ、日本でいう監視カメラに近い役割を持っているということなのだろう。
「まったく……アンゼリカも大げさよね……レモマールの行動を見る限り、そこまで不自然だなんてことはなかったと思うんだけどね……まぁアンゼリカだから感じることもあるのかもしれないけれど……」
そんなことを言いながら前の通りに視線を送ってみる。
もう一度水晶を触って倒れては話にならないので来客をしっかりとみきまわるためにわざわざここに移動したのだ。暇つぶしに通りを眺めるぐらい問題ないだろう。
「……昨日はあんまり落ち着いて見れなかったけれど、こうやって落ち着いてみていると本当に異世界なのね……」
ここが異世界であるという認識は昨日からちゃんと持っていたのだが、こうして改めて街並みを眺めてみると、改めてそんなことを感じてしまう。
通りに沿って並ぶ建物の上に天井があることはもちろん、通りを歩く人々も甲冑に身を包んだ人や耳の長いエルフ、頭に耳が生え、尻尾を揺らしながら歩く獣人、聖書を持って歩くシスター、簡素な服に身を包みながらも立派な刀剣を持っている冒険者……この通りだけを見ていても、日本とは全く違う場所なのだとい嫌でも実感させられる。
まるでファンタジーの世界に飛び込んだようだと言ってみれば、聞こえがいいかもしれないが、実際にはそうではなくて、これを現実だと考えてしまうとどうしようもなく不安になってしまう。
あの時、あの場所で一緒に二人は無事だろうか? 自分たちは元の世界に戻ることができるのだろうか?
そんなことを考え出したらキリがない。
ユイは自らの頬を二度ほどたたいてその考えを頭の中から追い出した。
今はそんなことを考えても仕方がない。目の前のクエストに集中しなければならない。
ユイは小さく息を吐いてから立ち上がり、建物のはるか上に存在している灰色の天井へと視線を送った。




