第十三話 月が出ない夜の町
ムーンボウ自治区冒険者ギルドの四階にある結菜の部屋に昼のそれとは違う青白い光が差し込む。
アンゼリカ曰くこの町は常に魔法を使って明るく照らしているそうなのだが、町の外から来た人に配慮し、周りの町の日の出、日の入りに合わせて天井からの光を調整しているそうだ。
確かにそうでもしてくれないと、自然光の差し込まないこの都市では時間の変化というのが感じられないし、一日中昼間のように明るかったら寝ることすらままならない。これは、外の人間だけではなく町に住む人間に対しての配慮もしっかりとなされているということなのだろう。
夕方になってようやく報酬を手にした結菜は人工の光が差し込む窓際にもらった椅子を置き、そこに腰かけて夕方二階にある図書館で借りてきた本を開く。
残念ながら文字は読めないが、こうしているだけで手に紙の独特の感触が伝わりなんとなく安心できた。
「相変わらずの読書家のようね。御影結菜。読めもしない本を眺めてどうするの?」
頭上から女性の声が聞こえてきたのはその直後だ。
今、開いているページにしおり代わりの羽根を挟み頭上を見上げると、どこから入ってきたのか銀色の髪と薄灰色の目が特徴の少女が天井付近の空中に腰掛けていた。
「……あなた……誰?」
銀髪の少女から目を離さないようにしながら結菜は本を近くの机に置き、代わりにこの世界に来た直後にアンゼリカからもらったナイフをつかむ。
「……そんなもの扱えないくせに。あんた、運動はからっきしじゃなかった?」
「なんでそんなこと知ってるの? あなた、何者なの? いい加減名乗ったらどうなの?」
「クスクス。まだわからないの? 御影結菜」
彼女は口元へ手を運びにやりと笑みを浮かべる。
「……あなた、まさか陽菜?」
二度名前を呼ばれ、結菜は初めてその可能性にたどり着いた。
冷静に考えれば、今のところこの町で結菜のことを“ミカゲユイ”と呼ぶ人はいても“御影結菜”と呼ぶ人はいない。その可能性があるとすれば、一緒にこの世界に来ているとみられる陽菜と勇樹ぐらいだ。そして、勇樹は男なので必然的に目の前の少女は陽菜である可能性が高いと言う結論にたどり着いた。
「あら? やっと気が付いた? さすがにイメチェンしすぎたかな?」
陽菜は背丈より長そうな銀髪を触りながら人の悪そうな笑みを浮かべる。
「ちょうどよかった。陽菜、私を元の世界に帰して。どういうつもりで私をこの世界に送り込んだのか知らないけれど、早く家に帰りたいのよ」
「……そう。残念ながらそれはできないわ。でも、せっかくだから、あなたが元の世界に戻るため条件を達成できたら考えてあげるわ」
「条件?」
「そう。条件」
陽菜は髪をいじるのをやめて真っすぐと結菜の方を見て、その条件を告げる。
「……あなたはこの世界に来るときにある大切なものをなくしているわ。それを取り戻すことができたら元の世界に戻してあげる。さぁさぁじっくりと考えて探しなさい。まぁ見つかればだけどね」
「大切なモノ? なによ。それ」
「それを言ってしまったら意味がないでしょう? あなたが失っているモノは二つ。せいぜい頑張って探しなさい」
陽菜の言葉が終わると同時に彼女の体は暗い空間の中で窓の方へ向けて霧散していく。
「待って!」
結菜が声をかけるが、彼女は返事をすることなくそのまま姿を消してしまう。
結菜は急いで窓を開けて外を見るが、やはり彼女の姿はない。
「……まったく何なのよ……何なの? 私の大切なモノって……」
まったくわからない。彼女が残して言った言葉の意味を……それに加えて結菜は陽菜のあまりの変わりように動揺していた。
結菜が知る陽菜は少なくともあのような人物ではない。もっと年相応の笑顔を見せるような人間だった。しかし、虚空に腰掛けてこちらを見下ろしていた彼女の瞳は生命の温かみを全く感じられないほど冷たいものだった。
「陽菜……どうしてあなた……そんな風に……」
結菜は窓枠に手をついてぽつりとつぶやく。
どこからか吹いてきた夜風が結菜の頬をなでて吹き抜けていく。
「結局、私はこの世界で生きていくしかないのかしら? 私としてはなるべく早く帰してほしいのだけど……」
自分の声は陽菜に届いただろうか? そんなことを考えながら結菜はゆっくりと窓を閉じて椅子に座る。
机の上に置いてあった本を手に取り、しおりを挟んでいたページを開くが、すぐにため息をついて本を閉じる。
「はぁ本を読む気も失せちゃったじゃない……そもそも読めないけれど……」
結菜は本を近くの机に置いてから、倒れこむようにしてベッドに寝転がる。
「なんか疲れた……」
今日はいろいろとありすぎた。異世界へ飛ばされて、冒険者になって、知り合いが別人のように変わっていて……本当に訳が分からない。
それに第一目標が日本に帰ることだというのは確定として、そのためにどうするべきかというあたりがまったく見えてこないというのも疲労を加速させているのかもしれない。
結菜は目を覆い隠すように腕を顔の上に置き、そのまま目を閉じる。
いろいろと考えるべきことはあるが、今は休もう。
結菜はそのまま眠気に身を任せるようにして眠りについた。
*
ほぼ同時刻。
地上同様にしんと静まり返ったギルド前の通りにアンゼリカの姿があった。
彼女は大鎌を担いであたりを見回しながら歩く。
「いやはや、こうしてまたすぐに外泊の許可が出るとは……なんだかんだ言ってリコリス様も甘いですね。まぁだからこそ私はこうやって外に出れるのですが……さぁて、今度はちゃんと遅刻しないように行動しますかね……もっとも、それが一番難しいのですけれど……」
彼女はため息をついて後頭部に手を当てる。
この時間、基本的に家の外に出ている人はいないのでその言葉とため息が誰かに届くということはない。
昼間の活気が嘘のように誰もいない夜の街で歩みをぴたりと止めたアンゼリカは深く思考を巡らせる。
その内容は主に朝方拾った少女の事だ。
ミカゲユイと名乗った彼女は自分のことを異世界人だといい、自分はこの世界の人間ではないといった。
それが意味する本当の意味をアンゼリカはいまいち理解しきれない。
こちらの世界の常識というか、当たり前のことにいちいち驚いたと思えば、ちょくちょくアンゼリカの知見に及ばないようなことをぶつぶつとつぶやいたりする。
勿論、自分が何でも知っているという傲慢があるわけではないのだが、確かに彼女の価値観というか、常識はどこかずれている。
ある意味でそれこそが彼女が異世界人である証明なのかもしれないが、それをどこまで信頼していいのかいまいちわからない。
いっそのこと、この世界にない魔法を披露してくれるなどということがあればいいのだが、残念ながら彼女がそういったそぶりを見せる様子はない。
表向きには彼女を信頼しているといっているが、本当にそうなのかと聞かれると少し答えに詰まる。
彼女が異世界人であるという証拠がないというのもあるが、何よりも気になるのは彼女の態度だ。
最初、リコリスや自分に対して明らかに過剰な警戒心を抱いていたにも関わらず、クエストをこなして椅子を選んでいるころにはすっかりとこちらを信頼しているように見えた。
この変化の理由がわからない。いっそのこと、最後の最後まで警戒していた方がまだ自然だ。
「……はぁ何か妙なことが起きなければいいですけれど……今感じている変な気配も含めて……ですがね」
アンゼリカはギルドの建物をしばらく見つめた後に小さくため息をついて再び歩き出し、そのまま灯りの少ない夜の町の中に消えていった。




