開闔:第一話
第一話です。更新遅くてすいません……
昼休み、いつもの三人で弁当を平らげ雑談に暮れていると、校内放送が掛かった。珍しくカウンセリング室への呼び出しだというから放送を聞く生徒全員が興味津々で耳を澄ませる。名前を呼ばれたのは全三名。その中には『二年一組、三絽木裕紀徒』というものも含まれていた。だが、何かがおかしい。朝の事故の目撃者としては少なすぎる。例えその大半が体調不良で帰ったとしてもだ。
「呼び出されちゃったか。じゃあ行ってくる」
校内放送を無視するわけにもいかず、それだけ言うと、
「うん。行ってらっしゃい」
普段通りな棗と大毅は立ち上がる俺に手を振った。
カウンセリング室へ向かう足取りは重い。嫌な予感が胸で渦巻く。それとも、俺が勘繰り過ぎているだけなのだろうか。そんなことを考えている内に、その部屋へ到着してしまった。磨り硝子越しに蛍光灯の明かりが見てとれる。恐らくは先に誰かが到着していたのだろう。
思考を妨げるかのようなタイミングでドアが開く。
「いらっしゃい。どうぞ中に」
出てきたのは二〇代後半に見える長い青髪の女性だった。目を引く大きな胸には『氷堂』と書かれた名札が付けられている。何より、彼女は美しい顔立ちをしていた。一般的に美人と呼ばれるラインを裕に越えているだろう。
彼女はにこりと微笑むと俺の手首を掴み、引き摺り込むようにして部屋に入れた。その後、笑顔のままドアノブに付けられた鍵を掛ける。思わず呆気に取られていると、さらに腕を引っ張られカーテンの奥にあるチェアに座らされた。この時点で警戒度はかなり高まっていた。カウンセリングを受けるのは初めてだったが、少なくともこんなものでは無いだろうということぐらいは分かる。
「で、何の用です?」
部屋を見回すが二人以外に人の気配は無い。呼び出した三人が集まっていないというのに関わらずだ。
「ねえ。わたし、いくつに見える?」
「……へ? まあ、二〇代後半くらいですかね」
予想外の質問返しに戸惑いつつ、思ったことを答える。それを聞いて彼女は少し笑んだ。
「残念、大ハズレよ。零を一つ増やせばぐっと近付くんだけどね」
零を一つ足せば二〇〇。人間が持つ寿命から考えれば有り得ない年齢だ。最先端技術を駆使し、健康的かつ不自由な生活を送ったとしたなら不可能という訳ではないだろうが、それにしては彼女の外見は若すぎた。また、ニュースでもそのような報道は出ていない。毎日、新聞やテレビにも目を通しているが、何一つとして彼女についての情報は見られなかった。
「そうですか。俺は何の用か訊いてるんですけど」
「嘘だと思ってるでしょ。まあいいわ、そのうち証明してあげる。
それで、何の用かって話なんだけど、もちろん朝の事故ね。彼女たち、どうして亡くなったんだと思う?」
彼女はチェアに座り脚を組むと、左手で長い髪を掻き上げた。
「それを俺に訊くんですか? 」
「ええ。推測でも良いのよ。例えば、“薬物の過剰摂取”とかね」
よりによって例えがそれかと思わず唾を飲む。俺のそんな反応を楽しんでいるかのように彼女は小さく微笑んだ。朝の事故のこと。ポイヅンのこと。そして、俺がポイヅンの存在を知っていること。まるで全てを見通しているかのように。
「赤紫色のカプセル剤のことですか?」
意を決してポイヅンのことを訊ねる。全身から汗が吹き出し、声も若干上擦ってしまう。
「ふふっ、可愛い。そう、ポイヅンのことね」
「本当にそんなものが存在するんですか?」と俺は尋ねた。「噂程度の話でしかないけれど、あなたは答えを知っているんでしょう?」
氷堂はそれにこくりと頷いた。それから羽織っていた少しサイズの大きい白衣のポケットから赤紫色のカプセル剤を取り出し、親指と人差し指で摘まんで見せた。外見は聞いていた情報と寸分狂わず一致していた。だが次の瞬間、その情報はオセロの駒が白から黒にひっくり返されるが如く破壊される。
ぱりん。と小さな音を発ててカプセルが砕け散った。ほんの少し、彼女が指に力を加えただけで。カプセルは空だった。そこに撒き散らされる筈の中身は無い。薄っぺらい紙切れのように空を舞う残った破片は少しずつ色を失い形を失い、やがて存在を失った。
「あら、驚いてるみたいね。もちろんフェイクなんかじゃないわ。
ただ、“使用済み”ってだけよ。もう浄化し終わってるから、毒は入ってない」
にこりと笑う氷堂だが、対照的にこちらの心境は全く持って穏やかでは無かった。脳内の思考回路は混乱を極め、今にもショートしそうになっていた。
「使用済み……? 毒……?」
「『ポイヅン』は薬なんかじゃない。あれは毒そのものよ。
人間界に蔓延る毒。例えば悪意。例えば慢心。それはどこにでもあって、誰しもが抱くもの。
私達の使命はその毒を浄化し、万物の造る総体的感情の塊、『イグドラジル』を保護することよ」
――イグドラジル。人間界を含め、様々な世界の総合体である巨木。
ただでさえ意味が分からないというのに神話まで絡んでくるときた。もう、どこまで説明を施されようとも全く内容を理解できないだろうし、できたとしても信じることは無いだろうと思考するのを止める。
そんな諦めを表情から覚ったのか、氷堂は俺の手のひらを前に出させるとその上に再び白衣から取り出したポイヅンを置いた。
「百聞は一見に如かずって言葉があるでしょう。これ飲んで」
彼女の顔は至って真剣そのものだった。だからこそ、その表情に恐怖心を抱かないわけにはいかなかった。自分で毒だと認め言ったものを他人に、それも信じ難いほどに冷静な口調で飲めと言っているのだから。
「イヤです。毒って言いましたよね」
「だーかーらぁ!本当に毒なんじゃなくて、人間界に蔓延る悪意や慢心などの負の感情を総じて毒って呼んでるの! 本当に話聞いてたの!?」
「信用できません」
そう、信用などできる筈がない。氷堂は呆れたように溜め息をついた。
「ああ、そう。じゃあいいわ。先に私がこれを飲む。
私がこれを飲んで一五分が経ったら、あなたもそれを飲むの。いい?」
若干強い口調で言われ、しぶしぶ頷く。戸惑いや恐怖はあったが、結果としてそれを知らねばならないのだろうと自分に言い聞かせて。
氷堂は俺の了承を確認すると、何の躊躇いも無くカプセルを口に入れた。感情ひとつ顔に出さずに、当たり前のことのように。その姿は家畜の鶏が餌を啄む様を想起させた。鶏は感謝ひとつ述べることもなく、農家から与えられた餌を機械的に毎日つつき続ける。やがて羽根を毟られ捌かれるその日まで。
部屋に氷堂の姿はもう無かった。彼女は消えた。カプセルを口にした瞬間に現れた扉の中に。扉は二、五メートルほどの黒いもので、複雑な模様が描かれていた。それはさながら地獄への入り口のようで、氷堂がそれを開けると中からはどす黒い渦が顔を出した。彼女は向こうで待ってるとだけ言い残すと、渦に歩みだした。彼女が扉の中でどれだけ歩いたのかは分からない。だが、その姿が見えなくなるのにそれほど時間は掛かっていなかったように感じた。扉が閉まると、“もうそこにそれは無かった”。瞬きひとつ、僅か〇、一〇秒の間に扉はその存在を永久の虚空に隠した。
毒では無いということはすぐに判断できた。問題はその後の一五分だった。もはや恐怖心を噛み締める為の猶予にしか感じない。右手に乗ったカプセルを眺める。約束の時間は過ぎた。
眺め、悩み、“決して良い味はしないであろう”カプセルを口に放り込む。