示唆:プロローグ
えー、活動報告でも言ってた一次作品です。
駄文ですがご容赦ください。それから不定期更新です。
駅のホームでは、雑多な音が犇めき合っていた。ただ、今朝のものは普段とはかなり違ったものだった。そこに会話は無く、悲鳴と雑踏だけがプラットホームを包み込んでいる。緊急のアナウンスなど全く耳に届かないほど、空間は混乱に支配されていた。早朝の悲劇が起こった赤深駅は比較的小さな駅で、特急便は停まらない。そこから数メートル、急ブレーキで緊急停車した特急電車の前面には絵の具のように鮮やかな血痕がこびりついていた。砕け散った人間たちがまるで死の証をそこに遺したかのように。
「――今日は、非常に残念なお知らせがあります」
朝のホームルーム、担任の男性教師が悲しげな表情を造る。教室には既に朝の惨劇を目の当たりにした者と、それを聞いた者たちの嗚咽と微かな声とが入り雑じった気味の悪い空気が漂っていた。
「今日の朝、このクラスの生徒四人が亡くなりました。
既に知っている人もいると思います。亡くなったのは……」
亡くなったのは、赤里美佳、日比谷優、津原夏純、内海陽南。
それについて特に何も思うことは無かった。もちろん喜ぶことも無ければ悲しむわけでもなく、ただ無心でじっと虚空を見つめるだけだった。四人の女子生徒とはそれほど親しいという訳でもなく、稀に共通の友人を介して話すほどの関係だったからだ。だが、彼女らにまつわる噂を小耳に挟んだことはあった。
『――アイツら、危ないクスリやってるんだってさ』
危ないクスリとやらの詳細は未だに不明だ。普通に考えれば違法薬物のことだろうが、確証が無い限り断定することは出来ない。また、根拠は無いが、その噂と今回の事件に何らかの関連性があるという推測も否定できない。
「それから、現場を目撃してしまった人の心の傷は計り知れないほど深い筈です。
目撃した生徒はこちらでも把握しているので、皆さんもなるべく気遣ってあげてください」
そのリストには三絽木裕紀徒という名前が入っている筈だ。幸い、飛び散った鮮血が制服に付着することは無かったが、人間が圧し潰される瞬間の映像というものは今も脳裏で再生されている。リピート再生のように何度も、何度でも。
ホームルームが終わると一気に教室内の空気が変わり、大勢の生徒がざわめいた。室内が五月蝿ければ五月蝿いほど、穴が空いたようで一層空席が目立つ。そんな中で特にすることも無く、ぼうっと時間を過ごす。それは気分が悪いのとは無関係で、むしろこれが普段通りの姿なのだから他クラスの生徒から『ぼっち』だと思われるのも仕方ないのだろう。
こつこつと時間を刻む掛け時計を眺めていると、後方から謎の力が肩に襲いかかった。
「おい裕紀徒、聞いたかよ。赤里らの事故、集団自殺なんだってさ。
現場に居合わせた奴から話聞いてたんだけど、みんな調子悪いとか言って帰ってったんだよなあ」
肩に走る痛みの原因である少年、居神大毅がつまらなさそうに溜め息を零す。やや短めの黒髪にこんがりと焼けた肌はアクティブな彼の性格をそのまま体現したようだった。
そんな彼は人脈も広く、様々な情報を何処からともなく手に入れてくる。学校に流れる噂のだいたいのリークは彼によるものと言っても過言ではない、ある意味この学校を牛耳っている少年だ。
教師軍から目をつけられるのも仕方のないことだが、彼は全く反省しない。彼曰く『大人なんて信用できない。事実を伝えることの何が悪いんだ』ということらしく、教師の大半も彼を止めることはできないと諦めている。
「そりゃそうでしょ。聞いた限りじゃあそうとう酷かったらしいからね。
肘から先が飛んできたとか考えただけでもおぞましいよ。ていうか自殺なの?」
声の方を向くと、一人の少女が歩み寄って来ていた。彼女は誰の了承も得ずに俺の机に腰を下ろすと、細い脚で宙を掻き始めた。
松坂棗。幼稚園児の頃からの友人で謂わば幼馴染みだ。幼馴染みと言えば両思いというような迷信が唱えられることもしばしばあるが、それは彼女には適用されなかった。彼女は俗に言う恋多き乙女というやつだった。そしてその度に相談相手を頼まれる。
正直なところ残念ではあるが、恋人になりたいというのもそれはそれで違うような気がする。要するに、そういうのでは無いのだ。彼女が自分にとって恋愛対象になることは無いし、逆もまた然り。
「知ってるよ。聞いたって言うか、見た」
俺がそう言うと、
「えっ!? ユキ、現場にいたの!?」
棗は目を見開き、机から立ち上がるとこちらに向き直った。当然のことながら、同じクラスから女子生徒四人が亡くなったこの赤深高校では今朝の事故はそれほど感心度の高い話題となっていた。ちなみにユキとは小学生の頃に勝手に付けられたあだ名である。無論、棗以外の人間がその呼び方を使うことはない。
「うん」
「情報……はもう要らないかな。裕紀徒は体調どうだ?」
大毅は一旦取り出したメモ帳をポケットに戻すと、俺の肩に腕を掛けた。
「大丈夫だよ。
それと一つ訊きたいことがあるんだけど……。前に言ってた、赤里さんたちの噂のこと」
それは先ほどからずっと気に掛かっていたことだった。彼なら詳細な情報を握っていると思い素直に訊ねると、彼はその情報が良からぬものだと示唆(或いは警告)するように一瞬苦い顔をした後、軽い溜め息を零した。
「ああ、別にいいけど。……場所を移そう」
ちゃっかり着いて来る棗を含む三人は人気の無い上のフロアへ移動した。そこで大毅の口から放たれたのは俄には信じ難い噂の詳細だった。ここは何の変鉄も無い平和で穏やかで退屈な現実世界の筈。“そんなもの”が存在する訳が無い。存在していい訳が無いのだ。
――内容はこうだ。
ポイヅンと呼ばれる赤紫色のカプセル状の薬が存在する。決して表世界に出ることは無いものの、裏社会では割りと名の知れたものらしい。ここまでなら出回る違法薬物と変わり無いようにとれるが、信じられないのがその効果。飲んでから三〇分間、平行世界、詰まりはパラレルワールドへ跳ぶことが出来るというものだ。
ポイヅンに含まれる成分は不明。今まで、誰一人としてカプセルの中身を目にした者はいない。また、カプセルを開けることが出来た者もいない。見た目は普通のカプセル剤と大差無いポイヅンのカプセルだが、有り得ないくらい頑丈に出来ているらしい。液体窒素の中に入れても、一〇〇〇度以上の熱を加えても、何トンの衝撃を加えても、それは傷一つ付かないらしい。それが身体に入って作用するというのだから矛盾が生じているようにも思えるが、所詮は噂の一端でしかない。
「うっわ、最早ファンタジーじゃん。有り得ないって、そんなの」
棗が誰しもが思うもっともな意見を代弁する。パラレルワールドはポイヅンの成分が引き起こさせる幻覚症状によってもたらされる拵えものと考えるのが普通だ。効果が持続するのは三〇分。そうすれば全て説明がつく。だが、大毅は考え込むような素振りを見せていた。
「俺もそう思いたいんだけどなあ……お前みたいに単純じゃないから、つい考えすぎてしまうんだよ」
大毅の“ふとした”言葉に、棗の表情が恐ろしいほどの無になる。
「何? 喧嘩売ってんの? 買うよ? 大人買いしちゃうよ?」
先ほどまでとは一転し、高揚の乏しい声で淡々と言葉を並べる棗。昔からの分かりやすい怒りのサインだ。こうなると大抵の相手が逃げて行く。その姿を幾度となく見てきたが、未だに慣れることは無い。
「そうやって口で追い払ってるけど実際は弱いんだからさ、少し控えておいた方が良いと思うよ」
でも知っている。彼女はか弱い女の子だと。ずっと一緒に過ごしてきた中で、彼女の違う一面を何度か見たことがあった。それは砂で造られた城のように脆く、何よりも美しかった……
「……何か言った?」
……気がする。
「いや、何も」
そこでベルが鳴り響き、三人の顔が固まる。長話が過ぎたのだ。その上、今からフロアを降りなければならない。詰まるところ、どう足掻いたところでもう間に合わない。
互いに責任を擦り付け合いながら教室へと駆ける三人は、ポイヅンが実在するという事実をまだ知らない。