傾向と対策 4
【四、テスト用紙のリサイクル紙飛行機】
「瀬田、柳谷と付き合えば?」
「はい!!?」
突然投げかけられた言葉を、瀬田は脊髄反射で聞き返した。
「お前ら仲いいじゃん、気も合うみたいだし、柳谷かわいいし、お前もフリーだし、あっちもフリーだし、男女交際なくして青春ってありえないし、なにしろでかいのとちっちゃいのが一緒にいるとなんかうけるし、面白そうだからもう付き合っちゃえよ。もしそんなことになったら、祝いにだな、俺が無事に就職できて卒業できたら俺のテレビやるから。けっして粗大ゴミ捨てると金がかかるとか面倒とかそういうことじゃないから。……そうだほら、きっと柳谷はお前のこと好きだよ!」
「おーい、どんどん本心がこぼれてますよ萩尾先輩」
「だってさあ、お前」
言いかけて、サークルの主将は瀬田の呆れきった目に会話の方向を変えた。
「……まだ映るんだよ! もったいないじゃん!?」
「確かにもったいないかもしれませんが……、あのですね、おれが巴投げの練習台に使われている状況をどう見ればそうなるんですか」
おまけに柳谷さんに投げられたら怖いんですよ、いつも頭打ちそうになるから、と続けると、萩尾は腕を組んだ。
「あーあれな。投げ終わったら、相手の頭を引き寄せるっていう動作を忘れてるよな。わかった、柳谷には最後まで掴んだ手をゆるめないように言っておく」
「お願いします。あと久住から『金返してください、ってか早く返せ三万』との伝言です」
「さんまん? 30000? 3にゼロが4つ? そんな借りてないぞ?」
「知りません、久住に言ってください」
「奴の金は、今嫁さん探しの旅に出かけててな。そのうち子連れで帰ってくる。で、相談なんだが」
貸せ、とすがりつかれる前に、瀬田はその場を脱出することに成功した。
サークル棟には、何代か前の卒業生が寄附した洗濯機が設置してある。洗剤は原則的に自分で用意しなければならないが、汗臭いユニフォームを持ち帰らずに済むとあって、天気のいい日には屋上で形も種類もサイズも様々な洗濯物がひるがえっている。
瀬田が水気を含んでずっしりとした柔道着を抱えて階段を上がっていくと、踊り場に先客がいた。正確に言えば、頭を膝につけて背中を丸め、もとより小さい体をさらに縮めた状態で端に腰掛けていた。
「……柳谷さん?」
見覚えのある姿に、先程話題に出たばかりの名を呼ぶと、わずかに身じろぎする。
「…………泣いてるんですか?」
返事がないのにしばらく当惑してから、瀬田は聞いた。
「おっ、おま……!」
彼女はばっと顔を上げそうになったが、すんでのところで思いとどまった。
「なんだその質問! 普通訊くか!?」
「あ、すみません。ええと……じゃあ、目にゴミでも入りましたか?」
「余計悪い!」
ダメ出しをすると、柳谷は体中の酸素を吐き出すような息をついた。
「誰にも、見られたくなかったんだが。……お前は、まったく、本当に、間の悪い、男だな」
「……すみません」
「悪い、今のは八つ当たりだ」
詫びると、柳谷は手に持った紙で顔を隠しながら、瀬田の方を見上げて小声で言った。
「今、ものすごく、ひどい顔をしているから、見ないでくれ。あのな、実は、微生物学が、追試になって」
「や、あの、あれは、ほとんどの人が追試ですよ」
「知ってる。そうじゃないんだ、いや、そうなのかな、なんというか……最近色々とあって、でもこんなことで負けるか、とずっと思っていたんだが、なんでだろう、追試になったくらいのつまらないことで、どうして私は体内の水分の無駄遣いを」
とぎれとぎれに説明しようとする柳谷は、いつもよりずっと小さく見える。こんな暗い、ほこりっぽいところで、ひとりで泣かせていては駄目だ、と瀬田は衝動的に思った。
「……柳谷さん、外行きましょう、外!」
屋上に続くドアを開け放つと、急激に光が満ちた。勢いで行動したはいいが、次になにをすればいいのか、と瀬田が困惑していると、通常に近い声音で柳谷が言った。
「いい天気、だな。洗濯物、干したらどうだ?」
そうですね、と慌てて答えて、瀬田は物干しに向かった。むしょうに急かされた気持ちで、適当に道着を洗濯バサミで留める。
ふいっと、白い影が顔の横をかすめた。
目の前に落ちたのは紙飛行機だ。拾い上げると、柳谷が後ろから声を掛けてきた。
「やっぱり私だとあまり飛ばないな。……お前は背が高いから遠くまで飛ぶんだろうな」
放物線のことを考えても、と隣に並びながら続けた彼女の髪が、眼下で風に揺れる。
「やりましょうか?」
うん、と即座に返った了承に、瀬田は紙飛行機を飛ばすことで応えた。
うまく風に乗って上昇した紙飛行機は、フェンスを越えて、ぐんぐんと図書館の方角へ飛距離を伸ばしていく。
見送る柳谷が、無意識のうちに口元をほころばせた。
こんなことで笑えるのならいくらでも紙飛行機なんか飛ばすのに、と恥ずかしいことを瞬間考えてしまって瀬田は非常にうろたえた。そんなことを思うのは、まるで。
(待て待て待て!!)
脳裏で点滅する黄色信号にも構わずに、ブレーキの壊れた思考は突き進んでいく。
相手の体調が気にかかるのは。相手の話をふと思い出したりするのは。
――相手のために何かしたいと思うのは。
(いや、でも、短気だし、妙な口調だし、鈍感だし、はっきり言って変な人なのに)
それでも、瀬田の飛ばした紙飛行機を見つめて、柳谷が心ごと連れ去られたような顔で、泣きはらした目を無防備に細めた瞬間、世界はそれ以前と以後の二つに区切られてしまったのだ。
(……おれは、本当に間が悪い)
よりにもよって、こんな時に。
思わず高まった鼓動をなだめながら、気づかないままでいたかったにもかかわらず認めてしまった恋に、自覚した途端に前途多難な恋に、瀬田は内心頭を抱えた。
抱えることしか、できなかった。
時系列としては、この後に【解を求めよ】【Q.E.D.】が入ります。




