傾向と対策 1
お題で【解を求めよ】番外編連作。お借りしたお題は『情けない日常の十幕』
(Situation Lover様→www.geocities.jp/moesoccer2002/index.html)です。
【一、踏み外した階段】
くらりと目眩を感じて、危ないなと思いつつ踏み降ろした場所に階段はなく、かかとが空を切った。ぎゅっと目を閉じて衝撃に備えたものの、予想していたような、踊り場に落下するという重力の働きはなく、逆に身体がふわっと浮き上がる揚力を感じたものだから、柳谷は驚いて振り向いた。
すると、サークル仲間の瀬田が同じ目線上に居たものだから、柳谷は思わず持っていたバッグを手から取り落とした。なぜというなら、瀬田と柳谷の身長差は40センチ以上あるのである。先に階段を下りていた柳谷と、後ろ(よって上の段)にいる瀬田の頭の位置が一緒になるなどあってはならないことなのだった。
「あ、すいません」
瀬田は丁重ともいえる仕草で、柳谷を元の位置に戻すと、のんびりした口調で謝罪した。なんのことはない、階段を踏み外した柳谷を背後に居た瀬田が支える代わりに持ち上げてしまった、というのが真相だった。
固い床を再び踏みしめることが可能になると、柳谷は息を吐いた。
「いや、助かった。ありがとう」
小動物のような扱いに少しひっかかりはあったものの、とりあえず礼を言う。踊り場に落ちたバッグを落ちてほこりをはらった。割れものが入っていなかったのはもっけの幸いだ。
「柳谷さんは、このあと授業は?」
「今日はもう終わりだ。帰るところだったんだが……今日の練習には出るのか?」
「出ますよ。出ないんですか?」
「休む。言っておいてくれないか?」
答えると、瀬田はどこかしらきょとんとした表情で首を傾げた。その仕草が190センチ超の男に似合っているのか似合っていないのだかわからないところがまた微妙だ、と柳谷は心の中で断じた。
「大会前だから出たほうがいいんじゃないですか?」
「今日はだめだ。腹痛で。来週は出るから」
「おれは頭痛いけど出ますよ? 柳谷さんもこれまで頑張ってきたんだから、今日休んじゃうともったいないですよ。しかも腹痛なんかで」
「……それはわかっているんだが瀬田、大変辛いんだ」
「あっ、じゃあ、おれちょうど痛み止め持ってるんですが、いります? 効きますよ?」
常になく饒舌な瀬田を前に、柳谷は地団太を踏みたくなった。瀬田とは入学直後からの付き合いだし、良い友人だと思っている。しかし、そうだとしても、そして、思いやりから来た善意の言葉だと知っていても、これは鈍すぎる。あまりにも鈍すぎる。たとえ専門ではなかったとしても人体の仕組みぐらい大まかには分かっているはずだろう、男の頭痛と女の腹痛をくらべるな阿呆!
うまくごまかす気力もなくなって、短気な柳谷は、目の前の男に真実を放り出した。
「私は今日生理なんだ」
「は」
「成人女性が平均して一ヶ月に一回経験するアレだ。人により程度差はあるらしいが、私は貧血と女性ホルモンの変動に非常に振り回される体質だ。おまけに痛いし。もう痛み止めは一日に摂取していい量ぎりぎりまで飲んでしまったし。だからお前の申し出は嬉しいが辞退させてもらおう」
「は」
唖然とした瀬田の応答にも柳谷は止まらなかった。真実の大放出にもほどがある。
「いかにホルモンの働き全般が究明されていないといっても、特に女性ホルモンは悪魔のホルモンだぞお前! わけわからんうちに眠くなったり眠れなくなったりイライラしたりイライラしたりイライラしたりするんだお前には一生わからんだろう!」
「そ、そりゃあ、まあわからんでしょうねえ」
「その点、自分がいかに恵まれているかを覚えているがいい」
ものすごい剣幕で言い終わると、そんなわけで私は今日の練習は休むからな言っておいてくれ! とダメ押しして、柳谷は階段を降りていった。
取り残された瀬田は、柳谷が練習を休む理由をどう説明するべきか、しばし頭を悩ませたのである。




