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解を求めよ  作者: 立田
11/13

傾向と対策 9

【九、財布の中の、紙束・レシート】


 困惑しているかしていないか、の二択だったら、答えは明らかに前者だ。


「瀬田」

「なんですか?」

「いや……なんでもない」

 意味もなく呼ばれた瀬田は困惑した顔つきで、はあ、と答えるとパソコンの画面にふたたび視線を下ろした。しかし、たいしたことではないのだろうと当たりをつけたのか、彼にとっては最速なのだが、かなりたどたどしい手つきでキーボードを叩き出すのを横目に、柳谷は財布からレシートを取り出す。

 小さな紙切れには、店の名前と購入した商品名、その値段、そして日付が打ち込まれている。

 大事なのは二番目と四番目だ。

 それそれ順番に、チョコチップ(1Kg袋)、そして、2月13日(昨日)。

 実は柳谷は料理が好きだ。持って生まれた性格ゆえか、いささか豪快ではあるものの、いつもちゃんと食べられるものが出来上がる。味の方もそう悪くはないのではないか、と自負まじりに思う。和食も洋食も作れるが、菓子作りだって苦手ではない。苦手ではないどころか、エスニック料理よりは得意だ。

 製菓を成功させるためのコツはすべてを正確に行うことなのだが、細心の注意を払うにしても、その作業はいささか実験にも似ていて、理系の柳谷にとってそこまで苦ではない。柳谷が作れるレベルのお菓子となると、別に専門的な技量も必要ない。チョコレートを使う際の大前提をあえて言うとするならば、直火にかけないこととテンパリングをしっかりすることだろうか。ちなみにキュイジーヌショコラと呼ばれる製菓用のチョコはいったん熱を加えないでそのまま食べると消化に悪いらしい。

 話が、それた。


 去年はそんなわけでガトーショコラを作った。

 実はチョコの配布先は異性より同性が多かった。野中先輩にはあげた。他の友人にもプレゼントをした。最近のバレンタインデーというのは、女の子同士が手作りのお菓子を交換する日になっている、と柳谷は思う。

 異性には一応、父と兄をはじめ教授にもサークルの仲間にも同じ研究室の浅生にも配ったのだが、瀬田のところは完全スルーだった。瀬田のバイト先で配られたチョコレートを、逆にもらったりしたんだったな、とついでに記憶をひっぱりだした柳谷は遠い目をした。

 それでなんの支障もなかったのだ。……今年までは。

 今年は忙しいので生チョコにする、と決めたまではよかった。無事に作ることもできた。もうすでに何人かには配ってきた。

 しかし問題は瀬田だ。まあよくもここまで続いたものだ、と柳谷は先日、自分のことを棚に上げて感嘆したものだが、もうそろそろ付き合って一年になる彼は甘いものが大の苦手だった。何しろ果物の自然な甘さでさえ避けるほどである。

 チョコレートが欲しいか、とはとても聞けない、と柳谷は取り出した紙片を指で叩いた。瀬田はちょっと顔をあげたが、うわのそらの柳谷の様子に何も言わずに自分の卒論に戻った。気付かずに柳谷は考え続ける。座っていた椅子をくるりと回して、外を眺めた。

 やったら多分喜ぶだろうが、それは貰ったものに対して、ではなくて、貰ったという事態に対してだ。それは何かが違う気がする。

 プレゼントには相手が喜ぶものをあげたい、というのが普遍の原理だろう、と柳谷は腕を組んだ。ビターチョコレートにしようかとも思ったが、いくら苦かろうがなんだろうがチョコはチョコである。基本的には甘い。シャムだろうがアメリカンショートヘアーだろうが、猫が猫なのと一緒である。犬にはならない。

 というかまずそんな質問ができるわけがない。

 こんなことを延々と考えていること自体が恥ずかしい。バレンタイン=チョコという公式に憤りをおぼえる。街フいたるところに踊るピンクのハートマークが憎らしい。というかバレンタイン氏も自分の命日がこんな風に祝われるとは希望していなかったはずだ。

 なんて面倒なことに巻き込んでくれたんだ、と心中で瀬田に八つ当たりをした。去年までは、ただの平穏なお菓子の日だったというのに、今年は思い悩むうちにもう当日だ。

 ……聞きたいことはたくさんある。

 前の彼女にはチョコレートを貰ったのか、とか、なんで別れたのか、とか、気にならないと言ったら嘘だ。

 すごく気になる、が正解だ。

 気づかないうちに、相手に思考を侵食されている。これは、焼肉を食べに行ったあとの髪についた臭いに似ている、と柳谷は頭をばりばりと掻いた。洗っても洗っても取れないあれにそっくりだ。

 相手によかれと思ってしたことでも、まったく別の意味でとられることもあるということを柳谷は知っている。人間関係のトラブルにはまった数年前、それを教訓として学んだ。瀬田は多分そんなことは思わない、とは知っているが、しかし考えというのは悪い方向へと向かうとどんどん暗くなるもので、当時を思い出して柳谷は眉根を寄せた。

 それから、あのとき暴飲したときも、耐え切れずに泣いたときも、どうしてか瀬田には世話になったなあ、と目を閉じて嘆息した。バレンタインデーとは日頃お世話になっている人にプレゼントをする日でもあるらしいから、別に深く考えなくてもいいのではないだろうか。


 畜生、と口を動かさずに毒づいて柳谷は立ち上がった。

「コンビニに行ってくる」

「……いってらっしゃい」

 さっきから柳谷の百面相をちらちらと見ていた瀬田は、賢明にも何も聞かなかった。

 コンビニでも柳谷はまた悩むのだが、それはここでは割愛する。


「……瀬田、これをやろう」

「あっ、ありがとうございます」 

 おかえりなさい、と顔を上げた瀬田に生返事をすると、柳谷は自分の席に戻った。まるで難易度の高いミッションを達成したときのような感慨と疲労感があった。

 本当はわかっている。

 色々と聞けないのは嫌われたくないからだ。バレンタインなんて悩むほどのことではない。チョコレートをはじめとするプレゼントの類を渡す義務なんてないのだ。

 柳谷は財布から取り出したレシートを机の横のごみ入れに投げ込みながら、瀬田がさっそく歌舞伎揚げの袋を空ける様子をうかがった。

 瀬田が今日の日付に気づきませんように、と心の底から願う。知らなくていい。

 だってそんなの悔しすぎる。


 それでも、あげたいかあげたくないかの二択だったら、答えは明らかに前者だったのだ。




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