公爵閣下、王女殿下を甘やかしすぎではありませんか!
本作は、初めての方にもお読みいただける一話完結の短編です。
「閣下は最近、王女殿下を甘やかしすぎてはおられぬか」
そう言葉を放った瞬間、握った手が汗ばんだ。
だが、再び拳を握り直し、己を奮い立たせた。
——時は少し前に遡る。
騎士団長は考えあぐねていた。
下手に出ることはできぬ、だがどう言葉を選ぼうと相手の気分を害すだろう。
今からそういう類のことを、目の前の男に告げねばならなかった。
だれか答えを教えてくれ、内心頭を抱えていた。
顔ぶれはいつもと変わらぬ。
宰相、騎士団長、少数の教師――そして公爵だ。
いつもは公爵が優勢だ。
やれ王子の学習速度がどうだ、素行がどうだと、毎度チクリと刺してくる。
今日もそうだ。
「――計画より、遅れておられませんか」
「そうは言いましても、身につかぬまま先に進んでも仕方ないでしょう」
「王子殿下の覚えが悪いと、そうおっしゃっている?」
「そうではありません……進みが遅いのはそうです、しかし覚えが悪いわけではないのです。
ここのところ、何事かお悩みなのか、気もそぞろでいらっしゃる……ということです」
「心当たりはないのですか」
「ゼト——騎士団長の息子が何かしら相談相手になってはいるようです」
「ふむ、貴方方は把握しきれていない、と」
若造め、お前が王子を教育してみるがいい。
仕方なかろう、我らが小さな太陽は悩める年頃なのだ。
しかし今回は言われたままではおれぬ。
公爵に、言ってやらねばならぬ事があったのだ。
「先程から黙っておられますが、騎士団長からは何かないのですか」
来た!
公爵の刺すような視線。端正な顔がその視線の冷たさを補強する。
騎士団長はこれも苦手だった。
せめて王女に向ける優しさの一匙でも、我らに向けていただけぬか。
そう思いかけ、やめた。気味が悪かったのだ。
「あるには、あります」
「はい」
「あるには、あるのですが」
「はい」
あるのだ、公爵に言いたいことが!
「率直に言っていただけませんか」
公爵が訝しんでいる。
言ったな公爵、あなたが言ったのだ。
騎士団長は相手のせいにすることにした。
「あまり長引きますと……王女殿下がお待ちなのです」
騎士団長は覚悟を決めた。
「それです」
騎士団長の投じた一石は、議場に波紋を広げた。
「閣下は最近、王女殿下を甘やかしすぎてはおられぬか」
教師陣の視線が一斉に騎士団長へ集まる。
ええいままよ。
騎士団長は勢いよく立ち上がった。
「見ましたよ!王女殿下に求められるがまま、手を繋いだり抱き上げたりしておられるだろう!」
そして王子までもが、その様子を見たのだ。
結果、困った事態が起きた。
王子が騎士団長の胴にしがみつく遊びを覚え始めたのだ。
王子がやり始めると、息子も真似しだす。
さしずめコアラ。
騎士団長は子どもたちのいい遊び場にされていた。
「王女殿下ももう七つになられたのだから、自立を促さねばいけないでしょう!」
言った!
心の中で拳を上げる。
しかし騎士団長は公爵の目が見られなかった。
その場に居た宰相と教師陣までもが目をそらした。
騎士団長に、味方はおらぬ。
公爵は今、どんな顔をしているだろうか。
「ふむ……その……公爵閣下、あまり気分を害されないで欲しいのですが、騎士団長の言うようなことは、私も感じておりました」
「そういったお姿は以前から何度かお見かけしておりましたが……頻度が増えておられませんか?」
いや、騎士団長に味方は居た。
宰相という味方だ。
「ふぅん?」
公爵の声が、幾分低く響いた。
騎士団長はまだ公爵の顔が見られない。
「お心当たりが、おありでしょう」
宰相は詰める。
騎士団長はおそるおそる公爵を横目で窺った。
「…………」
公爵が一瞬視線を巡らせる。
しばし間を置き、ふう、というため息と共に公爵が目を伏せた。
その様が、妙に芝居がかって見えた。
「ままならないものですね……」
「近頃殿下が、私に我儘をおっしゃってくださることが増えたものですから……」
「できる限り望みを叶えて差し上げたい、という思いが先んじてしまったのかも知れません」
「あの方は、皆様ご存知の通り……あまりご自分の望みをおっしゃらないので」
「少し、行き過ぎたかもしれません」
公爵はゆっくりと顔を上げ、今にも消えてしまいそうな表情でこちらを見やった。
そのかんばせが切なげに歪み、藍玉の瞳が潤む。
騎士団長は知らず知らずの内に胸を抑えていた。
教師陣もまた、気まずげに視線を彷徨わせていた。
ズルいぞ公爵!
公爵は、自分の顔面の良さを知っている!
「閣下、閣下の献身は我々よく存じ上げております。ですから程々にしてくだされ、
……揶揄する者もおります故」
宰相は騙されなかった、さすがだ。
言うべきことは言ったが、最後は宰相が納めて会議は終わった。
実際より、長く感じたのは何故だろう。
会議の終わり際、公爵と目が合った。
騎士団長が身構えると、彼はその指先を口元に添えクスリと微笑んだ。
なんなんだ。
公爵を見ると、騎士団長はいつも思いだす。
——公爵が、王女殿下の後見人に納まった日のことを。
感情の見えない男だった。
若く美しい公爵。城ではそう、噂になっていた。
当時騎士団長は、公爵のことをそれだけしか知らなかった。
初めて会った公爵は、顔に笑みを張り付けていた。腹の底は見えぬ、不気味な男であった。
この男が幼子の後見人に。
騎士団長は一抹の不安を抱いていた。
結果、騎士団長の不安は杞憂に過ぎなかった。
公爵は、騎士団長が思うよりはるかに王女の扱いに長けていたからだ。
王女は彼の前では笑っている。何も憂慮することなどない。
だが未だに、くすぶるものがある。
この男を本当に信用していいものか、と。
扉を開けると、議場の重たい空気とは裏腹に、廊下には柔らかな陽光が落ちていた。
その先に、王女の姿があった。
公爵の姿を認めると、王女は頬を高揚させて駆け寄ってきた。
「ルシ、終わった?」
「ええ、お待たせしてしまい申しわけありません」
公爵は膝をつき、王女の頭を一撫でした。
「大丈夫、そんなに待ってないよ」
緩みきった頬。王女は三日月のように目を細め、その手に頭を委ねていた。
騎士団長から、公爵の顔は見えない。
だが、想像はつく。
若造め、改める気などないではないか。
「お茶に誘われて頂けますか?王女殿下」
令嬢に接するように恭しく礼。芝居がかった演技が似合う男であった。
「うん、よろこんで」
そして公爵が立ち上がると、王女が小さな手を公爵に差し出した。
なんの戸惑いもなく、当然のようにその手を包む公爵。
二人は会議室に背を向け歩き出した。
繋いだ手を機嫌よく振り回す王女。
「ルシに食べてほしいケーキがあるよ」
「それは楽しみです」
しばらくすると、王女がぴたりと立ち止まった。
公爵が不思議そうに首を傾げた。王女はしばらく公爵を見上げ――。
その上着をくい、と引いた。
まるでそれが合図のように公爵がかがみ、王女の身を抱き上げた。
「……疲れちゃった」
「仕方ないですね、歩き始めたばかりじゃないですか」
「ほんとは待ってるの疲れたんだもん」
「おやおや……」
王女を抱いた公爵が何事もなかったかのように歩き出した。
王女は嬉しそうに公爵の肩に顎を乗せていた。
その光景を目にした騎士団長の拳は自然と握られていた。
——いずれ後悔するぞ公爵め!
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