嗤う寅
それは咆哮ではなかった。
灰樹海の奥、最深層のさらに奥で、灰色の竜は一瞬だけ空気の重さが変わったことを感じ取った。地脈が震えたわけでもない。魔力が乱れたわけでもない。ただ、“上から見られた”という感覚だけが、背骨を冷たく撫でる。
核が沈黙する。
『……観測されました。』
短い報告。
それは敵意ではない。殺意でもない。もっと原始的なもの。
捕食者の視線。
遠く、森の奥、樹海のさらに深い影で、巨大な影が立ち上がる。黄金の双眸が開き、空気が震える。寅。
十二災冠の一柱。
自ら動くことはない。だが嗅ぎ取る。
「増えたな」
低く、愉しげな声。
灰森の竜が界主を四体揃えたこと、その余波が世界に波紋を広げたことを、寅は正確に感じ取っている。
「層が心臓を持った」
面白い、と呟く。
十二災冠は完成形だ。圧倒的な格を持つ存在。だが芽は嫌いではない。潰す価値があるか、育てる価値があるか、確かめるだけだ。
寅は四歩、地を踏む。
その足元から影が分かれる。
爪牙王。
裂地王。
砕角王。
無貌王。
四体の王種が地に伏す。
「行け」
威圧が落ちる。
それは恐怖ではない。存在格差そのもの。配下の血が沸騰し、筋肉が膨張し、骨が軋む。王種の限界をさらに一段押し上げる。
「壊せるなら、壊してみろ」
四体は走る。
地を裂き、森を踏み潰し、灰樹海へ侵入する。
最初の層で、洞灰狼が動きを止める。
振動が異様だ。
重い。
速い。
そして――揺るがない。
灰殻界主《断陣》が兜の奥で光を灯す。
侵入者、四。
配下、強化済。
威圧波動、層全域へ拡散。
菌糸導線が震える。骨壁がせり出す。陣が起動する。
第二層で、地面が波打つ。
地蟲界主《震路》が目覚める。
第三層で、樹牢界主《織界》が根を張り巡らせる。
第四層で、甲殻界主《反殻》が殻を硬化させる。
灰色の竜は動かない。
核がわずかな明滅で応じる。
古来より生きる冠が、灰樹海へ牙を向ける。




