守れなかった者
深層の広間に重い衝撃が幾度も反響していた。灰森の竜が翼を広げるたび空気は裂け、棘が擦れ合う音が岩肌を震わせる。灰色の巨体は広間の中央を支配し、その一挙一動が構造そのものを揺らしていた。
対するエリスは、拳を下げたまま静かに立つ。構えるというより、そこに“置かれている”ような姿勢だ。だが重心は低く、視線は揺れない。
竜が踏み込む。質量そのものが襲いかかる。翼の一振りが横殴りの暴風となり、棘を纏った前肢が岩柱ごと薙ぎ払う。広間の石床が砕け、粉塵が舞い上がる。
エリスは真正面から受けない。触れて、逸らす。衝撃の芯を流し、力を“通す”角度へずらす。しかしすべてを散らせるわけではない。翼の圧が面で押し込み、足元の岩が軋む。棘の一つが肩を掠め、血が鎧の縁を濡らした。
竜は理解する。この男は壊れにくい。だが壊れないわけではない。
次の瞬間、竜は翼で空気を叩きつけるように圧縮し、面の衝撃で押し込んだ。受け流す余地を削ぎ、逃げ場を潰す。エリスの足が半歩沈む。その刹那、竜の爪が振り下ろされる。
エリスは両掌でそれを受け止めた。
衝撃が、外ではなく内へ走る。
竜の鱗の下、骨の芯に嫌な軋みが伝わる。守っているはずの外殻を通り抜け、内部だけを叩く感覚。海砕流の理が、確かにそこにある。
背骨に熱が走る。翼の付け根が軋む。だが竜は退かない。身体能力では勝る。質量で押す。踏み込む。押し潰す。
広間の柱がひび割れ、天井の石片が落ちる。戦場が崩れ始める。
――同時刻。
中層では、別の戦いが終盤に差しかかっていた。
灰殻騎士の鎖が唸りを上げ、空間を制圧するように振るわれる。セルガルドは踏み込み、剣を交差させながら鎖の軌道を読む。その動きはかつての騎士団長との演習を思わせるものだった。
「貴様……ルーカスの戦をなぞるか」
息は荒いが、声は折れていない。灰殻騎士は答えない。ただ高所を取り、側面を抑え、侵入経路を限定する。陣地戦の再現。防衛線の構築。かつて人間が使っていた理が、今はダンジョン側にある。
イグレインが詠唱を完成させ、光の奔流が影沼を蒸発させる。鎖蛇が焼け、断層の亀裂が閉じる。しかし灰殻騎士は止まらない。焼け落ちる前に位置を変え、次の角度を取り、鎖で足を奪う。
「将軍は深部へ向かった」
イグレインが低く告げる。
「ここで止める。止めねばならぬ」
セルガルドが応じる。その目は、もう迷いを捨てていた。
読み合いは一瞬で決した。鎖が振るわれる軌道を見切り、セルガルドは一歩深く踏み込む。刃が灰殻騎士の胸を貫いた。同時に、鎖が彼の腹を貫く。
互いに、退かない。
灰殻騎士の膝が崩れ、セルガルドも片膝をつく。血が床に広がり、影沼と混じり合う。
セルガルドは剣を握ったまま、イグレインを見上げた。
「守れなかったか……」
その視線は灰森を越え、街を越え、民へ向いている。
剣が手から落ちる。灰殻騎士も、完全に沈黙する。
イグレインは杖を握り締め、低く言った。
「弔うぞ・・・!」
それは主君へ向けた言葉であり、倒れた騎士へ向けた言葉でもあった。
だが、その静寂は長く続かない。
地面が裂ける。細く素早い影が足元に絡みつく。蛇種だ。一本、二本、三本と重なり、魔力の流れを封じられる。詠唱が途切れ、杖が弾かれる。
イグレインは理解した。
価値があると判断されてしまった。
深層。
竜が天井を砕き、落石を降らせる。粉塵の中で、エリスが滑るように移動し、再び竜の胸へ掌を当てる。
「海砕流・穿潮」
衝撃が内部を揺らし、竜の呼吸が乱れる。だが竜は牙を剥き、低く笑う。
「弱いな」
それは挑発ではなく、事実の確認だ。内部は軋む。だがまだ折れない。
竜が尾を振るい、壁ごとエリスを叩きつける。岩が砕け、血が飛ぶ。それでもエリスは立つ。目は静かだ。
「……強いな」
認める声音。
そのとき、背後で微かな息が戻る。
カイの指が動く。意識が戻りつつある。
竜の視線が一瞬、そちらへ向く。
エリスの瞳が鋭く細まる。
守る者と、断つ者。
選択の瞬間が、近づいている。
名もなきモブ「ルーカスさんって意外と強いんだな」




