14筋 筋肉理論の限界
魔王城・最深部。
そこはもはや「訓練場」という言葉では足りなかった。
筋肉現象発生区域。
そう記した札が、入口に無言で立っている。
*
魔王オーマは、床に立っていた。
ただ立っているだけで、
足元の黒曜石が軋み、沈み、わずかに波打つ。
重力は一定ではない。
空気の密度も安定していない。
それでも、魔王は静かに呼吸を整えていた。
「……始めよう」
低く、短い声。
次の瞬間。
魔王は、スクワットの姿勢に入った。
ただのスクワットではない。
参謀ボウサンが組み上げた、最新式――
《重力魔法多層負荷式・魔王用スクワット》
・重力:通常の十二倍
・下方向だけでなく、斜め・横方向からも同時加圧
・筋繊維の回復を阻害しないギリギリの魔力循環
理論上、
三回で常人は消滅する。
*
「いーち……」
魔王が腰を落とす。
ドゴン
床が陥没する。
「にー……」
空気が爆ぜる。
「さー……」
魔王の太腿が、
まるで生き物のように――うねった。
*
周囲に控える魔族たちは、
すでに三割が膝をついていた。
「お、おかしい……」 「見ているだけで……筋肉が……」
一人の魔族が、ふらつきながら叫ぶ。
「ま、魔王様……!」 「こ、これ……何セット目ですか……?」
魔王は、真顔で答える。
「ウォームアップだ」
その瞬間、
二人の魔族が無言で倒れた。
*
参謀ボウサンは、震える手で記録を取っていた。
「筋繊維反応……異常値」 「疲労物質……検出されず」 「回復速度……説明不能」
紙に書いた数式が、
意味をなさなくなっていく。
(成立している……)
ボウサンは歯を食いしばる。
(理論上は、完全に成立している……!)
だが。
(なのに……)
視線は、自然と水晶へ向かう。
*
水晶には、
筋肉勇者・竹助内人の姿が映っていた。
彼は――
何もしていなかった。
ただ、
腕を組み、
静かに立っている。
呼吸も、
気配も、
全てが「普通」。
なのに。
ボウサンの背筋を、冷たいものが走る。
(……あれは……)
数値化できない。
理論に落とせない。
(筋肉が……概念になっている……)
*
その瞬間だった。
魔王オーマの胸が、
わずかに――疼いた。
「……?」
魔王は、スクワットを止めないまま、
自分の身体に意識を向ける。
(今のは……)
筋肉が、反応している。
疲労ではない。
負荷でもない。
比較だ。
自分の筋肉が、
水晶の向こうにいる男を――
(……“上”だと……?)
魔王の口元が、かすかに歪む。
*
「……馬鹿な」
呟きは、誰にも聞こえなかった。
魔王は、もう一度腰を落とす。
「……四」
床が、完全に割れた。
*
参謀ボウサンは、ついにペンを落とす。
「……あり得ない……」
理論は、限界に来ていた。
いや――
理論の外に、
竹助内人の筋肉が存在している。
*
魔王オーマは、立ち上がる。
汗一つ、かいていない。
だが――
その瞳には、確かに宿っていた。
嫉妬。
魔王が、生まれて初めて抱いた感情。
「……」
水晶の中の男は、
こちらを見ていない。
それでも。
魔王の筋肉は、確かに理解していた。
(……あそこまで行かなければならない)
王としてではない。
魔族としてでもない。
筋肉として。
*
魔王城の奥深くで、
静かに、しかし確実に――
運命の歯車が、筋肉で回り始めていた。




