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筋1 筋肉は裏切らない

――まだ死ねない。


竹助内人たけすけ うちとは、床に伏したまま、最後の力でそう思った。

八十余年。彼は生涯を筋肉に捧げてきた。

朝は自重、昼は負荷、夜は追い込み。

老いてなお、衰えゆく身体を否定するように、彼は鉄を握り続けた。


「……俺はまだ、筋肉の真理に……辿り着いていない……」


その想念を最後に、心臓は静かに止まった。



次に目を覚ました時、竹助は白い天井を見上げていた。

知らない場所。知らない匂い。

だが――


「……軽い」


身体を起こした瞬間、理解した。

関節に軋みがない。呼吸が深い。

何より、身体の内側から湧き上がる、あの確かな感触。


「……戻っている」


自分の腕を見る。

張りのある筋腹。血管の浮いた前腕。

全盛期。二十歳前後の肉体。


「よかった」


彼は、心からそう思った。


「これで俺はまた、筋トレができる」


状況確認は後だ。

筋肉がある。それだけで十分だった。



そこは、剣と魔法が支配する異世界だった。

竹助は「勇者」として神殿に召喚されていた。


白亜の神殿。

祭壇の前に立つ神官が、震える手で水晶板を覗き込んでいる。


「……え?」


神官は、もう一度、表示を確認した。

そして、三度目でようやく、竹助を見上げた。


「お、お名前は……タケスケ・ウチト様で、間違いありませんね?」


「いかにも。通りすがりの筋肉だ」


「……は?」


神官は咳払いをし、改めて水晶板を見つめる。


「職業……『聖筋肉』」


沈黙。


「スキル……なし」

「魔法適性……なし」

「加護……筋肉?」


神官の顔色が、紙のように白くなった。


「せ、聖筋肉……? そんな職業、聞いたことがありません」


「知らないのか?」


竹助は静かに言った。


「筋肉に、不可能はない」


神官は言葉を失った。



気を取り直した神官は、勇者用の装備を用意した。

聖剣、聖鎧、祝福の籠手。

歴代勇者が使用してきた、由緒正しき装備である。


「で、では……こちらをお試しください」


まず、聖鎧。


竹助が腕を通した瞬間――

バキン、という乾いた音が神殿に響いた。


「……?」


鎧の胸部が、内側から押し広げられ、裂けている。


「な……」


次に籠手。

装着した瞬間、金属が悲鳴を上げ、継ぎ目が外れた。


最後に聖剣。

握っただけで、柄が砕けた。


神官は膝から崩れ落ちた。


「こ、こんなことは……初めてだ……」


装備が、筋肉に耐えられない。

そんな前例は、神殿の歴史に存在しない。


だが、竹助は落ち着いていた。


「問題ない」


神官を見下ろし、静かに告げる。


「筋肉は、裏切らない」


「し、しかし……装備なしで、魔王を……」


「魔法も、武器も不要」


竹助は拳を握る。

筋肉が、確かな存在感をもって応えた。


「俺には、筋肉がある」


その瞬間。

神殿の空気が、わずかに震えた。


世界はまだ知らない。

この男が――

常識という名の幻想を、筋肉で論破し尽くす存在であることを。



神官は、ただ一言、震える声で呟いた。


「……この世界は、どうなってしまうのでしょうか」


竹助は答えなかった。

ただ一度、腕を組み、胸を張る。


プロテインが足りていないのは――

世界の方だった。

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