創立祭明け4日目:鋼のメンタルを持たない者は、生徒会館へ向かう
「猫…ですか?」
「そう、猫です。」
「飼ってません。」
「嘘つけ」
この日の朝、シェリアーナは、図らずともドゥランと対面していた。
しかし、念願叶って彼に対面できたにも関わらず、話している内容は、何故か猫についてであった。
◇
人間の三大欲求で何が自分にとって一番大切かと問われたら、シェリアーナは間違いなく睡眠と答えるだろう。
昨日、シェリアーナは家に帰るとすぐ、ベッドに横になりながら、ドゥランにどう接触するかを考えていた。
本当はSクラスに会いに行くのが一番手っ取り早いのだが、あのクラスには知り合いもおらず、高位貴族がごろごろいる。そんな特殊な学級に、知り合いでもない自分が突然ドゥランを呼び出したら、間違いなく変な噂が立ちそうだ。そう思うと、どうにも踏み出せなかった。
他に良い案はないかと色々考えているうちに、課外授業の疲れもあってか睡魔に負けてしまった。
シェリアーナが空腹感で目が覚めたとき、時計の針は夜を通り過ぎて明け方の時間を示していた。外を見ると、空は薄っすらと明るくなっている。
シェリアーナが昼寝をするとき、家族の誰も彼女を起こしに来ることはない。彼女が昼寝の邪魔をされるのを嫌うことを、皆よく分かっているからだ。では使用人はどうかというと、クインシー家では午前中に掃除と晩の食事の仕込みをしに来る者一人しか雇っていない。(なぜなら貧乏だから)
彼女もシェリアーナの昼寝を妨害するようなことはなかった。
そうして誰にも邪魔されずに寝た結果、シェリアーナは明け方になるまでぐっすりと眠ってしまった。さすがに寝過ぎたと思いはしたが、後悔はしていない。
(結果オーライだ。人が来ないうちに、早く学校に行ける。)
当初、シェリアーナはドゥランたち生徒会の者が校門に立っている時間に、彼に声をかけようかと考えていた。
毎朝、登校時間になると、生徒会の2、3人が日替わりで校門前に立ち、登校してくる生徒たちに挨拶をするのが彼ら生徒会の日課の一つだ。
校門前に立たない他の生徒会メンバーも、朝から校内を見回りながら生徒たちとの交流を図っている。
ただし、始業時間が近付くと、生徒会の面々は授業準備のため学校職員と交代してしまう。
言い換えれば、朝早く登校すれば、確実に生徒会メンバーの誰かには必ず会えるというわけだ。
しかし、その時間帯は、登校中の生徒たちでごった返している。そんな中で、ドゥランだけを狙って個人的な話を切り出すような鋼のメンタルは、シェリアーナにはなかった。
そこでシェリアーナが考え直した案は、
「よし、誰もいないうちに、さっさと手紙を投函しに行くぞ。」
生徒会の相談箱を使うことにしたのである。
彼女の考えはこうだ。
朝であれば、生徒会の連中はみんな校門前か、見回りで生徒会館からは出払っているはず。
その時間を狙って、ドゥラン宛ての手紙を、相談箱にこっそり投函しに行くというものだ。
『ドゥランさんへ。
はじめまして。あなたに確認したいことがあり、このようにお手紙を差し上げました。
創立祭が終わったあと、私を保健室まで運んでくださったのは、あなたではないでしょうか。
念のため、経緯をお話いたします。創立祭の日、祭りのあとに行われたクラスの集まりで、私は体調を崩して倒れてしまいました。その際、どなたかが私を保健室まで運んでくださったのですが、クラスの誰も、両親ですら、その方のことを覚えていないのです。
私の友人は、その人物は生徒会でうちのクラスまで見回りに来ていたあなたではないかと言っています。
私は、助けてくださった方にどうしてもお礼を伝えたいと思っています。
もしあなたでないとすると他の生徒会の方かもしれません。その場合は、どうかその方を探すお手伝いをしていただけないでしょうか。
二年Aクラス シェリアーナより。』
ティラントのアドバイス通り、ドゥランが自分を介抱してくれた人物か確認しつつ、もし違う場合は協力をお願いしたい旨を書き綴った。内容としては完璧である。
あとは身支度を整えて、すぐにでも学校へ向かおう。シェリアーナはひとまず腹ごしらえをしに部屋から出ていった。
◇
生徒が授業を受ける教室棟、それから保健室など専用の教室がある管理棟、その隣にある旧校舎から少し離れた場所に、生徒会館は建っていた。小高い丘の上にある、小さなお屋敷のような建物である。
なぜこのような立地に建っているのかというと、学校全体を見渡すことができるため…だとかなんとか。
(ここを毎日上り下りしてるなんて…生徒会は変態の集まりに違いない)
体力のないシェリアーナは、生徒会館に着くまでの間に、見事に息を切らしていた。
行き方は緩やかな坂道と階段の二択だったが、近道である階段を選んだのが失敗だった。勾配がきつすぎて、距離こそ短くても、労力は確実に階段のほうが大きい。
シェリアーナはここを訪れるのは初めてだったが、階下を見下ろすと校舎全体を一望でき、なんとも心地よい景色が広がっていた。
息も絶え絶えになりながら、シェリアーナはなんとか生徒会館の前まで辿り着いた。
その建物は噂に違わず立派で、まるでここだけが学園とは別の世界のように感じられた。
外観でこれだけ豪華なんだから、中も素晴らしい調度品で溢れているに違いない…中に入ってみたい気もするが、部外者である自分が足を踏み入れることはこの先もきっとないだろう。
入口前を見ると、ポツンと置かれた箱に気付く。箱の表面には『相談箱』の文字がしっかりと記されていた。誰かの手作りと一目で分かるような質素な見た目をした木箱は、周りの豪華さからひどく浮いており…そのコントラストはとても面白く思えた。
シェリアーナはカバンから封書を取り出し、さっさと手紙を投函して、誰も来ないうちに本校舎まで帰ろうとした。
だがそのとき、生徒会館の窓から注がれる視線に気付き、思わずその手を止める。
「…はっちゃん?」
窓越しに目線があったのは、青い目をしたはちみつ色の美猫。
(なんで生徒会館の中なんかに?いや、旧校舎にいるよりこっちのほうが違和感ないけど…)
シェリアーナがそちらへ近付こうとすると、はっちゃんは窓から降りて部屋の奥へと消えてしまった。シェリアーナは慌てて中を除きこむが、窓には薄いカーテンがかかっており、奥の様子はよく見えない。
――もしかして、はっちゃんは生徒会館で飼われている猫なのだろうか?
やっぱり、野良なんかでは無かったのだ。
はっちゃんは生徒会会館で飼われてる飼い猫で、生徒会のみんなに手入れされ、良い餌を貰っているから、あんなに綺麗な毛並みをしてたのだろう。旧校舎には、たまに抜け出して遊びに来ていただけだったのかもしれない。
「…」
ただの憶測でしかないのに、シェリアーナはひどくガッカリした気持ちになっていた。
普段、はっちゃんは、あのやんごとなきキラキラした生徒会の面々に可愛がられていて、自分は、たまに会っておやつをくれる、ただそれだけの人間。
――いや、実際そのとおりなのだけど。
自分だけがはっちゃんにとって特別な存在なんだと思っていたけど、そうでは無いのかもしれない。
まだここで飼われているかどうか確定したわけではないが、嫌な想像ばかり膨らみ、それと同時に急速に気分が沈んでいく。
(…こんなとこ、来なければ良かった。)
ただ手紙を投函しに来ただけなのに、知りたくもないことを知ってしまった。勝手な想像でどんよりした気持ちになったシェリアーナは、もはや本来の目的を忘れて、生徒会館に背を向け本校舎へと戻ろうとした。
そのとき、「おはようございます。何か生徒会に御用ですか?」と、後ろから急に声をかけられ、シェリアーナの身体がびくっと跳ねた。
「あ…」
シェリアーナがゆっくり後ろを振り向く。
そこには、彼女が会いたいと思っていた人物が、入り口の扉を開けて立っていた。
生徒会会計、ドゥラン。
すらりとした体に、完璧なパーツと比率で構成された顔。彼の明るくさらさらとした髪は、朝日を浴びていっそう輝いて見えた。
彼はいつも感情を感じさせない表情で、それがかえって人ならざる者のような神秘さを漂わせている。
人の美醜に無頓着なシェリアーナでさえ、間近で見た彼の容姿を美しいと思わずにはいられなかった
「今はみんな朝の見回りに行ってしまったので、ここには私しかいないんですが、私で良ければ話をお伺いしますよ。授業前なので、そんなに時間は取れませんが。」
なんという幸運なんだろうか。
ここにはドゥラン一人しかいないという。
彼と一対一で話すのが難しいと感じたから、こうしてここまで手紙を書いて投函しに来たというのに。
無表情でじっとこちらを見つめるドゥランから目を逸らし、シェリアーナは手に持っている封書を見る。
(本人に直接聞けるなら、これいらないじゃん)
そうと決まれば、さっさとドゥランと話をしよう。シェリアーナは手に魔力を込め、持っていた手紙を一瞬にして燃やした。
「…はい、ぜひ、私の相談を聞いて欲しいです。」
先程沈んでいた表情から一転、少し緊張しつつも、口元にわずかに微笑みを浮かべながら、シェリアーナは静かに応じた。




