後日談4.仕返し(シェリアーナ視点)
ラブコメ感強めです。
シェリアーナはふと不思議に思った。
今のこの状況――それがいつの間にか、毎日の日常の一部になっていること、そして、そのことに違和感を覚えなくなってしまっている自分に。
「ねえ、なんだか最近、私たち毎日一緒にお昼食べてない?」
「言われてみれば、そうですね」
旧校舎の備品庫で、今日もドゥランと向かい合い、昼食を広げている。
今日だけでなく、昨日も一昨日も……
ドゥランも、一度誘ってしまった手前、こちらから声をかけないといけないと気を使っているのではないだろうか。
「義務になってない?大丈夫?」
「まさか。僕がシェリーさんと一緒に過ごしたくて誘ってるんです」
「あ、それならいいんだけど……」
シェリアーナは一瞬、ドゥランの言葉を聞き流そうとしたが、ふと引っかかるものを覚えた。
(いや、待て。自分と一緒に過ごしたくて……だと?)
正直、彼には、めちゃくちゃ懐かれているという自覚がある。
ドゥランが猫に擬態していた頃、一生懸命に餌付けして距離を縮めていたことが、まさかこんな結果を生むとは思ってもいなかった。
最近は二人でいるところを色んな人に目撃されているので、「二人は付き合ってるの?」と頻繁に聞かれるようにまでなってしまった。
しかし――ドゥランとは、決してそのような関係ではない。
例えるなら、野良猫とそれに餌付けをする人。
もしくは、飼い猫とそのご主人。そんな関係がいちばん近い。
自分としては、彼の正体がはっちゃんだと知ってから、ドゥランのことを「人間の形をした猫」としか見られなくなっていた。
実際はまったく逆なのだが、そんなことはシェリアーナにとって些細なことであった。
目の前のドゥランの顔を、シェリアーナはじっと見つめる。
相変わらず、一分の隙もなく整った顔立ちだ。さらさらとした明るい蜜色の髪は、はっちゃんのときと変わらず、柔らかそうに見える。
そして気がつけば――こんな言葉を口にしていた。
「ねぇ、髪触っていい?」
本当にただの好奇心で口からついて出た言葉だった。
なんの他意もなく、ただ、猫を撫でるのと同じ感覚で。
しかし、向こうはそういう風には捉えなかったようだ。
「え」
いつもは表情をほとんど変えない彼が、珍しく驚きの色を見せた。
(あれ、猫以外のときはダメだったか)
「ダメ?」
「いや、ダメじゃないですが……」
ダメではないのなら、許可されたと受け取っていいだろう。
よいしょと膝に乗せていたご飯を脇に置き、身体を乗り出して彼のこめかみあたりの髪に触れた。
ドゥランは一瞬びくっと身体を動かしたが、それに構わず、手触りを確かめた。
(お?意外と固い!)
以前、ナバールの髪に触れたときは、絹のような手触りだと思った。
しかし、それとは違い、ドゥランの髪は見た目よりも固く、いかにも男性らしい感触だった。
「やっぱり、猫になってるときと手触りが違うんだね」
「それは人間と猫ですからね……猫になってるときに自分の毛並みを触ったことがないのでわかりませんが……あの、何してるんですか」
ドゥランに問いかけられて、シェリアーナは「あ」と気づく。
いつの間にか、髪に触れているだけだったはずの手が、彼の頭をしきりに撫でていた。
まるで、はっちゃんの頭を撫でるかのように。
シェリアーナは慌てて彼の頭からその手を離した。
「ご、ごめん。全然違うのに、はっちゃんの頭を撫でる感覚で触っちゃってたわ」
無意識、こわい。
今のドゥランは自分と同じ人間で、そして健全な男子生徒である。
いくら友達とはいえ、やり過ぎた。
これがティラントなら、めちゃくちゃに引かれた上で、異性にむやみに触るなとお説教が待っていることだろう。
しかし、
「問題ありません」
どうやらドゥランの場合、問題なかったらしい。
猫になったときに、自分に撫でられまくっていたから耐性ができているのだろうか。
「ちなみに、頭を撫でられたときって、猫と人間のときで感覚は違うの?」
「そうですね……猫のときは頭より耳の周りやお腹を撫でられるほうが好きなんですが、さっき頭を撫でられたのは、とても心地良かったです」
「そ、そうなんだ……心地よかったなら良かったよ」
そこで、シェリアーナは少しばかり、いけない好奇心が湧いた。
猫のときにやってることを、人の彼にやっても心地いいのであれば、他の行為はどうなのだろうか、と。
「あのさ、嫌だったら断って貰っていいんだけど……」
「?なんでしょうか」
シェリアーナは少し口ごもりながら、ドゥランに対してお願いを口にした。
「……抱っこと猫吸い、試してみてもいい?」
「!」
あまりにも予想外の要求だったのだろう。ドゥランは先ほどよりもさらに驚いた様子で、シェリアーナを見つめてきた。
「それは⋯⋯猫に擬態すればいい、ということでしょうか?」
「ううん、そのままで大丈夫」
「……」
このとき、ドゥランの頭の中は軽く混乱していた。
猫吸いとは、猫の身体に顔を埋めて、その香りを楽しむものである。
今の自分を匂ったところで、十代後半の男子の匂いなんて汗臭さしかないだろう。
しかも、抱っこだと?猫を抱くみたいにわきの下に手を入れて腕に抱える気なのだろうか?
(彼女は一体、何を考えているんだ……)
しかし、黙ったままのドゥランを、彼女はそれを肯定と受け取ってしまったらしい。
「座ったままでいいよ」
そう言うと、シェリアーナは椅子に座ったドゥランの横に立ち、彼の後頭部へと顔を近づけて、フンフンと匂いを嗅いだ。
(え!?はっちゃんの匂いがしない!?これは……雄だ!雄の匂いがするっ!!)
シェリアーナは、少なからずショックを受けた。
どこかには、はっちゃんと同じおひさまの匂いがするものだと、勝手に思い込んでいたからだ。
それどころか、自分の父親や弟から漂うような男くさい匂いに近く、改めてドゥランが人間の男の子なのだと、嫌でも思い知らされてしまった。
「どうでした?」
「雄の匂いがした……」
「でしょうね」
ドゥランはわかりきった答えに、頷きを返した。
そして、シェリアーナのガッカリした顔に、何故か彼の気持ちはざわついた。
「で、抱っこはどうします? どんな態勢にしてほしいか言ってくれれば、その通りにしますよ」
やりたい放題のシェリアーナに、もはやドゥランは、彼女が満足するまでこの身を捧げてやろう――そんなやけくそな気分になっていた。
しかし、そんなふうに覚悟を決めたドゥランとは対照的に、シェリアーナはやんわりと断りを入れてきた。
「いや、なんかやっぱ違うから、抱っこはいいかな……」
(彼は……猫じゃない)
さっきの匂いで、ドゥランが普通の人間の男性なのだと、はっきりわかってしまった。
抱き上げようとしたところで、簡単に持ち上がるはずもないし、はっちゃんのような感触を期待することもできない。
普通に考えればすぐにわかることだ。
それなのに、さっきまでのシェリアーナは、完全に彼を猫と混同していて、どうかしていたとしか思えなかった。
「試してみるのも、悪くないと思いますよ。はい、どうぞ」
ドゥランは遠慮するシェリアーナに向けて、腕をあげてみせる。
脇の下から持ち上げて見せろということらしい。
「いやー……ちょっとそれは……」
「ほら、躊躇わず、一思いにやってください」
「いやいや」「どうぞ」
そんなやりとりが数回続く。
……どうやらこれは、試さないことには終わりそうもない。
(自分から言い出したことなのに、今さらになってめちゃくちゃ恥ずかしい⋯⋯!)
シェリアーナは、心拍数の高まりを落ち着けるために小さく深呼吸した。
「じゃ、じゃあ……ちょっと失礼するね」
もうどうにでもなれ、という気持ちで、シェリアーナは座っているドゥランの前に回り込んだ。
そして前から彼の脇に手を回し入れ、抱きしめるような姿勢をとる。
同級生相手に一体自分は何をしているんだと思うが、今は深く考えないことにした。
「いくよ」
その掛け声とともに、むんっと力を入れる。
しかし、彼の身体はびくりとも動かない。
幼い弟や妹なら、一瞬で持ち上がっていたくらいの力を込めたはずなのに。
細身に見えるドゥランが、こんなに重いとは思ってもいなかった。
「どうです?」
先程とおなじく、ドゥランがシェリアーナに感想を聞いてきた。
「……はっちゃんと違って、まったく持ち上がりませんでした……」
「でしょうね」
既視感のあるやりとりである。
シェリアーナは気まずそうにそっと身体を離すと、自分の椅子へと戻った。
「次は、僕からもお願いがあるんですけど、いいですか?」
どうやらドゥランにも、自分に対してお願いしたいことがあるらしい。
ついさっきまで彼のことを好き放題に付き合わせてしまった手前、できるだけ彼の願いには応えてあげたいと思っていた。
「お願い?いいよ、なんでも言って!」
そんなふうに快い返事を返してみたのだが……
「僕も、シェリーさんを抱っこして、猫吸いさせてほしいです」
「……!?」
お願いに応えてあげたいと思っていた気持ちは、瞬時に頭の中で空中分解した。
まさか、自分が先ほど彼にしたことを、今度は彼が自分にするようお願いしてくるとは思ってもみなかった。
「いやー……ごめん。私はまだ擬態魔法が使えないから、抱っこも猫吸いも、ちょっと……」
暗に「ムリムリ」と断るが、そんなことでドゥランが引き下がるはずもなく――
「擬態魔法なんていりません。そのままのシェリーさんで大丈夫です。それに、さっき"なんでも言って"って言ったじゃないですか……」
「う……」
シェリアーナは彼の拗ねた様子に弱い。
はっちゃんが餌をおねだりして貰えなかったときのような、あの寂しげな瞳を彷彿させるからだ。
「……私でやってみても、なにも面白いことはないと思うよ」
「試してみないとわかりません」
「そうかなー……」
「僕がそこの壁際に座るので、膝に来て下さい」
「ん!?膝!?ドゥランの膝に私が座るの!?どういう状況よ、それ」
「僕がシェリーさんの膝で丸まって寝たときと同じですよ」
絶対に違う。
けれども、やると決めたドゥランは有言実行の人である。
彼は椅子から立ち上がり、そのまま壁際の床に腰を下ろした。
「どうぞ」
ドゥランはそう言って、胡坐の姿勢をとり、自分の腿をぽんぽんと叩く。
「ええー……お、重いよ?」
「間違いなく軽いから大丈夫」
「……」
なんで、こんなことになってしまったんだろうか。
自分か。
自分自身の行動に後悔しきった頭のまま、シェリアーナはすごすごとドゥランの膝の中に納まった。
(……なんで私は、恋人でもない男性の膝の上に座っているんだろう)
不自然でしかない今の状態に、シェリアーナはせめてもの折衷案を口にする。
「ご、ごめん……足、広げてもらっていい? 床にお尻つけるから……」
「ああ、いいですよ」
ドゥランも思うところがあったのだろう、素直にシェリアーナの要望に応じてくれた。
シェリアーナが身体を少し浮かし、ドゥランが足を広げる。
広げた足の中ではあるが、シェリアーナは少し彼の身体から離れた位置で、床にお尻をつけた。
……背後に感じるドゥランの気配が、いつもより野性味を感じるのは気のせいだろうか。
「えい」
「わ!」
シェリアーナは後ろからぐいっと身体を引き寄せられ、ドゥランはシェリアーナの身体の前に、腕を回してきた。
いま、シェリアーナの背中にはドゥランがぴったりとくっついてる状態である。
「ま、待って!これ抱っこ!?なんか思ってたのと違う!」
「こんなもんでしょう。いつもシェリーさんが猫の僕にやってるのと、なんら変わりません」
「絶対違うでしょ!」
シェリアーナが身体を捩って、彼の拘束から抜け出そうとするが、思いのほか力が強く、まったく抜け出せなかった。
そのままの態勢で、ドゥランはシェリアーナの後頭部に顔を近づけてきた。
「ひー!ええ、なに!?」
「猫吸いの人間版です。うん、思った通りいい匂い」
いままで女友達にすら、こんなに自分の匂いを嗅がれたことなどない。
シェリアーナの頭は羞恥や混乱で訳がわからないことになっていた。
「く、くすぐったい……ねぇ、そろそろ……」
「いえ、まだ足りません」
次に彼は反対に顔を動かし、その鼻先を首筋に近づけた。
ドゥランの鼻先が自分の首元にあたるたびに、なんとも言えない気分になってくる。
「これ……本当に猫吸いであってる?」
「どちらかというと……マーキング⋯⋯いえ、でも、さっきシェリーさんもこれと同じようなことを、僕にしてきたんですからね?」
シェリアーナは前をむいたままなのでドゥランの顔は見えないが、その声はいつもより確実に弾んでいた。
(猫にじゃれつかれてる……)
もはや羞恥を通り越して、全身が脱力しかけたそのとき、
「シェリー、邪魔してごめん……!」
開け放たれた扉の先に、救いの女神が現れた。
「カティナ!?」
(……助かった!)
なぜ彼女がここに現れたのかはわからないが、なんにせよ助かった。
突然のカティナの登場に驚いたのか、ドゥランの手が緩む。
その隙に、彼の腕の拘束を解き、カティナの元へと駆け寄った。
さっきの自分たちの姿を見ていたからだろうか、カティナは顔を赤くしながら、ウロウロと視線をさ迷わせている。
(お願いだから変な風に誤解しないでー!)
カティナに詳しい説明はできないが、ただ猫と遊んでいただけ⋯⋯
半ば自分に言い聞かせるようにして、なんとか平静を装う。
「ど、どうしたの?何かあった?」
声が上擦ってしまったが、許容範囲だろう。
さっきから居心地が悪そうにしていたカティナは、自分の問いかけにはっとした表情をし、用件を告げた。
「アリア先生が、職員室に来てほしいって……あ、見つからなかったって言っておこうか!?」
何をいらない気を使っているんだろうか。
普段ならありがたいはずのカティナの優しさは、今このときに限っては、まったくもって不要だった。
「え、いいよ。今から行ってくるわ。わざわざ伝えに来てくれて、ありがとうね!」
引き止められる前に、さっと荷物をまとめ、ドゥランにも一言、挨拶を告げた。
「ごめん、ドゥラン。またね」
彼の顔を、真っ直ぐ見ることができなかった。
廊下に出てから、自分の首元にそっと触れる。
(さっきのは、猫がじゃれついてきただけ)
――でも、彼の体温や吐息は、確実に人間の男性そのものだった。
いったん完結です。また気が向いたら追加するかもです。




