おまけ:少し意識してしまった出来事
「あれ、シェリーちゃん一人?ドゥランってばまた生徒会から呼び出し喰らっちゃったの?」
旧校舎の備品庫に一人でいたシェリアーナのもとに、異国情緒あふれる容姿の男――ナバールが顔を出した。
「ああ、うん。ほんとついさっきまでいたんだけど。入れ違っちゃったね。」
恒例となっていたシェリアーナとドゥランの昼の密会(?)だったが、生徒会からの急な呼び出しが続き、ここ最近はいつも途中で解散になることが多かった。
そして、そんな二人のもとへ頻繁に顔を出すのがナバールである。
彼は食事はカフェテリアで済ませたいらしく、食べ終えると決まって、今日のように備品庫へやって来るのだった。
「昼休みも仕事って、大変だね~。僕だったら絶対にサボるけど!」
ナバールはそう言って「ふぁ」と欠伸をする。
「なんかめっちゃ眠そうじゃん。珍しい。」
「うん、昨日いろいろやらないといけないことがあってね、徹夜しちゃったんだよー。さっきの座学も、気付いたら居眠りしちゃってたし。僕としたことが委員長にノート借りる約束しちゃった!」
「うわ、それも珍しい!」
ナバールは一見、真面目そうには見えないのだが、授業は前のめりに聞く優等生であった。座学では気になる点があればその場で確認し、授業終わりに教師に質問に行くほど熱心である。その彼が居眠りをしてしまったなど、もしかしたら彼の在学中で初めてのことではないだろうか。
「昼休憩もまだ残ってるし、ちょっと寝たら?次の授業も座学だから、結構きついかもよ。」
「んー…」
シェリアーナの提案に、難色を示すナバール。まあ、そうだろう。寝るとしても、こんな埃っぽい倉庫で寝たくはないはずだ。…ドゥランを除いて。
でも、少しでも仮眠したほうが身体も楽なのではないだろうか。
「そこの日差しがあるとこだと、ぽかぽかして寝れると思うけど。」
シェリアーナは猫に擬態したドゥランが以前寝ていた場所を指さす。ナバールはその場所を一瞥したあと、シェリアーナへと視線を戻す。
「シェリーちゃん、膝貸してくんない?」
「は?」
「ほらほら。」
ナバールに背中を押されるまま、シェリアーナは先ほど自分が指差した場所までずるずると移動させられた。
「はい、ここに座る。」
「なんで」
「いいから、いいから。」
肩をぐっと押され、シェリアーナはしぶしぶその場へ座り込む。最近床の掃き掃除をしたばかりだったので、お尻をつけることに抵抗はないのだが、せっかく椅子があるのに、解せない。
ひんやりした室内だが、日差しの当たっているこの場所だけはほんのり暖かい。
「よし、じゃあ予鈴が鳴るまで僕は寝るから!時間になったら起こしてね!」
「え、嘘でしょ。」
潔癖そうに見えるナバールだが、何のためらいも無く床に寝そべり、頭をシェリアーナの膝の上に置いて目を閉じた。
「重い、くすぐったい、段ボールでも枕にしなよ…」
「やだね!ちょうどいいのがあるんだから、協力してよ。」
ちょうどいいと言われてしまったが、シェリアーナにとってはちょうど良くない。
猫様を膝の上に乗せてたときとは違って、こっちはがっつり人間だ。
(誰も来ませんように)
備品室で二人きり。膝枕をしている男女。100%の人が勘違いしそうな状況である。
(まあ、ナバールだし。)
彼はシェリアーナに無茶ぶりをすることが多いので、今回もそれに答えてあげただけだ。
視線を下に向けると、本当に眠かったのだろう、早くも小さな寝息が聞こえてきた。
ナバール然り、ドゥラン然り、こんな学校の教室で、しかも同級生の膝なんかでよく眠れるな、と思う。自分は睡眠欲は人一倍あるが、寝床は絶対にベッドじゃないと嫌だ。
膝の上にナバールの頭を乗せているため、シェリアーナは動くことができず、手持無沙汰である。暇つぶしにと、自分の目の前にある彼の艶やかな黒く長い髪を手で梳いてみた。
(な、なんだこれ)
女の自分が嫉妬してしまうほどサラサラっぷり。
シェリアーナは髪を梳いていた手を止め、もしかして、と髪を一房、自分の鼻のほうへと持って行き、その匂いを嗅ぐ。
(やっぱりめちゃくちゃいい香油の香りがする…!)
手触りだけでなく、匂いまでいい香りだなんて。一体どんな手入れをしてるのだろうか。参考までに聞いてみたい。といっても、自分のふわふわした髪質では、香りはともかく、こんな艶を出すことはきっと不可能なのだが。
次に、彼女は彼の褐色の肌へと目を移す。こんな間近で、他人の、しかも異性の肌を見ることはないので、チャンスと言わんばかりにまじまじと眺めていく。きめ細かく、吹き出物の類は一切ない。自分はあごの下にニキビができたばかりだというのに…羨ましい限りだ。
顔の造形に関しても、この国の者よりも彫りの深い顔立ちは、こうして黙って目を閉じていれば、まるで彫刻のように美しいと思う。
(まつ毛長っが。眉の形もいいな。ていうか鼻筋どうなってんの。)
口を開けばナバール節が炸裂するので、いろいろ台無しになるのだが、彼は黙っていればドゥランとはまた違った美しい容貌をしていた。
シェリアーナが、まじまじとナバールのあちこちを観察していると、彼の口元がわずかに開いたことに気づいた。
(あ、口開いてる)
シェリアーナにも覚えがある。朝起きたら、自分の口が開いていて、涎が垂れていた。
さすがに自分の制服のスカートに涎をたらされては溜まらない。そう思った彼女は指で下唇を押して、口を閉じてあげようとした――のだが。
勢い余って、薄く開いた口に、するりと指が入った。
(げ)
慌てて引き抜いたものの、ばちっとナバールの目が開く。
「ごめん…」
シェリアーナが謝ると、ナバールは下から彼女を見上げたまま苦笑する。
「…さすがに、起きちゃったかな。」
「ほんとごめん」
「いいよ。でも、まだこうしててもいい?」
「気が済むまでどうぞ。」
せっかく寝てたのに、口の中に異物が入ってきて、さぞかし気持ち悪かったことだろう。
お詫びといってはなんだが、彼の好きにさせてあげることにする。
「ね、少し屈んで」
「ん?こう?」
ナバールに屈めと言われ、シェリアーナは首を少し下げる。
すると、彼の長い手がそっと彼女の首の後ろに添えられ、そのまま下へと引き寄せられた。
以前感じたことのある柔らかな感触と、チュ、という軽いリップ音。
ナバールがゆっくりとシェリアーナに添えていた手を離す。
シェリアーナは、一瞬何が起こったのか理解できず、呆然としたまま動きを止めた。
ナバールは、静止したままのシェリアーナの膝から頭を離し、ゆっくりと立ち上がる。上体を伸ばして大きく背伸びをしたその瞬間、ちょうど予鈴の音が鳴り響いた。
「やっぱり少しでも寝ると違うね!さ、本鈴が鳴る前に教室に戻らないとねー。」
ナバールが声をかけるも、シェリアーナは座った姿勢のまま動こうとしない。
「シェリーちゃん?」
ナバールは反応のないシェリアーナの顔を覗き込む。
けれども、彼女はぽかんとしたまま、まるで時間が止まってしまったかのように動く気配がない。
このままでは二人とも次の授業に遅刻してしまうため、ナバールはシェリアーナの腕をとり、よいしょと彼女の身体を立ち上がらせる。そしてそのまま、手を引いて扉のほうまで引き摺るようにして歩いていく。
「ほら、急がないと」
ナバールが軽く促すと、シェリアーナはようやく反応を示した。
「ねえ……今、何した?」
「ん?」
やっと口を開いた彼女だったが、その声は小さく、かすかに震えていた。
「シェリーちゃんを引っ張って歩いてる。」
「違う、その前!立ち上がる前!」
「何って…ちょっとは意識してくれるかなって思って。」
「は!?」
「さ、急ご!僕、真面目だから、無遅刻無欠席の記録は死守したいんだよね~。」
「いや、急ぐけど!」
文句を言うシェリアーナに、答えになってない答えを返すナバール。
彼に引かれた手は最後まで離されることなく、二人は手を繋いだまま教室へと入って行った。
これで本当に完結です。おまけまで読んで頂いてありがとうございました。評価・感想などいただけたら励みになります。




