おまけ:おひさまの匂いの彼
「そういえば、ドゥランに聞きたいことがあるんだけど。」
「なんでしょう?」
蒸しパンをもしゃもしゃしながら旧校舎の備品庫で二人、のんびりと昼休みを過ごす。
あれからほぼ毎日と言っていいくらい、昼休みの時間になるとドゥランはシェリアーナを誘いに教室へとやってきた。
シェリアーナが断ると、まるで捨て猫のようにしょんぼりするので(実際は彼の表情にそこまでの変化はないのだが)、なんだかんだ言いながらも、結局彼に付き合ってやっていた。
最初こそ丁寧に接していたシェリアーナだったが、すぐにタメ口で話しかけるようになり、呼び方も「ドゥランさん」から「ドゥラン」と呼び捨てに変わった。
一方、ドゥランは普段から誰にでも敬語を使っているとのことで、これといった変化はなかったが、シェリアーナのことを「シェリーさん」と呼び、一人称は「私」から「僕」と、少し砕けた様子を見せるようになっていた。
「前に、ドゥランからはっちゃんの匂いがしたんだよね。なんていうか、ぽかぽかの日差しを浴びたあとの猫の匂い。あれ、なんでだったんだろ?擬態を解いても猫の匂いって残るものなの?」
「匂い、ですか。」
彼はふむ、とあごに手をあて、それからすぐさま「あ」と何かを思い出したように言った。
「僕は猫になったら自分のブレザーの上で寝てるから、そのせいかも。」
「え、布団代わりにしてたってこと?」
「その通りです。床汚いし、寒いし。」
「制服は汚れてもいいんだね…」
ブランケットでも持ち込めばいいのに、と思ったのだが、彼なりに何かこだわりがあるのだろう。
「今日は天気もいいし、生徒会からの呼び出しもないので…シェリーさん、お昼寝する猫、見ます?」
「めっちゃ見たい!」
シェリアーナはこうして度々ドゥランと昼を共にするようになったが、目の前で猫の姿になってくれたことは一度もなかった。どういう心境の変化かわからないが、彼女としては嬉しい限りである。
「ちなみに猫に擬態したら、人の言葉を喋ることはできませんので。」
「おけー!はやくはやく!」
シェリアーナは擬態魔法というものを見るのが初めてということと、久しぶりにあの美猫様に会えるということで、さっさとやれとドゥランを急かす。
彼はシェリアーナの期待に応えるよう椅子から立ち上がると、備品庫の棚から紙とペンを取り出し、何かを描き始めた。
「これ何?」
「猫の絵です。絵で描かないとイメージが掴みづらいから、効率は悪いですがいつもこうやってます。」
「へー面白いね。」
独自で魔法を学んだという彼ならではの魔法の使い方に、シェリアーナは関心を示す。
「よし、これで準備できました。」
「ほんと、面白いね…」
紙に描かれたものは…四本足の何か。
前衛的すぎる絵の出来栄えに、「これなら描かないで、頭の中でイメージしていたほうがまだマシなんじゃ……」と、喉まで言葉が出かかった。いくつもの才に恵まれた彼だが、残念ながら絵心だけは持ち合わせていなかったようだ。
絵を描き終えたドゥランは、自身の描いた絵を見つめながら、静かに呪文の詠唱を始める。
それと同時に、彼の身体が柔らかな光に包まれだした。
そしてすぐ、パサリと衣服が床に落ち、その中から「ニャー」と、はちみつ色の毛並みをした猫がひょこりと顔を覗かせた。
「はっちゃん!!!!」
シェリアーナはこの美猫様の正体がドゥランだとわかっている。
わかってはいるのだが、これまで会いたくて触りたくて仕方がなかった美猫様が目の前に現れたので、思わず歓喜の声をあげた。
彼女が猫を抱っこしにかかると、彼はひょいとその手を避け、ブレザーを口に咥えて床を引きずっていく。そして、窓から差し込んだ日差しが照らす場所で止まり、ブレザーを前足でふみふみし、その上にゆっくりと丸まった。
(ふ、ふみふみ…!!!!なんて完璧な擬態なんだ…!!!)
シェリアーナは欲求を抑えきれず、彼のもとに腰を下ろし、丸まった身体をゆっくりと撫でる。
相変わらずいい毛並みをしている。撫でる手を何往復かすると、美猫様は寝ていた顔を上げ、シェリアーナの手をくんくんし始めた。
「ん?ごめん、撫でられるの嫌だった?」
そう問いかけるも、彼が先ほど言ってたとおり、猫に擬態中は喋ることができないらしく、返事はない。
彼は丸まっていた身体を起こし、軽く伸びをすると、シェリアーナの膝に足を乗せて顔を上下する。
(足を床につけろってこと?)
彼の要求に応えるよう、中腰になっていたシェリアーナがお尻を床につけ、横座りの姿勢になると、ドゥランは彼女の膝の上にぴょんっと飛び乗り、再び身体を丸め始めた。
「え、ここで寝るの!?」
彼はその言葉に反応することなく、喉をゴロゴロ鳴らして目を閉じてしまった。
(寝ちゃった……暖かいし可愛いけど、めっちゃ複雑…)
なにせ、今は猫してるが、その正体はドゥラン。
彼を膝に乗せて昼寝させているこの状況は、シェリアーナにとって違和感でしかない。
「別にいいけどさ…」
いいけど、触るぞ?
しばらくはっちゃんに会えなかった分、シェリアーナは膝の上の猫様を思う存分撫でまわした。柔らかい耳や少し冷たい鼻筋まで、彼女が触れることができる範囲であらゆる部分を堪能していく。
懐かしさを含んだおひさまの匂いがふわりと香る。この日のこの時間が、シェリアーナにとって最高のひとときだったと言っても過言ではないだろう。
そうこうしているうちに、昼休み終了5分前の予鈴が旧校舎に鳴り響いた。
もうそんな時間か、とシェリアーナが壁にかかっている時計を仰ぎ見たそのとき——
「ああ、予鈴鳴っちゃいましたね。」
声のした方…自身の膝の上に顔を向けると、シェリアーナは顔面偏差値がカンストした男と目が合った。
猫を撫でていたはずの手のひらには、いつの間にか人の肌の感触が伝わっていた。
「ぎゃーーーーーーっっっ!!!!!!」
旧校舎に、予鈴の鐘をもかき消す悲鳴が響き渡った。
急に元の姿に戻ってしまったドゥランだが、その姿は真っ裸。
一糸まとわぬ同級生の姿に慌てながらも、シェリアーナは浮遊魔法でその辺に転がっていた制服一式を拾い集め、彼の元へと投げつけた。
ドゥランはそれらを受け取り、「こういうとき、シェリーさんに認識阻害の魔法が効かないのは不便ですね。」と淡々とした様子で棚の裏へと移動していった。
「帰る!私!戻る!先に!」
動揺しすぎて片言になりながら、シェリアーナは教室を慌てて出て行こうとする。
ドゥランはというと、「お見苦しいものを失礼しました」と、いつも通りのポーカーフェイスで頭を下げる。
しかしその内心は、
(やってしまった。寝てしまうと持続性が安定しないから…こうなる可能性があるってわかっていたから、これまで彼女の前で擬態しなかったのに)
と、ひどく落ち込んでいた。
もう、自分とは二度と会ってくれないかもしれない——そう思ったのだが。
シェリアーナは教室を出る前に振り返り、
「もう! 次は魔法の効果が切れる前にちゃんと隠れてよね!」
と、言い残して去っていった。
ドゥランは一人残された備品庫で呟く。
「ああ、次もまた誘ってもいいんだ。」と。




