第7話 帰還
キールはしばらく無言でそれを見つめたのち、腰のポーチへしまい込む。
軽いはずの欠片が、妙に重く感じられた。
彼は一度だけ戦場を振り返る。
灰の平原と崩れた結晶群、そして何も残らない空。
次にこの欠片が何をもたらすのか、今はまだ知る由もない。
そのまま足音を響かせ、静まり返った戦場を後にした。
残ったのは、冷たい風と、灰を巻き上げる小さな旋律だけだった。
——灰の平原を離れ、崩れた結晶群の間を縫うように進む。
欠片はポーチの中で微かに脈打ち、歩みと同じリズムで冷気を放っていた。
キールはそれを意識的に無視しながら、ダンジョンの奥——いや、“出口”を探す。
壁も天井も形を失い、ただ靄の名残が漂う空間。
だがやがて、前方にかすかな風の流れを感じ取った。
空気が揺れる——そこだけは、外界と繋がっている証だ。
(……あれが出口か)
進むごとに風は強まり、靄を払い、視界を開けていく。
やがて足元の床が途切れ、目の前に広がったのは巨大な石造りの門だった。
門は半ば崩れており、その隙間から薄明の光が差し込んでいる。
キールは近づき、手を伸ばす。
指先が光に触れた瞬間、足元の空気がわずかに震えた——まるでダンジョンそのものが彼を手放すのを嫌がっているかのように。
それでも一歩、また一歩と進む。
背後で、崩れた石片が落ちる音が響いた。
その音を最後に、彼は光の中へ踏み出した。
——眩しさと、冷たい外気。
瞼を開くと、そこには広大な山岳地帯が広がっていた。
空は鈍い曇天だが、間違いなく“外”の匂いがする。
(……帰ってきた、のか)
だが次の瞬間、ポーチの中の欠片が一度だけ強く脈動した。
それはまるで「終わりではない」と告げる心臓の鼓動のようだった。
キールは小さく息を吐き、山道へ歩き出す。
背後の崩れた門は、すでに靄の中へと溶けて消えていた。
キールは山道をゆっくりと下りながら、欠片の脈動に耳を澄ませていた。
冷たい風が頬を撫で、山間に響く鳥のさえずりが静かな安堵をもたらす。
「外に出たんだな……」
心の中でそう呟きながら、彼は歩みを早める。
幾重にも連なる山の稜線を越えれば、慣れ親しんだモルンテスト家の屋敷が見えてくるはずだ。
途中、体中に疲労が重くのしかかり、衣服は破れ、血の滲んだ傷跡が痛みを伴った。
それでもキールは、欠片が入ったポーチをしっかりと抱きしめ、決して歩みを止めなかった。
やがて、屋敷の門が視界に入る。
朝の柔らかな光が古びた石壁を照らす中、キールは足を止めた。
扉が開き、父・ラークが険しい表情で出迎えた。
「キール……どういうことだ? お前は何をしていたんだ、こんなボロボロで」
疲れ切った体で門をくぐると、キールは静かに言った。
「ダンジョンに……入りました……」
ラークは目を見開き、怒りと心配が入り混じった声で問い詰める。
「無謀だ! なぜそんなことを? 」
父の鋭い視線を避けつつ、キールは腰の小さなポーチを差し出す。
「これがその場所で見つけたものです。正体はわかりません」
ラークは受け取り、欠片を手に取るとじっと見つめた。
その表面が微かに青白く輝き、冷たく硬い感触が指先に伝わる。
「……なるほど、これはただの石ではないな」
父の問い詰めは続いたが、キールは落ち着いて対応した。