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第5話 灰色の人影②

胸の奥で心拍が早まる。

自分の呼吸が、やけに大きく響いて聞こえる。

空気は冷え切っているのに、額から汗が伝う。


相手は距離五歩。

障壁の前で立ち止まり、首をわずかに傾けた。

その動きは、獲物の力を測る獣のようで——同時に、人間の観察眼を帯びていた。


次の瞬間、爪が障壁を貫く音が響く。

楔形の板が一枚、砂のように崩れ落ちた。


(……もう逃げ場はない)


キールは深く息を吸い込み、両手で大剣を描き出す。

ただし刃は完全な実体ではなく、内部に空洞を持たせ、衝撃を抜く構造。

速さと反撃の余地を残すための、変則的な【エンボディメント】だった。


影が一歩踏み込む。

靄が渦を巻き、視界が歪む。

その中心で、二つの空洞の眼がゆっくりと輝きを増していった——。


——影が踏み込んだその刹那、すべてが止まった。


靄の渦も、結晶の脈動も、まるで時間そのものが息を潜めたかのように静まり返る。

耳に入るのは、自分の鼓膜の内側で響く心臓の音だけ。


(……動けないのか、動かないのか)


灰色の人影は、爪を障壁に突き立てた姿勢のまま微動だにしない。

灰色の皮膚に走るひび割れが、淡く光を反射する。

その光は、キールの呼吸に合わせてかすかに揺れ——まるでこちらの鼓動をなぞっているかのようだった。


掌に握った半実体の大剣が、じわじわと重くなる。

重量ではない。

空間そのものが刃を引きずり下ろそうとしている感覚。

それでもキールは、肩の力を抜かず、視線を逸らさない。


一歩でも退けば、影は確実に動く。

逆に——この張り詰めた均衡を破るのは、どちらでも構わない。


その瞬間、灰色の人影の奥から低く湿った呼吸音が漏れた。

吐息が靄を震わせ、冷気が肌を刺す。

そして——爪の先から、ぽたり、と黒い雫が岩盤に落ちた。


その音を合図にしたかのように、結晶の光が一斉に明滅する。

張り詰めた空気が弾け、灰色の人影の輪郭が揺らいだ——。


——爆ぜた。


灰色の人影の輪郭が霧のようにほどけ、次の瞬間には視界いっぱいに迫っていた。

爪が弧を描き、空気が裂ける。

その刹那、キールは半実体の大剣を横薙ぎに振り抜く。


衝突。

しかし刃は肉を裂かず、衝撃だけを断つように設計された空洞部が衝撃波を吸収し、爪の軌道をわずかに逸らした。

火花ではなく、灰色の粉が宙に散る。


(効いてる——!)


だが灰色の人影の反応は早い。

着地の間もなく、反対の腕が鞭のようにしなり、腹部を狙って突き込まれる。

キールは即座に【エンボディメント】を再展開。

今度は盾ではなく、腰の高さに薄い斜面状の障壁を構築し、力を地面へ流す。


鈍い衝撃が足元から這い上がり、背骨を震わせた。

膝が揺らぎそうになるが、踏みとどまる。


(距離を——稼げ)


半歩後退しつつ、今度は大剣の形を解体し、両腕に装着する双刃形状へ変形。

それは左右の軌道を広げ、相手の懐へ踏み込ませないための布陣だ。


灰色の人影は嗤ったように肩を揺らす。

その目穴の奥で、青白い光が揺れた。

そして——靄を纏ったまま、四方八方に分裂するように動き出す。


(……複数同時の幻影か)


視界の端で、灰色の人影が二体、三体と迫る。

だが感覚でわかる。本物は——


「——そこだッ!」


キールは左腕の刃を叩き込み、同時に右腕の刃で反対方向を薙ぐ。

一撃は空を切ったが、もう一撃が確かな手応えを返す。

影の体が歪み、靄が散った。


しかし、その奥から——さらに濃く、重い靄が溢れ出してくる。

まるで今までのは序章だと言わんばかりに。


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