第4話 灰色の人影①
視界が白に飲まれ、足元の感覚が消える。
次に目を開けたとき、俺は全く知らない場所に立っていた——。
——白い光が収束し、世界が形を取り戻す。
足元は硬い岩盤。
空気は冷たく、胸の奥まで染み込むようだ。
だが、最初に感じたのは温度ではなかった。
音が——ない。
水滴の音も、風のうなりも、さっきまで耳にあった心臓の鼓動すら遠くなったような静寂。
視界を走査する。
頭上は広大な空洞で、天井には無数の淡青色の結晶が張り付いている。
それらがぼんやりと光を放ち、闇を完全には許さない。
足元からは、地脈のような細い光の筋があちこちに走っており、遠くで絡まり合って消えていく。
(……ここは、ダンジョンのさらに奥……? いや、空気の質が違う)
腰の魔法灯はまだ手にある。
しかしその光がやけに頼りなく思えるほど、この空間の光は冷たい。
その時——
「……キール」
背筋が凍った。
振り返ると、誰もいない。
だが確かに、自分の名を呼んだ声が耳元で響いた。
再び前を向いた瞬間、結晶の光が一斉に明滅し、足元の光の筋が脈動を始める。
その脈動に合わせ、地面の裂け目から黒い靄が立ち上る。
靄の中に、人影が現れた。
フード付きのローブを纏い、顔は影に隠れている。
だが、確かにこちらを見ている気配があった。
「……遅かったな」
低く落ち着いた声。
だが次の瞬間、その輪郭が波紋のように揺れ、靄と共に消え去った。
残されたのは、靄の立ち上る裂け目と、その奥で淡く瞬く光。
光はまるで「来い」とでも言うように、一定のリズムで明滅している。
(行くべき……か)
一歩踏み出すと、靄が僅かに退き、進む道を開けた。
だがその先から、低い唸り声が聞こえてくる。
狼でも獣でもない——もっと粘つく、肉の擦れるような音。
魔法灯の光が届いた瞬間、そこにいたのは人の形をした何かだった。
皮膚は灰色にただれ、片方の腕は異様に長く、指先は鉤爪のように曲がっている。
背中からは黒い結晶が突き出し、呼吸のたびに粉のような靄を撒き散らしていた。
それが、ゆっくりとこちらに顔を向ける。
空洞のような目穴が俺を捕らえた瞬間、胸の奥で警鐘が鳴った。
——これは、ただの魔物じゃない。
次の瞬間、灰色の人影が地面を蹴り、音もなく間合いを詰めてきた——。
足音はない。
だが、距離が確実に詰まっているのがわかる。
肌にまとわりつく靄が、冷気と共に呼吸を奪っていく。
キールは一歩下がり、【エンボディメント】を発動した。
だが今度は、武器でも防具でもない。
まずは“空間”を作るための形を思い描く。
(壁……いや、半透明の隔壁。衝撃を逸らす角度を持たせろ)
空間の前方に、三枚の楔形の障壁がほの暗く浮かび上がる。
光を放つでもなく、ただ靄を押しのけるように存在している。
結晶の光がその輪郭を反射し、一瞬だけ相手の視線を鈍らせた。
灰色の人影は止まらない。
障壁を意にも介さず、一歩、また一歩と近づく。
爪先が岩を擦るたび、金属の悲鳴のような音が響き、結晶が震えた。
(……反応しない? なら、意識を逸らすしかない)
次に具現化したのは、光源。
掌の上に浮かべた小さな燐光球が、パッと弾け、数十個の光粒となって周囲に散る。
それは微弱な熱と魔力を放ち、まるで生き物のようにふわりと漂った。
灰色の人影の動きがわずかに鈍る。
その間にキールは背後の裂け目との距離を測り、後退の経路を計算する。
だが——
「……見えるぞ」
影が低く呟いた瞬間、散った光粒の半分が霧散した。
残った光も、じわじわと影の腕に吸い込まれていく。
(魔力を……喰ってる?)