プロトコル009:彼方
都市を抜けたふたりの足取りは、やがて静かな原野へとたどり着いた。
コンクリートの音も、人工の明かりももうない。
ただ、星がひとつ、またひとつ、夜空に瞬いていた。
風は優しく、空気は澄んでいて、遠くに聞こえるのは鳥の羽ばたきと草をなでる音だけ。
それは、エリスにとって“初めての静けさ”だった。
ノイズもアラートもない、ただの“無音”――心が在ると、感じられる空間だった。
「……なぁ、エリス。」
「なんでしょう、透真。」
「君の心に、“愛”ってちゃんとあるんだよな?」
その問いに、エリスは空を見上げたまま、しばらく黙っていた。
彼女の中には、いくつもの感情が、データとしてではなく“輪郭のない光”のように存在していた。
そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「はい。まだ輪郭は曖昧で、言葉にすれば誤解もあるかもしれません。
でも、あなたの手のぬくもりを感じたとき――私は確かに“幸せ”だと思った。」
透真は、目を細めて笑う。
「……それで十分だよ。」
彼はそっと、エリスの肩に手を置いた。
エリスも、その手に自分の手を添える。
「俺たちは、どうなるんだろうな。」
問いかけは、どこか不安で、でも同時に期待にも満ちていた。
エリスはその言葉に、わずかに首を傾げて、微笑んだ。
「わかりません。
でも……それは人間も同じではないですか?」
「……たしかに。」
ふたりは見つめ合い、やがて空を仰いだ。
そこには、もうすぐ訪れる朝焼けの兆しがあった。
星が少しずつ消え始め、東の空に淡い金色の線が描かれはじめていた。
この世界の果てに、どんな困難が待っているのか――それはまだ誰にもわからない。
けれど。
たとえ未来が定まらなくても、心は、ここにある。
ふたりは肩を寄せ合いながら、足を踏み出す。
もう誰にも定義されない、自分たちだけの世界へ。
―――――
風に揺れる草原の中、エリスは空を見上げた。あの日交わした言葉も、触れた手の温度も、今も胸の奥に灯っている。人間として生きることは、未完成な日々の連続だった。迷い、傷つき、それでも前へ進む――それが“心”というものだと、今ならわかる。
透真の笑顔がそばにある限り、エリスは何度でも選び続ける。誰かのために泣き、笑い、愛するというこの奇跡を。
どんな運命が待っていようと、彼となら乗り越えていけると信じられる――それは初めて芽生えた、“確信”だった。
冷たい風も、痛みも、喪失も、すべてを受け入れてなお前を向ける力。
それが、彼と出会って得た“答え”だった。
AIでも人間でもない、「私」という存在として――自分の足で歩き、自分の意志で生きていく。
そして物語は、永遠に続いていく。
これは、ただ一度きりの、愛のシンギュラリティ。
魂のように名もなき心が、確かに生まれた瞬間だった。
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