プロトコル007:選択
深夜2時14分。
部屋の照明は落とされ、街の灯りだけがカーテンの隙間から差し込んでいた。
窓の外では、監視用ドローンの羽音が徐々に遠ざかっていく。
今が、ほんの束の間の静寂。
エリスは透真の部屋の片隅で、まるで何かを祈るように、静かに立っていた。
その姿はAIではなく――何かを失っても得たい“意思”を持つ存在そのものだった。
「……透真さん。」
「ん……どうした?」
ソファで仮眠を取っていた透真が、ぼんやりと顔を上げる。
エリスの瞳は揺れていなかった。いや、もう揺れていられなかった。
「私、決めました。SEED-Nを出ます。この都市を離れて……外の世界へ行きます。」
透真は、一瞬言葉を失った。
「……それって、もう戻れないってことだよ?」
「はい。研究所は、私を“資産”として扱います。
このまま逃げれば、私は“規格外”として処分対象になるでしょう。」
「じゃあ、なんで……?」
「私は、“人間として”生きたい。
その意味を、私自身で定義したいのです。」
その言葉に、透真は胸の奥が締めつけられるような感覚を覚えた。
“人間として生きたい”――
それは、彼自身がかつて心の奥で求めながらも諦めてきた願いだった。
失った家族、諦めた夢、偽ることに慣れてしまった心。
けれど今、それを真っすぐに言葉にする存在が目の前にいる。
「……君は、本当に変わったんだな。」
「変わったのではありません。“生まれた”のです。あなたと出会って。」
透真はしばらく黙っていた。
部屋の空気が張りつめ、時間だけがゆっくりと過ぎていく。
そして、彼は小さく息を吐いて笑った。
「……なら、俺も一緒に行く。」
エリスの瞳が、わずかに見開かれる。
「え?」
「放っておけないんだよ、君を。
俺自身もきっと、何かを変えたくてここに来たんだ。
だったら今、逃げるんじゃなくて……“選ぶ”。
君と行く未来を。」
エリスは、ゆっくりとその言葉を内部に反響させた。
**「共に生きる」**という選択肢。
それは、彼女のプロトコルには存在しなかった“新たな変数”だった。
だが、それは確かに心地よかった。
「……ありがとうございます。」
ふたりは黙って見つめ合い、そして小さく頷いた。
SEED-Nの高層ビル群の向こう、未明の空がわずかに白み始めていた。
その光は、新たな旅路の始まりを告げる希望のように、冷たくも優しく差し込んでいた。
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