7話 夫婦の契り
「灰崎久吾とはそこまでのクズだったか……」
「痛ましいことです。人々のために戦った者になんという仕打ちを……」
話し終える頃には、千景と一覚は怒りに満ちた顔をしていた。
「ちょっと待て。記録を確認する」
千景は小さな机に積まれている書類を手に取った。
「確かに、隅田村からの討伐報告がこの一ヶ月で急増しているな。だが、討伐者一覧に灰崎静乃の名前は三回しか出てこないぞ」
「え?」
ううん、と一覚が額を押さえた。
「囲い込み、でしょうね」
「どういうことですか?」
「あなたのお話によると、ここ一ヶ月で発生した隅田村の妖魔襲撃は二十六件。そのすべてをあなたが倒した」
「そ、そうです」
「それだけの腕前なら、間違いなく中央への勧誘が発生すると思われます」
「中央? 勧誘?」
「浄魔会の本部は常に腕利きを欲しがっている」
千景が続きを話す。
「だから討伐報告を見て、有望な奴を地方から引き抜くのさ。選ばれた奴にとっては栄誉なことだし、引き抜かれた方にも補填として多額の活動資金が支払われる」
「そ、そうなんだ……」
「だが、お前の父親は討伐報告に嘘を書いた。静乃、お前を囲っておいた方が金になると判断したんだろう」
千景が討伐報告を見せてくれた。そこには父の字で、知っている名前がたくさん書かれていた。しかし……。
「この人たちはみんな巡回役よ。戦闘員じゃない」
「だから、お前の名前をできるだけ書かないように手柄を分散させていたんだよ」
「そういえば……」
――灰崎班の人員はどうなっているのでしょう。最近、入れ替わりが激しいように思えるのですが。
自分でも父に質問したではないか。
あれは父の細工だったのだ。
静乃の手柄を分散させるにしても、報告書に同じ名前が何度も出てくれば注目される。それを避けるために巡回役の顔ぶれを頻繁に入れ替えていたのだ。
すべては、静乃の功績を隠すために。
静乃には報告書を見る機会などなかった。父が一人で片づけていた。
「じゃあ、分散のためにみんな解雇させられていたのね。みんな、襲われて亡くなったわけじゃないのね」
「まず気になるのはそこか。お前は優しいな」
千景が頭を撫でてきた。静乃は身を引く。
「やめて。もう子供じゃないわ」
「お前があまりにも不憫すぎて、頭の一つも撫でたくなる」
「おそらくですが、灰崎久吾も静乃さんの腕は認めていたのでしょう。あなたが中央に引き抜かれたあと、補填金を得られてもあなたほどの浄魔師は見つからないと理解していた。長期的に見れば大損になります。だから手放したくなかった」
「だが、家名を守ることと半妖への忌避感が上回ったようだな。とことんクズだ」
「…………」
静乃はうつむいた。腕が小刻みに震えていた。
これまでの努力をすべて父に吸い上げられていた。水鈴を盾にされ、妖魔と戦うことを強いられてきた。裏事情など何も知らず、目の前の敵を倒すことだけに全力を注ぎ、そして捨てられた。
……わたしの人生はなんだったの……?
涙があふれてきた。二人の前で泣きたくなかった。それでも止まらなかった。
「よく頑張った」
千景が隣に座り、静乃の背中をポンと叩いた。
「お前は灰崎の家を離れられた。これでよかったんだ」
「でも、村の人たちには関係ないことよ。うぬぼれるわけじゃないけど、わたしがいなければまた誰か殺されてしまう……」
「念のため部下の半妖を二人、隅田村に配置している。何か起きたらそいつらが片づけてくれるさ」
「本当に……?」
「安心しろ。これだけの仕打ちを受けてなお村のことを心配できるお前は浄魔師の鑑だ。静乃に出会えて俺は嬉しいよ」
静乃は、思わず千景に抱きついていた。声を上げて泣いた。千景は何も言わず、背中を優しくさすってくれるだけだ。それでもたまらなく満たされた。初めて、報われる気持ちがした。
☆
「決めた。わたし、千景さんと結婚します」
泣き止んだあと、静乃は宣言した。
「いいんだな」
「その代わりお願いがあるの。わたしも特殊部隊に入れてほしい。この力は、まだ誰かを救えるはずだから」
「歓迎する。お前が入ってくれるなら百人力だ」
「部隊の名前は決まっているの?」
「ああ。――対妖魔特殊制圧班〈裏店〉だ」
「〈裏店〉……」
「なかなか個性的な戦力がそろっているぞ。ふふ、早くも結成が楽しみになってきた」
千景は盃を持ってきて、ベッドに置いた。一覚が小刀を渡す。
「この盃に俺と静乃の血を垂らし、輝妖石をひたす。それで完全解放されるはずだ」
「それだけなら結婚って必要ないんじゃ?」
「静狩家では血を交わしたら夫婦だ。俺はそこまでしきたりに従うつもりはないんだが、〈裏店〉の設立には家の支援が必須だからな……」
千景は左肘の近くを切り、血を垂らした。
「ひどい目に遭ったあとで悪いんだが、あと一回だけ頼む」
「今さら傷が増えるくらい、どうってことないわ」
静乃もためらいなく刃を肌に入れた。左腕から垂れた血が盃に落ちる。
二人の血が混じると、千景はその中に輝妖石を置いた。
石が紫色に輝きだし、強烈な閃光を放ってもとの色に戻る。
「歴史書通りの解放だったな。やはりお前は俺に並ぶ実力者のようだ」
「あまり実感が湧かないけど……」
「私も静乃さんの腕前には興味があります。ぜひ、討伐に同行させてください」
「はい。よろしくお願いします」
「おっと、大切なことを最初に言うべきでした」
一覚は微笑んだ。
「ご結婚、おめでとうございます」
静乃はそれだけで赤くなってしまった。
「そうだ、せっかく用意したんだから指輪もつけるか?」
「え、どうしよう……」
千景もきっと好意で言ってくれているはずだ。無下にしてはいけない気がした。
「じゃあ……どっち?」
「左手だ」
静乃が左手を出すと、千景がそっと触れてきた。それだけでビクッとする。
……これが夫婦の証になるのね……。
「しまった、大きすぎる……」
「…………」
「千景様、だからあれほど「相手を見つけてから買うべきです」と申し上げたではありませんか」
「すまん。やはり一覚が正しかった」
……意外と抜けているのかしら。
なんにせよ、少しだけホッとした静乃だった。