5話 追放と邂逅
灰崎邸に戻ってくると、すでに深夜二時を回っていた。
父は夜通し書類を読み昼間眠ることが多い。まだ起きているだろう。
報告だけして眠るつもりだった。
「お父様、静乃です」
「巡回はどうした」
「ホノカガチが出現し、討伐しました。その報告を」
「ホノカガチだと? 二等級の妖魔ではないか」
久吾がドアを開けて静乃の前に現れた。
「お前っ……!」
「なんでしょうか?」
「なんでしょうか、だと? 自分がどうなっておるのかわからんのか!」
「……え?」
いきなり襟首を掴まれる。
「あうっ……!」
「見ろ!」
父の部屋の、鏡の前に立たされた。
「うそ……」
静乃の瞳は、炎のような橙色に輝いていた。いくら浄魔師でもこんな変化は起こらない。
「ホノカガチの力が流れ込んだ……お前は半妖になったのだ!」
「半妖……わたしが……?」
妖魔の力を手に入れた人間、半妖。
通常の浄魔師を上回る力を持つが、宿した妖魔の力に理性を乗っ取られることもあり、破壊の限りを尽くした者もいるという。そんな経緯もあり、半妖には一般市民も浄魔師もいい顔をしない。
「灰崎家から半妖が出るなどありえん。家名に泥を塗るも同然」
「では、わたしはどうすれば……」
「出ていけ」
「え?」
「もう、お前は灰崎家の人間ではない。二度とこの家の敷居をまたぐな」
「そ、そんな! わたしの理性ははっきり残っております! 灰崎のためにいくらでも戦えます!」
「今だけだ。いつ暴走するかわかったものではない。そんな危険な輩をこの家に置いておくわけにはいかん。――来い」
「お父様……!」
静乃は久吾に腕を掴まれ、廊下を引っ張られていった。
「お姉様?」
「静乃、これは一体――」
異変に気づいた水鈴と母が廊下に出てきた。そして、目を光らせた静乃を見て固まった。
「こいつは妖魔に憑かれた。もうこの家の人間ではない」
「し、静乃を追放するとおっしゃるのですか?」
「当然だ。半妖を囲っているなど、世間に知られたら大恥をかく」
「で、ですが静乃はここまで家のために尽くしてくれたではありませんか! その功績に免じてお許しを……!」
「功績? やって当然のことをしていただけだ。皆も同じように働いている。こいつだけが特別ということはない」
母も水鈴も絶句していた。
「だがまあ、お前たちをまとめて追い出すと変な評判が立つ。お前と水鈴は引き続きこの家に置いてやろう。こいつの功績に免じてな。これでよかろう」
「お父様、今のお言葉、信じてもよいのですね?」
静乃は訊いた。
「料理と裁縫はできるからな。置いておいても損はない」
「そうですか。であれば、わたしはお父様に従います」
「お姉様っ! こんなのおかしいです! お姉様が一番頑張っているのに……!」
「水鈴、半妖が嫌われることはあなただって知っているでしょ。もういいわ」
「でもっ」
「さようなら。元気で、長生きするのよ」
「静乃……」
「お母様も、お体に気をつけて」
「本当に、それでいいの?」
「社会にいられない体になってしまったのです。覚悟はしていましたから、受け入れます」
話は終わりだと言わんばかりに、久吾がまた静乃の腕を引っ張った。
水鈴と母は呆然としたように見送るだけだった。
門まで来ると、静乃は突き飛ばされた。
「この門を越えてみろ。水鈴がただで済むと思うな」
「……わかっております」
「お前のせいで新しい働き手を探さねばならぬ。この未熟者め。とっとと失せろ」
「……お世話になりました」
静乃は頭を下げ、灰崎邸をあとにした。
☆
朝焼けが近づく村の中を、静乃はふらふらと歩いた。
体の中に妖力があるのがわかる。意識すると体内を流れ、移動する。
その感覚を掴んだことで、目に宿る橙色の輝きを消すことができた。
とはいえ、これからのことがまったくわからなくなってしまった。
仕事に出た格好のままだ。
無一文であり、服も焼け焦げた状態。浮浪者となんら変わりない、みじめな姿であった。
「う……」
父から離れて緊張が解けたことで、忘れていた疲労が一気にのしかかってきた。
激しいめまいに全身の痛み、頭痛、吐き気がまとめて襲ってくる。
村はずれの廃材処理場にやってくると、静乃は木材の山に向かって倒れ込んだ。
ビシビシッと、空気がひび割れるような音がした。
見上げると、空中から雷を纏った妖魔が降りてくるところだった。
羽雷と呼ばれる四等級の妖魔だ。
黄色と緑ののっぺりした体表。半透明な羽を持ち、口には長い牙。手も足も爪は鋭い。
……最悪の相手ね。
静乃は立ち上がる。
霊力の弾を放とうとするが、ウライの方が早かった。
上空から雷撃を浴びせられ、静乃はあっけなく吹っ飛ばされる。
「もう、駄目……」
再び立ち上がる気力も体力も出なかった。
こんなゴミ山の中で死ぬのか。
父の言いなりになって懸命に働き、のしかかる疲労に耐えながら歯を食いしばって戦ってきた。その手柄はすべて父のものになり、給金は頭を下げなければ渡してもらえない。意見すれば「誰のおかげでこの家にいられると思っている」と容赦なく叩かれた。
それなのに、最後は捨てられ、ボロボロの格好で一方的になぶられて殺される。
……幸せって、どういうものなのかしら。
ふと、そんなことを思った。
幼い頃から浄魔師としての修行に打ち込み、資格を得てからはずっと前線にいた。
楽しい思い出などまったくない。
縁のない言葉――幸福。
せめてそれを知りたかった。
けれど、叶わない。今、ここで妖魔に殺されるのだから――。
ウライが右手に雷撃の弾を作り出した。静乃は目を閉じなかった。
雷撃が放たれる。
黄金の球体が迫り――静乃の前に人間の背中が映った。
「危ない危ない」
黒と赤の軍服。軍帽をかぶった男は、右手のサーベルで雷撃を跳ね返した。
「だ、誰?」
男が振り返った。まだ若い。
漆黒の髪に漆黒の瞳。吸い込まれそうなほど黒く艶めいた瞳だった。
「妖魔の調査に来てみれば思わぬ発見だ。この気配、蛇の半妖か?」
「……そうよ」
「興味深い」
青年はサーベルを振るった。霊力の刃が飛び、一撃でウライの首を切断していた。
――つ、強い……!
「陰と陽の力が絶妙な加減で拮抗している。素晴らしい」
青年は一方的にしゃべる。
「強力な蛇の半妖。ここで会ったも何かの縁。尻尾を掴むとは、言い得て妙」
静乃の頬を、青年の手が撫でた。
「ぜひとも、うちにほしい人材だ」
人に撫でられるなど久しくなかった体験だった。
青年の手は温かく、静乃の心を安らがせた。
それがきっかけだったのか、静乃の意識は急激に遠のいていった。