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31話 違和感の正体

 ――お前が頑張れば、この家は救われる。


 父に言い聞かされて浄魔師の道に入った。あの言葉をもらったのは遠い昔。


 ――お前が頑張らなければ、この家は潰れる。


 いつしかそんな言葉に変わり、静乃は常に追い詰められているような感覚で仕事に出ていた。

 父を憎いと思ったことはない。ただただ、怖いのだ。恐ろしくて反抗できなかった。

 だから、会うだけで動けなくなってしまった。


 ……千景さんの前で、あんな姿を晒すなんて。


 自分の部屋で目覚めた時、まずそんな想いが浮かんできた。恥ずかしくなって布団をかぶり、中で丸くなる。


「静乃、起きているか?」


 見計らったように千景が入ってきた。


「え、ええ。いま起きたところ」


 布団をどかして起き上がる。髪の毛が荒ぶっていた。


「ご、ごめんなさい。まだちゃんと直していなくて」

「いいんだ。それより、気分はどうだ?」

「……平気。千景さんやみんなが戦ってくれたから持ちこたえられた」

「よかった。ゆっくり話をしたいところだが、一大作戦がもうすぐ始まる。静乃にも手伝ってもらわなければならない」

「役に立てるならなんでもするわ」

「期待している。今、隅田村には晴月と雨月を置いている。他の所員は武器の手入れを優先させているんでな」


 一刀太と明星も下の階にいるのかもしれない。


「何かあったら晴月くんが走ってくるわけね」

「そういうことだ」

「そういえばあの兄弟は……その、親に捨てられたの? 名前しか名乗らなかったから……」

「いや、村が妖魔の襲撃で壊滅したんだ。萩谷(はぎや)という名字を持っているぞ」


 萩谷晴月、萩谷雨月。なかなか雅な名前だ。


「二人には静乃と結婚したことを伝えてあるからな、晴月もよく知ってるようなつもりで名前しか言わなかったんだろう」

「そうなのね…………え?」


 静乃は目をぱちくりさせた。


「どうした?」

「今、何か違和感が……少し考えさせて」

「よし、落ち着かせてやろう」

「あっ?」


 二日連続で千景に抱きしめられた。今日は白シャツのせいか体温がよく伝わってくる。


「逆に落ち着かないわ……」

「そのうち効いてくるさ。まずは違和感の正体を探ってみろ」

「ええと……」


 静乃は考えることに集中する。何が引っかかったのか。萩谷という名字を聞いた時に違和感があったのだ。どこがおかしい?


「…………」


 千景の腕が背中に回されているのでどんどん体温が上がっている。心臓の音がはっきり聞こえるが、あまり焦りはない。千景のかすかな呼吸が聞こえて、自分の呼吸をそれに合わせると気持ちが落ち着く。


 ……温かい。ずっとこうしていたい……。


 穏やかな気持ちになるが、今は重要な局面だ。ワガママは言えない。

 静乃は考えを整理して、違和感の正体を必死で見つけようとする。


「あ!」

「わかったか」

「たぶんだけど――」

「待て。念のため耳元で聞かせてくれ。外に漏れないようにしたい」


 千景が顔を寄せてきて、静乃はすぐ赤くなってしまった。


「い、違和感のことだけど……」


 静乃は思いついたことを耳打ちする。千景はうなずいた。


「なるほどな。であれば、作戦開始を遅らせよう。すぐにでも動くつもりだったが、夜まで待った方がいいかもしれん」

「夜は危険じゃないの?」

「危険だが、やるだけの価値はありそうだ」


 千景がまた顔を寄せ、静乃のおでこに額を触れ合わせた。カッ、と静乃の全身が熱くなる。


「ち、千景さん……?」

「すぐにでもキスがしたいよ」

「キ、キス?」

「口づけのことだ」

「そ、そんな。まだ心の準備ができてないわ……」

「今はしない。作戦を成功させて、祝言を挙げたらその時は受け入れてほしい」

「が、がんばります」

「お前には助けられてばかりだ。今はこうやって感謝を伝えるしかない」

「……充分よ」


 しばし、二人で額を合わせたまま目を閉じていた。


「作戦開始まで時間がある。それまでゆっくり休んでくれ」

「銭湯に行ってくる時間はあるかしら。ちょっと汗をかきすぎたかも……」

「行ってくるといい。まだ慌てる時間じゃない」


 千景は顔を離した。帰ると思いきや、静乃の頬を指先でなぞる。びっくりして、静乃はまた汗をかいてしまう。


「出会った頃は痩せていたが、少しはよくなってきたな。やはり食事は大切だ」

「そ、そうね。いろいろいただいているから……」


 千景は満足そうに引き返していった。

 一人になった静乃は深呼吸を繰り返す。千景は体が熱くなるようなことばかりしてくる。心臓によくない。


 ……でも、お父様のことがあったから普段より心配してくれているのよね。


 そう思うと嬉しかった。

 静乃は着替えを用意して、すぐ銭湯に出かけた。

 よく汗を流し、髪もしっかり洗う。

 大仕事に挑むのだ。身綺麗にするのも大切なことだろう。


「シズシズ、調子はどうです?」


 仕事着――緑の小袖と黒の袴になって会議室に行くと、さっそく小毬が話しかけてきた。


「おかげさまでだいぶよくなったわ」

「千景様が作戦の開始を夜まで遅らせるとおっしゃっています。あたくしたちはのんびりお茶でも飲みながら時間を潰しましょう」

「だったら俺らも混ぜてくれぃ」

「お茶、好きです……」


 一刀太と明星も暇を持て余しているようだった。


「じゃ、景気づけにお茶会といきましょう。準備はあたくしにお任せあれ!」

「大勢そろうと騒がしいですねえ」


 一覚が微笑ましそうに見ていた。

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