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30話 真相に迫る

 千景が復帰すると、〈裏店〉は通常営業に戻った。

 現時点で静乃がやることは一つだけ。隅田村に出現した妖魔の浄化だ。

 静乃はまだ、半妖の力を完全に自分のものにしたわけではない。白蛇様は静乃を気に入ってくれているようだが、いつ気が抜けて目が光りだすかわかったものではない。

 ゆえに、街の巡回は小毬と一覚が行っている。


 五月に入っていた。

 桜はとうに散って、気温は高くなっている。


「千景様、隅田村に妖魔出現の報告です。同時多発的な攻撃が行われているようで、青瀬明星から応援要請が来ています」

「わかった、行こう。静乃、小毬もついてきてくれ」


 静乃は今日、青い小袖に黒い袴である。小毬と色を合わせていた。

 幽貴が車を〈裏店〉の前に持ってきてくれる。

 助手席に小毬、後部座席に静乃と千景が乗り込む。


「では飛ばしますよ」

「頼む」


 車は大きく揺れつつ道を走った。千景が目標地点を幽貴に教え、そこに向かってもらう。


「五月に入っても攻勢は変わらず、か。すっかり長期戦になってしまったな」

「でも、粘って勝つしかないわ」

「もちろんそのつもりだ」


 車はすっかり見慣れた荒川付近の空き地に到着した。幽貴には安全なところへ退いてもらい、静乃たちが戦場へ進む。


 前傾姿勢で近づいてくるのは全身をツタに覆われた植物系の妖魔、蔦纏(ツタマトイ)だ。人の形をしているが、ほぼツタと枯れ葉だけでできている。静乃は以前もこの妖魔を倒したことがある。


「他にもいるかもしれん。静乃は周囲を警戒していろ」

「わかった」


 千景は日本刀だけを抜いて接近した。ツタマトイとは軽い打ち合いになったが、千景の相手ではなかった。刃が閃き、ツタマトイの左腕を切断する。ひっくり返った妖魔に馬乗りになって千景が護符を貼りつける。


 あれ――?


 切り落とされた左腕に光るものが見えた。


「千景さん、待って!」


 叫んでから静乃は左腕を拾った。


(くし)……?」

「何か拾えたか。もう祓っていいか?」

「ええ、お願い!」


 千景がツタマトイを浄化した。すぐ静乃のところへやってくる。


「なかなか質のよさそうな櫛だな。なぜこれがツタマトイの腕に……」

「あ、そういや書類に書いてありましたよ? 確か帝都で行方不明になった女性がこんな赤色の櫛を持ってたって。シズシズ、金色の模様は?」

「ついてるわ」

「じゃあ、その女性のものかもしれませんねえ」

「ツタマトイは濡れていた。川から上がってきた直後だったんだ。だとすると上流が発生源の可能性は高い」

「その体に女性の櫛が絡まっていた……」


 ははーん、と小毬がだるそうな顔をした。


「行方不明になった人、誰かが妖魔に食わせてるのかもしれませんねえ」

「よ、妖魔に?」

「〈虚呼(うろよばい)〉ならやりかねませんよ。あいつら、妖魔を操るって豪語してるんですから。何か強い妖魔に人間を食わせて力をつけさせるくらいはするかも」


 静乃は千景を見た。〈裏店〉の主は、腕組みをして考え込んでいる。


「やはり上流か」

「ひゃう」


 千景がいきなり頭を撫でてくる。


「よく気づいてくれた。お前がいなかったらそのまま祓って櫛も消えていたところだった」

「太陽が反射したから気づいただけよ」

「出たな、謙遜」

「シズシズはもっといろいろ誇りましょう! わたし偉い! くらいの気持ちじゃないと駄目です」

「そ、そう? 調子に乗ってしまいそうだから……」

「それも偉いと言えば偉いですけど……」


 千景は乱暴に撫でないから髪が乱れることはない。最初は子供っぽいからと嫌がっていた静乃だが、いつの間にか心地よさを感じるようになっていた。


 戦いが終わったのを確認して、幽貴も様子を見に来ていた。


「終わりました……?」

「ああ、片づいた。小毬、付近に敵の気配はないか」

「今のところなさそうです。あとは一刀太さんと明星さんにお任せですね」

「では、少しここで待機だ」

「動かなくていいの? 隅田村分室の応援とか……」

「そろそろあいつが来そうな気がするんでな」


 うんうん、と小毬がうなずいている。自分の知らない何かが行われているらしいと静乃は察した。


 そのまま空き地で待っていると、土手からふわりと影が飛んできた。洋装の半袖シャツに半ズボンの少年だ。


「雨月くん?」


 以前〈裏店〉の玄関で行き会った少年とよく似ていた。


「雨月は双子の弟です。僕は兄の晴月(せいげつ)と言います」

「双子なのね」


 和装と洋装、暗い表情と明るい表情。対照的な兄弟に思えた。


「千景様、上流の調査、完了しました」

「よくやってくれた。広くて大変だっただろう」

「支流が多くて時間かかっちゃいました。でも、見つけましたよ。〈虚呼〉の悪事の現場を」

「本当か!」


 静乃も、小毬も幽貴も食いついた。


「荒川の支流の一つが森に続いているんです。そこを入っていくとかなり深いところに泉があって、水辺に髪飾りや帽子やボタンなんかがたくさん落ちてました。あとこれ」


 晴月は黒いボタンを見せる。動物の牙のような印が掘ってある。


「〈虚呼〉の刻印が入ったボタンです。たぶん、さらった人間を泉に突き落とすとき抵抗されたんだと思います。千切れて落ちてたのを見つけました」

「でかしたぞ。これで〈虚呼〉の関与は確実になった。奴らが何を企んでいるか予想がつくか」

「泉はかなり深かったので、下に強力な妖魔が眠ってるのかもしれません。そいつに人間を食べさせて復活に必要な力を与えようとしていた――ってのは考えすぎですか?」

「いや、俺もそう思う」


 千景が静乃を見た。


「静乃が、妖魔は荒川沿いに出現することが多いと言っていた。おそらく眠っている妖魔は復活しかけていて、そいつの妖力が川に流れ出したんだ。泉が上流にあるならその水は荒川に流れ込んでくる」


 静乃は思わず割り込んだ。


「妖力って密度が濃くなると妖魔に変化するのよね? 川で揉まれているうちに妖魔に変わっていって、ちょうど隅田村にさしかかる辺りで完全な形になったということ?」

「素晴らしい理解力だ、静乃。襲撃が隅田村に集中していたのは地形の影響だったわけだ」


 そのために、静乃は休む暇もなく働き続け疲弊していった……。


「どうします? すぐ案内できますけど」

「いや、一度〈裏店〉に戻って装備を万全にする。かなりの人間が行方不明になっているんだ。それだけ人を食った妖魔なら相当な力を得ているはず。半端な装備では挑めん」

「わかりました」


 重要な局面に入って、緊張感が高まる。


「晴月くんは今までどこにいたの?」

「静乃、またくん付けをしている」


 高まったのは気のせいかもしれない。


「でも、呼び捨てはどうしても慣れないの。たまにはわたしのワガママも聞いてほしいわ」


 すねた口調を意識して言ってみる。千景は「くっ」と呻いた。あざとかったかなと後悔するが、人を呼び捨てにするのは落ち着かないのだ。


「ま、まあ静乃が嫌だというなら無理強いはできんな。仕方ない、くん付けは許そう」

「チョロいですね、千景様」

「うるさい」

「それで、晴月くんのことを聞きたいんだけど」

「僕は波濤滑縁(ハトウスベリ)という鳥の妖魔と一体になったんです。その影響で非常に身軽でして、移動も早いし長距離を走ってもまったく疲れないんです」

「すごい能力ね……」

「先日まで京にいる静狩家の分家へ出向いていたんです。それで帰ってきたら、千景様が荒川の上流を全部調べてくれとおっしゃるのでしばらくこの辺を歩き回っていました」

「千景さん、無理させすぎじゃない?」

「ちゃんと休ませた上で指示を出したぞ? 荒川上流はお前の証言を聞いた時から早く調べたいと思っていたんだが、大勢で向かうと〈虚呼〉を刺激するかもしれんし、少人数だと手間がかかりすぎる。晴月はその難点を一人で解決してくれたんだ」

「僕は木の枝とかを飛び移ってどんどん移動できますからね」


 本人が楽しそうに言うので、静乃は追及しないことにする。


「静乃さん、でしたっけ。雨月がきつく当たりませんでしたか?」

「えっと……千景さんに迷惑をかけるなとは言われたわ」

「すみません。あいつは千景様に懐いているので、奥様ができたことをなかなか受け入れられないみたいなんです。根は優しい奴なので許してあげてほしいです」

「もちろん。もっときついことは実家でたくさん言われてきたからあのくらいなんともないわ」


 みんな表情が引きつる。


「ともかく、いったん撤収だ。決戦の用意を――」

「あっ、千景様。車が来ましたよ」

「誰だ」


 静乃は周りの視線を追って、凍りついた。隅田村分室に置かれていた黒い自動車だったのだ。

 車が空き地に止まると、中から二人の浄魔師と一人の大男が降りてきた。


「お父様……」

「何をしている、こんなところで」


 父――灰崎久吾が低い声を響かせる。いつもは着流しで静乃に指示を出してきたが、今日は軍服姿だ。圧力が違う。

 すぐに、かつて浴びせられた罵声、受けた暴力、追い出された瞬間の光景が蘇ってくる。


「う、うっ……」


 静乃はよろめき、倒れそうになった。千景がすぐに気づいて支えてくれる。


「大丈夫か」

「だ、駄目かも……」

「もうお前がこの男の相手をする必要はない。車に乗ろう」

「おいお前、ずいぶん静乃と仲が良さそうだな。どこの人間だ」

「さてな。娘が半妖になったからと即座に追い出すような男に名乗る名前は持ち合わせていない」

「下郎ッ!」


 父が刀に手をかけた。千景はまるで動じない。一方で、静乃の体はずっと震えていた。

 たくさんの幸せを感じたことで、かつてどれだけひどい環境で暮らしていたかを思い知らされた。その元凶が目の前にいる。その事実だけで心が折れそうになる。


「やめた方がいいですよ、おじさま。こちらのお方は静狩千景様。浄魔師が罪なき浄魔師を斬ればただでは済みません。ましてや静狩家のご子息を斬ったなどとなれば――」

「静狩、だと」

「小毬、余計なことは言わなくていい」

「こういう御仁には言ってやった方がいいんですよ」


 小毬は得意げにしている。


「静狩の息子が、なぜ静乃を……」

「我が家は半妖を大切にする。それだけだ。あなたこそなぜここに来た」

「ここは対処が済んでいないと聞いていた。新入りを鍛えるのにいいかと思っただけだ」


 同行してきた若い浄魔師二人は青い顔をしている。


「その刀をどうする。文句があるならつきあってもいい。遠慮なく言ってくれ」


 千景の、静乃を抱きしめる力が強くなった。軍服越しでも感じられる熱が、静乃の心を落ち着かせてくれる。

 今まで父に刃向かえる人はいなかった。この人は違う。正面から戦ってくれる。それは小毬も同じ。晴月も久吾を睨んでいる。


 ……これが、仲間……。


 震えが和らいでいく。自分で立てそうな気がしたが、父の恐怖はそう簡単に克服できるものではない。


「……静狩と争うつもりはない。帰るぞ」

「は、はいっ」


 久吾は冷めた視線を静乃に向けて、去っていった。


「静乃、体が震えている。帰って一度休むんだ」

「ごめんなさい……情けないところを見せてしまって……」

「お前に落ち度はない。何も考えず、よく眠るんだ。明日になればきっと気分も変わる」

「……うん」

「全員で〈裏店〉に戻り、作戦の準備をする。晴月、一刀太と明星にも引き返すよう伝えてくれ」

「承知しましたっ!」


 晴月が走っていく。静乃は車に乗せてもらった。

 もう一度、千景がしっかりと抱きしめてくれる。


「今度は俺がいる。何も心配することはない」


 優しい声が染み渡り、静乃は黙って涙を流した。それはけっして、苦しさから来たものではなかった。

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