24話 お給金
静乃が〈裏店〉にやってきてからだいぶ時間も経ち、四月が終わろうとしていた。
あの大規模襲撃のあとも隅田村では何度か妖魔の襲撃があったが、静乃が出撃したのは一度だけ。
現地に待機している剱一刀太と青瀬明星の二人が即座に動いて祓ってくれているようだ。
「どう考えてもおかしい。理が乱れていると言っても過言ではない。百鬼夜行と呼んでもまったく違和感がないぞ」
薄曇りの昼過ぎ、静乃は千景と一緒に会議室にいた。
「本部は動いてくれないの?」
「人員は派遣している。だが妖魔の襲撃は隅田村以外でも絶えず発生している。そこに加えて事件を起こした浄魔師の対応もある。全戦力を隅田村に集めるというわけにはいかん」
「お父様は最近どうしているのかしら」
「灰崎久吾は全体の指揮官として動いている。自前の浄魔師と本部の浄魔師の混成部隊だから分室の室長が統率を取るのは自然な流れだ」
「……何か、揉め事は起こしていない?」
「今のところ聞いていない。家族以外には厳しく当たれないんだろう。本当に、静乃が使い潰される前に助けられてよかった」
千景はしみじみと言う。
「わたしも千景さんに拾ってもらえてよかった。今まで、楽しいとか幸せとかそういう感情を持ったことがほとんどなかったの。千景さんはそれをたくさん教えてくれる」
「ふふふ、嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
「契約上の夫婦でしかなかったはずなのにね」
「俺も、まさかここまで静乃に惹かれるとは思わなかった。やはり巡り合わせというものは存在するのかもな。ただ……」
千景が言いよどむので、静乃は首をかしげる。
「本当はもっと、夫婦らしいことをしたいと思っている。今は食事の時間も合わせられないし、一緒に寝ることもできないし」
静乃の顔が赤くなった。
「む、無理しなくてもけっこうよ。わたしはこうして千景さんとお話ししているだけでも楽しいもの」
「だが、俺は静乃に対して本気だぞ。仕事に邪魔されているだけだ。雑務が終わったら一緒に買い物に行きたいしカフェーに入りたいしレストランで食事をしたいし一緒のベッドで寝たい」
「そ、そこまで?」
「とにかく静乃とくっついていたいんだ。俺は……もしかして甘えん坊なんだろうか?」
慎重に質問してくるので、静乃は困ってしまう。ちょっと自信なさげな千景が愛おしくてジタバタしたくなってしまう。
「ベ、ベッドではすぐ抱きしめてくるし甘えん坊さんかもしれないわね? わたしは千景さんのそういうところ、す、すすす好きだけど……」
「好き? なるほど」
「急に冷静にならないで……」
「かっこよく見せるだけがすべてではないんだな。好きになってもらえるところはいろいろある。自分を全体的に磨いていく必要がありそうだ」
何やら覚悟を決めている様子である。「好き」なんて言ったせいで静乃の心はさっきからずっとドキドキしている。強力な妖魔に遭遇してもこんなに心は乱れない。恋愛は恐ろしい。
ドアが開いて、一覚と小毬が入ってきた。
「お疲れ様でございます! 巡回完了です!」
「異常は」
「ありませんっ」
「私の管轄も変化ありません」
「ご苦労。よく休んでくれ」
「へっへっへ。千景様ぁ、それならまずあちらをいただかないと……」
小毬がわざとらしく手もみして千景にすり寄る。
千景はカレンダーを見た。今日は四月二十八日である。
「……ああ、そうか。少し待て」
千景は会議室を出ていき、しばらくすると封筒を三枚持って戻ってきた。
「黒音小毬」
「はっ!」
「今月もご苦労」
「ありがたき幸せ!」
小毬が一礼して封筒を受け取った。一覚も同じように受け取る。
「静乃……は形式張らなくてもいいか。こっちに来てくれ」
千景は静乃にも封筒を渡してくれた。
「これは?」
「給金だ。日付は決めていないが月末に渡すことになっている」
「お給金……」
「お前のことだから、どうせ初めてもらったとか言うんだろう」
「うん。大切にします」
「本当にそうなのか。くそ、灰崎久吾の奴め」
千景は壁を叩こうとして、ギリギリで踏みとどまった。
「本来であれば、お前は相当な額を稼いでいるはずなんだからな?」
「お父様は「お前が働けばみんなこの家に住み続けられるんだ。雨風をしのげる場所があることは当たり前じゃない」って言っていたわ」
「クソ親父が!」
どん、と結局千景は壁を叩いてしまった。
「いや、すまん。取り乱した」
「わたしのために怒ってくれるのね。ありがとう」
「そこで感謝されるのは想定外だ」
静乃は許可を得てから封筒をその場で開けた。息が止まりかける。
「ね、ねえ……二十円札がいっぱい入っているんだけど」
「たくさん働いたからな」
「そ、そんなことないわ! だって千景さんと遊んだり、楽しい思い出しかないのよ!? 妖魔とそんなに戦ったわけでもないし……」
「言っただろう。お前の常識はズレていると。ここに来てお前が倒したのはギンテッカイとドロシズリ、トツカヒメ……最近だと蔦纏もあったか。どれも並の浄魔師では歯が立たないような相手ばかりだ。それをバッタバッタと倒しているんだからボーナスが出るのは当然なんだぞ」
ああ、そうそう、と千景は言い聞かせるように続ける。
「隅田村分室で稼いだ分を一銭ももらっていないだろう。その分も少し入っている。本当なら静乃が討伐した二十六体分の報酬を用意したかったんだが、金額が大きくなりすぎて間に合わなかった。許せ」
「ま、ままま待って。千景さんが謝るのはおかしいわ。わたしこそ、もらいすぎて申し訳――」
「うるさい。お前の成果ははっきりしているんだ。黙って受け取れ」
「で、でも」
「静乃はあれこれ遠慮しすぎだ。金に関しては甘やかしていない。ちゃんと実績を見た上で計算しているから、こればっかりはきつく言わせてもらう」
そこまで言われては静乃も引き下がるしかなかった。小毬は嬉しそうな顔で受け取っていたが、静乃は恐れ多い気持ちで固まってしまう。
「お金って、どうやって使えば……」
「必要な時に必要な分を持って買い物をすればいいのさ。まだ一人で大通りを歩いたことはないだろう? 自由気ままにその辺の店に入ってみるのも面白いぞ」
「わ、わかったわ」
静乃は会議室を出た。出かけようとしていた小毬がこちらに気づく。
「シズシズ、お給金もらいました?」
「え、ええ。たくさんいただいちゃった……」
「使い方わからんって顔をしてますねえ」
静乃はうなずくしかない。
「ではいいことを教えてあげましょう。ここは千景様にプレゼントを買うのです」
「プレゼント?」
「普段よくしていただいている感謝の気持ちを示すため、贈り物をするのです。シズシズが自分で選んだ品であれば、千景様はそれだけで感動することでしょう」
「自分で選ぶ……」
「そうです! 初めてのお買い物です。あたくしはあえてついていきませんから、ご自分の感覚を信じて何か買ってみてください」
「で、でも変な物を買ったら嫌われてしまうかも……」
「いやいや、ありえませんよ。千景様だってシズシズが世間をよく知らないことはわかっています。微笑ましい目で見てくれるはずですよ」
「……そういうもの?」
「はい、間違いなく」
「じゃあ、頑張ってみる」
「えらい! それでこそシズシズです」
小毬に激励された静乃は、一人で買い物に出てみようという気持ちになった。すべては千景に喜んでもらうため。与えてもらってばかりではいられない。たまにはお返しをするのだ。